山本義徳を特集!身長・体重・年収・奥さん・全盛期・ステロイドなど!

山本義徳は伝説とも呼ばれるトレーナーで、現在ではYouTubeや書籍などでの情報発信を行っています。この記事では、全盛期である若い頃のベンチプレスの記録や、彼の生い立ちなどを紹介していきます。書籍や動画の内容なども紹介するので、参考にしてください。

目次

  1. 山本義徳の身長・体重などのプロフィール
  2. 後進の指導も積極的に行う
  3. 山本義徳の仕事・年収は?
  4. 山本義徳の筋トレを始めるまでの生い立ち
  5. ドラマの影響で高校のラグビー部に入部
  6. 大学入学後は本格的にウエイトトレーニングを始める
  7. 大会出場停止処分を機に海外へ
  8. 2005年の大会で優勝後、引退
  9. 山本義徳の若い頃の全盛期について
  10. 日本ボディビル選手権大会8位
  11. IFBBミスターアジア3位
  12. NPCアイアンマン・アイアンメイデン優勝
  13. NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ優勝
  14. ベンチプレスで260kgを持ち上げる
  15. 山本義徳のステロイド使用について
  16. 山本義徳のプロテイン・サプリメントに関する考え
  17. 山本義徳がプロデュースするプロテインの評判とは
  18. 山本義徳のサプリメントへの考え方もチェック
  19. 山本義徳が発信する本・ブログ・YouTubeが有益すぎる
  20. 炭水化物のすべて: 山本義徳 業績集1 Kindle版
  21. ウェイトトレーニング -実践編-
  22. 山本義徳オフィシャルブログ『カラダの改造、お任せあれ』
  23. 山本義徳 筋トレ大学
  24. 山本義徳は今後の活躍にも目が離せない!
  25. 筋トレメニューに関する記事もチェック

山本義徳の身長・体重などのプロフィール

出典:https://muscle-history.net/yamamoto/

名前山本義徳
生年月日(年齢)1969年3月25日(52歳)
身長171cm
体重約90kg
体脂肪率-
学歴早稲田大学政治経済学部
職業スポーツ・フィットネスインストラクター
SNSTwitterInstagram

山本義徳は元ボディビルダーである経験を活かし、YouTubeの「山本義徳 筋トレ大学」にてさまざまな情報発信を行っているトレーナーです。体重などの基本情報については、上記の通りになります。また、結婚歴などについては公表されておらず、奥さんがいるかどうかについては不明となっています。

後進の指導も積極的に行う

ベンチプレスでかなりの重量を持ち上げ、ボディビル大会で優勝するなどの結果を残す山本義徳は、筋トレ界では伝説とも呼ばれています。

ダルビッシュ有や松坂大輔など有名選手の指導なども行っており、最近では筋トレYouTubeであるJinのコーチングを行ったことでも知られています。伝説とも呼ばれる山本義徳の指導を受けたこともあり、Jinは見事日本で3人目となるIFBBPROカードの取得者となりました。

山本義徳の仕事・年収は?

山本義徳は元ボディビルダーで、その経験を生かした活動を行っています。豊富な知識を生かして執筆活動なども行っていますし、2019年には一般社団法人パーソナルトレーナー協会の理事にも就任しています。また、2019年9月にはVALXというブランドをプロデュースしており、10月には株式会社レバレッジの社外取締役にもなっています。

また、YouTubeでの情報発信も行っており、若い世代のボディビルダーとの対談動画などもアップされています。年収については本人から公表されているわけではありませんが、山本義徳のYouTubeチャンネル「山本義徳 筋トレ大学」での年収は636万円ほどではないかともいわれています。

山本義徳の筋トレを始めるまでの生い立ち

続いて、山本義徳が筋トレを始めるまでの生い立ちについても紹介します。たくましい体を持つ彼が筋トレに目覚めるきっかけは何だったのか、順番に見ていきましょう。

ドラマの影響で高校のラグビー部に入部

山本義徳は、1969年に静岡県で生まれました。子供のころは特別スポーツは行っていませんでしたが、中学生のころは陸上部で、地区のブロック大会で入賞した経験などがあります。静岡高校に入学したころ、TVドラマのスクールウォーズを見たのがきっかけでラグビー部に入部し、部活のトレーニングの中でウェイトトレーニングを始めました。

彼はしっかりとした体格で骨太だったので、ラグビーではフォワードのプロップを務めました。運動のセンスがあったのか、山本義徳はトレーニングを始めたばかりのころからかなりの重量を挙げることができました。卒業するころには140kgのベンチプレスを挙げることができていたそうで、このときすでにしっかり体が鍛えられていたことが伺えます。

大学入学後は本格的にウエイトトレーニングを始める

高校を卒業したあとは1浪したのちに早稲田大学の政治経済学部に入学し、バーベルクラブにも所属しました。1991年には都のパワーリフティング大会に出場して優勝を収めていますが、体を鍛えるのはあくまでボディビルダーとして~を大きくするためであり、ウェイトリフティングはおまけ程度であったとのことです。

その後、彼はボディビルダーに転身します。ボディビルダーとしても結果を収めており、1994年に出場した日本ボディビル選手権大会では、8位という結果を残しています。

大会出場停止処分を機に海外へ

その後もボディビルの大会に出場した山本義徳ですが、1995年に開催されたJBBF主催の大会で、ドーピングの陽性反応が出てしまいます。これにより2年間の大会出場停止処分を受けた彼は、海外で活動を続けることになりました。

そして、同年に開催されたIFBBミスターアジアのライトヘビー級では3位に入賞、その後の1998年に開催されたNPC アイアンマン・アイアンメイデンのライトヘビー級では優勝という見事な成績を収めています。

2005年の大会で優勝後、引退