⑦須山翔太郎
生年月日 | 1981年9月26日 |
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身長 | 172cm |
体重 | 78kg |
体脂肪率 | 11.6% |
職業 | ボディビルダー、トレーナー |
SNS | Instagram、ブログ |
須山翔太郎は、1999年17歳で東京ジュニアで優勝、2004年東京選手権では大会最年少22歳で優勝するなど鮮烈なデビューに天才ボディビルダーの出現と注目されました。
現在は、都内を拠点にパーソナルトレーナーとして活動しながらトレーニングを続けています。初心者から経験者まで幅広い層にトレーニングを教えていて、カリスマボディビルダーから指導を受けられると話題です。
また、ボディビルダー界のグルメ王とも呼ばれ、SNSで料理をする姿も公開しています。以前、大会で思うような結果が残せないときに、ストレスで拒食症のような状態になった経験がありました。自身の辛い経験から、食に関しては強いこだわりがあり、筋肉やトレーニングだけでなく栄養摂取方法についても学んだそうです。
(須山翔太郎の生い立ちについては以下の記事も参考にしてみてください)
須山翔太郎とは?生い立ち・成績〜筋トレ・食事、結婚など私生活まで紹介!
出典:Slope[スロープ]
⑥神田知子
生年月日 | 1966年10月19日 |
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身長 | 162.5cm |
体重 | 52~64kg |
学歴 | 大阪学院大学商学部商学科、ブラッドフォード大学社会科学女性学研究、トロイステート大学院で経営学修士号取得 |
職業 | 米軍政府機関、ボディビルダー、ジムトレーナー |
SNS | ブログ |
日本を代表する女性ボディビルダーの神田知子も、日本一のボディビルダー候補と呼ぶのにふさわしい功績を残しています。子供のころからスポーツに親しみ、高校、大学在学中はサーフィンに夢中だったそうです。かなりの高学歴とも知られているのでプロフィールをご覧ください。
神田智子はかつて、米軍の政府機関に勤めており、体型維持のため同僚とジム通いをしたのがトレーニングのきっかけです。トレーニングを続け最初に出場した大会はベンチプレス大会で日本人初の優勝も経験しました。2004年には全日本ボディビル選手権マスターズ優勝、関西ボディビル選手権優勝とベンチプレス、ボディビルどちらも輝かしい成績を残しました。
神田智子の美しい筋肉は、米軍のブートキャンプ仕込みのプロの指導を受け鍛え上げたといいきます。また、食事にもこだわっており、食物繊維を摂取して腸内環境を整えたりBCAAとアミノ酸、プロテインも併用して彫刻のような美ボディーをキープしています。
(女子ボディビルダー『神田知子』の現在は?については以下の記事も参考にしてみてください)
女子ボディビルダー『神田知子』の現在は?生い立ち〜筋トレ&食事への考えまで紹介
出典:Slope[スロープ]
⑤合戸孝二
生年月日 | 1961年4月1日 |
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身長 | 164cm |
体重 | 70kg |
職業 | マッスルハウスジム経営、ボディビルダー |
日本ボディビル選手権大会で4度の日本一に輝き「狂気の男」と呼ばれている合戸孝二を紹介します。なぜ狂気の男といわれているかというと、到底真似ができないような重量でストイックに筋トレをして、大きい筋肉を鍛えているからだそうです。ステロイドを使わず筋肉量を増やすのは大変なことなのでリスペクトの意味を込めてそう呼ばれていたのでしょう。
知人から誘われたのがきっかけでジムに通いだし、ボディビルダーの大会に出場したのは20代後半です。ボディビル界では遅咲きですが、ものともせずアジア選手権2位、全日本ボディビル選手権で日本一と結果を出しました。2019年の全日本ボディビル選手権も、横川尚隆ら若手のボディビルダーに交じり6位に入賞しています。
還暦を迎えても現役ボディビルダーとして活躍中ですが、眼底出血の悪化により左目を失明しています。原因はストイックな筋トレや減量と、異変はあったものの大会前で治療が遅れたことだそうです。筋トレをやめ、治療に専念するよう医師のすすめもありましたが、完全な回復を見込めないこともあり、治療はせずボディビルダーとしてトレーニングを続けています。
(合戸孝二の嫁がキレイと話題については以下の記事も参考にしてみてください)
合戸孝二の嫁がキレイと話題に?奥さんとの馴れ初め〜サポートについて調査!
出典:Slope[スロープ]
④田代誠
生年月日 | 1971年3月3日 |
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身長 | 164cm |
体重 | 72kg |
職業 | 株式会社THINKフィットネス取締役、ボディビルダー |
JBBF日本ボディビル選手権の日本一の経歴を持つボディビルダー、鈴木雅も影響されたという田代誠は、ゴールドジムを展開する株式会社THINKの取締役という顔もあります。10代の頃、柔道選手として筋トレを始め1990年以降、数々の大会で好成績を残しています。
日本ボディビル選手権大会で4度の日本一という偉業を達成するも、5連覇をかけた2015年の大会で、合戸孝二に日本一を譲り突如引退を発表しました。しかし7年後の2012年にボディビルダーに復帰し、ブランクがあるにもかかわらず日本ボディビル選手権大会で準優勝、世界ボディビル選手権70kg級で3位、日本選手権にて2位など周囲を驚かせました。
田代誠は、テーマを決めて計画的に筋トレをしていて、全身の筋肉がバランスよく鍛えられています。また、スポーツ栄養学の専門誌で食事について紹介されるなど知識も豊富で「ミスターパーフェクト」と呼ばれています。個人のSNSは持っていないにもにもかかわらず、これだけの知名度があるのは凄いことです。
(ボディビルダー『田代誠』特集については以下の記事も参考にしてみてください)
ボディビルダー『田代誠』を特集!生い立ち〜筋トレ&食事への考えまで!
出典:Slope[スロープ]