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本田圭佑はシーズン途中にVVVフェンロに加入しました。これは即戦力になるとクラブ側が考えての大抜擢といえます。年俸もJリーグ時代から大幅にアップして6500万円となりました。しかし、このときの本田圭佑はクラブの期待とは裏腹に14試合2得点とあまり活躍ができず、クラブは2部に降格してしまいます。
しかし移籍翌年、本田圭佑はチームのエースとして攻撃をけん引する役割を担います。公式戦37試合で16得点を挙げ、さらに14アシストという記録を残しました。これがチームの昇格に繋がり、本田圭佑自身も2部リーグのMVPに輝きました。本田圭佑の名を世界に知らしめた出来事といっても過言ではありません。
2010-2013年(CSKAモスクワ)
この年に本田圭佑は900万ユーロ、つまり年俸12億円の契約でCSKAモスクワに移籍しました。MVPに輝いたという経歴から年俸が桁違いに跳ね上がっています。ちなみに本田圭佑は1年目から公式戦33試合5得点6アシストを記録しました。さらにこのシーズン中にUEFAチャンピオンズリーグ、セビージャ戦のセカンドレグで初得点初アシストも記録しています。
2年目はボランチでしたが、公式戦39試合中9得点12アシストを記録します。3年目も同じく大活躍を期待されましたが、右ひざの半月板を損傷してしまったせいで長期離脱を余儀なくされます。ここからは思うようにプレーができなくなり、2013年の冬に退団しました。
2014-2017年(ACミラン)
本田圭佑が子どものころから抱いていた夢が、ACミランでサッカーをするというものでした。それがこの年に叶うことになります。背番号は自分で10番を希望し、年俸も跳ね上がりました。加入1年目はシーズン途中からの参加になり公式戦16試合中2得点2アシストです。2年目は公式戦30試合中6得点5アシストを記録しましたが年の後半では少し不調が続きます。
3年目の前半は少し不調を引きずりましたが、後半で盛り返しました。公式戦37試合2得点8アシストを記録しています。しかし、翌年はスソにポジションを奪われてしまい試合自体に出る機会が激減し、ACミランを退団します。
2017-2018年(パチューカ)
クラブワールドカップを狙ってか、パチューカに移籍した本田圭佑の年俸は1年で4億5000万円になります。金額的には少し減ったのですが、それでも十分な年俸を維持しています。パチューカでは公式戦36試合中8アシストを行いました。またクラブワールドカップも経験することができています。本田圭佑にとって大満足の1年だったことは想像に難くありません。
2018-2019年(メルボルン・ビクトリー )
このメルボルン・ヴィクトリーで本田圭佑は、各クラブに一人だけ認められる年俸制限のないマーキープレーヤーとなりました。年俸は3億2000万円です。実はオーストラリアリーグではチーム全員の年俸の合計が1億7200万円以下ではないといけないという制限があります。しかし本田圭佑はマーキープレーヤーなので3億2000万円を手にしています。
金額だけみると下降しているのですが、年齢を考慮するとこれでも高額プレーヤーといえます。公式戦24試合中8得点7アシストを記録しました。
2019年(フィテッセ)
フィテッセの在籍期間はごくわずかでした。年俸としては3億3000万円をもらっています。CSKAモスクワでの恩師、スルツキ監督がどうしても本田圭佑をということで移籍したと噂されました。監督退任後、本田圭佑も退団しています。
2020年(ボタフォゴ)
本田圭佑は年齢的にはもう数千万円プレーヤーになっていてもおかしくありません。しかし、ボタフォゴでは年俸1億6000万円を手にしています。この年の公式戦では27試合中1得点と成績は伸び悩み、ボタフォゴはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAで最下位が確定してしまいます。