【2024最新】本田圭佑の年俸!デビューから現在までの推移まで紹介!
サッカー日本代表選手としておなじみで、海外クラブチームでも活躍中の本田圭佑の年俸をチェックしましょう。Jリーグの名古屋グランパスエイト時代から2024最新のアゼルバイジャン・プレミアリーグのネフチ・バクーまで、本田圭佑の年俸の推移を完全網羅します。
目次
- 本田圭佑の年俸はどれくらい?
- 本田圭佑のJリーグ時代の年俸推移
- 2005年(名古屋グランパスエイト)
- 2006年(名古屋グランパスエイト)
- 2007年(名古屋グランパスエイト)
- 本田圭佑の海外移籍後の年俸推移
- 2008-2009年( VVVフェンロ)
- 2010-2013年(CSKAモスクワ)
- 2014-2017年(ACミラン)
- 2017-2018年(パチューカ)
- 2018-2019年(メルボルン・ビクトリー )
- 2019年(フィテッセ)
- 2020年(ボタフォゴ)
- 2021年(ネフチ・バクー)
- 2021年(ポルティモネンセ)
- 本田圭佑の日本代表としての収入は?
- 本田圭佑の年俸は日本人選手では高い方?
- その他、本田圭佑に関する記事もチェック!
- 本田圭佑の名言を総チェック!
- 本田圭佑の私服がアツい!
- 本田圭佑の筋肉!
- 本田圭佑の髪型を真似よう!
- 本田圭佑の奥さんって…
- 本田圭佑の子どもは?
- 本田圭佑の活躍に比例した年俸推移には今後も注目
本田圭佑の年俸はどれくらい?
2005年(名古屋グランパスエイト) | 450万円 |
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2006年(名古屋グランパスエイト) | 1000万円 |
2007年(名古屋グランパスエイト) | 1800万円 |
2008-2009年( VVVフェンロ) | 6500万円 |
2010-2013年(CSKAモスクワ) | 3億円 |
2014-2017年(ACミラン) | 7億7000万円 |
2017-2018年(パチューカ) | 4億5000万円 |
2018-2019年(メルボルン・ビクトリー) | 3億2000万円 |
2019年(フィテッセ) | 3億3000万円 |
2020年(ボタフォゴ) | 1億6000万円 |
2021年(ネフチ・バクー) | 4000万円 |
2021年(ポルティモネンセ) | 未定 |
本田圭佑はファンではなくても知っている有名サッカー選手のひとりです。そんなスタープレーヤーである本田圭佑の年俸は、どのくらいなのでしょうか?新人時代から現在の年俸まで、その推移をチェックしていきます。
本田圭佑のJリーグ時代の年俸推移
2005年(名古屋グランパスエイト)450万円
2006年(名古屋グランパスエイト)1000万円
2007年(名古屋グランパスエイト)1800万円
本田圭佑のJリーグ時代は2005年から2007年までです。この時期、名古屋グランパスエイトに所属していました。この後すぐに海外のチームへ参加してしまったため、名古屋は本田圭佑がJリーグで唯一所属していたチームになります。
2005年(名古屋グランパスエイト)
本田圭佑は石川県の名門高校である星陵高校を卒業後、すぐに名古屋グランパスエイトに加入しました。初年度の年俸は450万円です。これは高卒Jリーガーとしては割と高めの年俸に当たるので、その分本田圭佑が期待されていたということが分かります。この初年度に本田圭佑は公式戦35試合2得点を挙げています。
2006年(名古屋グランパスエイト)
翌年は初年度の活躍のおかげでは年俸が2倍以上の1000万円に跳ね上がり、公式戦34試合で8得点を挙げました。注目選手として評価されはじめるとともに、サッカーの才能を大きく開花させる一年となりました。
2007年(名古屋グランパスエイト)
Jリーグ所属最後の年である2007年には年俸が1800万円になっています。本田圭佑は名古屋グランパスエイトと契約する際に「海外からのオファーがあれば移籍する」と明言しました。そのせいもあって3年目の年俸が微増だった可能性があります。
本田圭佑の海外移籍後の年俸推移
2008-2009年( VVVフェンロ)6500万円
2010-2013年(CSKAモスクワ)3億円
2014-2017年(ACミラン)7億7000万円
2017-2018年(パチューカ)4億5000万円
2018-2019年(メルボルン・ビクトリー)3億2000万円
2019年(フィテッセ)3億3000万円
2020年(ボタフォゴ)1億6000万円
2021年(ネフチ・バクー)4000万円
2021年(ポルティモネンセ)未定
サッカー選手として僅か4年目に本田圭佑は海外のクラブからのオファーを受け、海外進出を果たしました。では、それぞれの年俸の推移とシーズンの特徴を見ていきましょう。