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本田圭佑の年俸はどれくらい?
2005年(名古屋グランパスエイト) | 450万円 |
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2006年(名古屋グランパスエイト) | 1000万円 |
2007年(名古屋グランパスエイト) | 1800万円 |
2008-2009年( VVVフェンロ) | 6500万円 |
2010-2013年(CSKAモスクワ) | 3億円 |
2014-2017年(ACミラン) | 7億7000万円 |
2017-2018年(パチューカ) | 4億5000万円 |
2018-2019年(メルボルン・ビクトリー) | 3億2000万円 |
2019年(フィテッセ) | 3億3000万円 |
2020年(ボタフォゴ) | 1億6000万円 |
2021年(ネフチ・バクー) | 4000万円 |
2021年(ポルティモネンセ) | 未定 |
本田圭佑はファンではなくても知っている有名サッカー選手のひとりです。そんなスタープレーヤーである本田圭佑の年俸は、どのくらいなのでしょうか?新人時代から現在の年俸まで、その推移をチェックしていきます。
本田圭佑のJリーグ時代の年俸推移
2005年(名古屋グランパスエイト) | 450万円 |
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2006年(名古屋グランパスエイト) | 1000万円 |
2007年(名古屋グランパスエイト) | 1800万円 |
本田圭佑のJリーグ時代は2005年から2007年までです。この時期、名古屋グランパスエイトに所属していました。この後すぐに海外のチームへ参加してしまったため、名古屋は本田圭佑がJリーグで唯一所属していたチームになります。
2005年(名古屋グランパスエイト)
本田圭佑は石川県の名門高校である星陵高校を卒業後、すぐに名古屋グランパスエイトに加入しました。初年度の年俸は450万円です。これは高卒Jリーガーとしては割と高めの年俸に当たるので、その分本田圭佑が期待されていたということが分かります。この初年度に本田圭佑は公式戦35試合2得点を挙げています。
2006年(名古屋グランパスエイト)
翌年は初年度の活躍のおかげでは年俸が2倍以上の1000万円に跳ね上がり、公式戦34試合で8得点を挙げました。注目選手として評価されはじめるとともに、サッカーの才能を大きく開花させる一年となりました。
2007年(名古屋グランパスエイト)
Jリーグ所属最後の年である2007年には年俸が1800万円になっています。本田圭佑は名古屋グランパスエイトと契約する際に「海外からのオファーがあれば移籍する」と明言しました。そのせいもあって3年目の年俸が微増だった可能性があります。
本田圭佑の海外移籍後の年俸推移
2008-2009年( VVVフェンロ) | 6500万円 |
---|---|
2010-2013年(CSKAモスクワ) | 3億円 |
2014-2017年(ACミラン) | 7億7000万円 |
2017-2018年(パチューカ) | 4億5000万円 |
2018-2019年(メルボルン・ビクトリー) | 3億2000万円 |
2019年(フィテッセ) | 3億3000万円 |
2020年(ボタフォゴ) | 1億6000万円 |
2021年(ネフチ・バクー) | 4000万円 |
2021年(ポルティモネンセ) | 未定 |
サッカー選手として僅か4年目に本田圭佑は海外のクラブからのオファーを受け、海外進出を果たしました。では、それぞれの年俸の推移とシーズンの特徴を見ていきましょう。