目次
中村俊輔の年俸推移【海外編】
2003年(レッジーナ) | 6000万円 |
---|---|
2004年(レッジーナ) | 1億円 |
2005年(レッジーナ) | 1億5000万円 |
2006年(セルティック) | 2億4000万円 |
2007年(セルティック) | 2億4000万円 |
2008年(セルティック) | 2億4000万円 |
2009年(エスパニョール) | 1億6000万円 |
中村俊輔は2003年から2009年まで海外のチームでプレーしています。セルティックでは推定年俸が2億円を超え、全盛期だったことがわかります。
2003年~2005年【レッジーナ】
2002年日韓ワールドカップが終了後、中村俊輔は横浜マリノスからイタリアセリエA・レッジーナに移籍します。半年の期限付き移籍に、プラス3年間の契約を買い取りオプションで獲得し、初年度の推定年俸は6000万円でした。
レッジーナでもエースナンバーの10を背負い、セリエA残留に貢献します。ボールがない時でさえも、スペースを支配できる選手、日本のバッジョと評価され、2005年には初年度の倍以上の年俸になっています。
2006年~2008年【セルティック】
レッジーナの活躍が評価され、2006年からは、スコットランドのセルティックに移籍します。セルティック在籍時代の中村俊輔は、全盛期で推定年俸も2億4000万円までアップしました。また、レッジーナに支払った移籍金は、当時のレートで約4億9000万円と伝えられています。
期待通りの活躍で、2006年オールド・トラッフォートでのマンチェスター・ユナイテッド戦では、真似できないような芸術的フリーキック決めています。また、2007年には、アジア人の選手の歴代初となる欧州リーグでのMVP獲得しました。この賞は、選手投票によるもので、技術はもちろん、反則も少なく、紳士的なプレーが評価された証です。
人種差別を受けるなど辛い景観もありましたが、最終的には「レジェンド」とファンから愛されました。
2009年【エスパニョール】
2009年からの1年は古巣の横浜F・マリノスなどのオファーを断り、憧れのスペイン1部リーグのRCDエスパニョールへの移籍しました。2000年代前半、スペインに日本人選手が渡りましたが、歴代の選手はストライカー中心で、日本人MFの中村俊輔に大きな期待が寄せられました。
しかし、エスパニョールへの適応に苦しみベンチを温める試合も多くなります。全盛期の中村俊輔の活躍とは程遠く、1年でJリーグに戻る決意をします。2011年現在、海外の挑戦は2009年が最後となってしまいました。
中村俊輔と他日本代表の年俸比較
日本代表で活躍していた中村俊輔は、他の代表選手と比べて年俸は高かったのでしょうか?ここからは、著名な代表選手の年俸推移や推定市場価格の最新情報を調査し、中村俊輔の年俸と比較します。
(南野拓実の年俸の推移については以下の記事も参考にしてみてください)
【2022最新】南野拓実の年俸!デビューから現在までの推移まで紹介!
出典:Slope[スロープ]
香川真司
中村俊輔と同様、日本代表で海外のチームで活躍している香川真司は、2006年セレッソ大阪でプロデビューをしました。2006年の年俸は380万円でスタートし2010年には7000万円までアップしました。ちなみに中村俊輔はデビューから4年後の年俸が約10倍でした。
2014年にプレーしたマンチェスター・ユナイテッドでは推定年俸が11億円です。また、香川真司選手の最高市場価格はマンチェスターユナイテッド移籍時で2200万ユーロにもなり、当時のレートで26億から30億という破格の数字で日本人トップです。
(香川真司のデビューから現在の年俸の推移については以下の記事も参考にしてみてください)