目次
1990年、日本へ帰国前にふたたび「サントスFC」と契約し、年俸1億円となります。三浦知良選手は、サッカーに厳しいブラジル人サポーター達からも人気を集めました。
ヴェルディ川崎
Jリーグが発足される1990年に、三浦知良選手は日本のサッカーリーグ「読売サッカークラブ」(のちのJリーグヴェルディ川崎)に移籍をします。1991年読売サッカークラブでの年俸は1億5000万円です。日本人サッカー選手として初めての1億越えとなりました。
Jリーグが開幕した1993年の三浦知良選手の年俸は2億4000万円。「ヴェルディ川崎」の全盛期に、メイン選手として三浦知良の名が日本中に知れ渡りました。第6回アジア・アフリカ選手権や第15回ワールドカップアメリカ大会では、日本代表に選ばれています。Jリーグ初代MVP(初年度最優秀選手賞)、ベストイレブン賞も受賞しました。
イタリア・セリエAのジェノアCFC
1994年に1年の期限付き移籍でイタリア・セリエAの「ジェノアCFC」へ移籍した三浦知良選手。年俸は1億円でした。この時三浦知良選手は、アジア人初のセリエAプレーヤーとして名を残します。世界最高のサッカーチームと言われたセリエAでゴールを決めて、爪痕をしっかりと刻みました。
川崎ヴェルディ
1995年にふたたび「川崎ヴェルディ」へ移籍した三浦知良選手。1995年と1996年はジェノア時代と同じ1億円となっています。1995年の得点ランキングでは23得点で5位となりましたが、得点王とは9点差で、三浦知良選手が出た試合はシーズンの約半分しかプレーしていないといいます。
1996年好調だった三浦知良選手。1997年には年俸2億4000万円と跳ね上がっています。1998年には年俸2億6000万円となりました。また1998年日本代表で念願のワールドカップへ出場します。三浦知良はアジア最終予選で活躍を見せました。
ディナモ・ザグレブへ移籍し年俸最高額
ヴェルディの経営から読売新聞社が撤退、チームの経営が悪化してしまったため戦力外通告された三浦知良選手。1999年にクロアチアの「ディナモ・ザグレブ」が三浦知良選手にオファーを出しました。年俸は2億9000万円。これまでで最高額の年俸となりました。
京都パープルサンガ
欧州リーグでプレーしたのち、夏にJリーグへ戻ります。1999年~2000年に「京都パープルサンガ」へ三浦知良選手は移籍。なかなか成績に恵まれず、年俸は8000万円となります。しかし、三浦知良選手は2000年にJリーグで通算100ゴールを達成する偉業を成し遂げています。
ヴィッセル神戸
2001年に三浦知良選手は「ヴィッセル神戸」へ移籍します。年俸は8000万円と前年と同じ年俸です。2002年に7500万円、2003年、2004年には4500万円に年俸となっています。