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長友佑都の年俸はいくら!?
長友佑都は日本だけでなく海外でも活躍するプロサッカー選手です。ワールドカップなどの国際大会に何度も出場し、長年日本代表を引っ張ってきました。サッカーの能力はもちろん、人間性も高く評価されている人物です。
そんな長友佑都ですが、年俸ははたしてどれくらいなのでしょうか。この記事では、FC東京に加入した年から全盛期を経て、現在までの長友佑都の年俸の推移や最新情報を紹介します。世界でも評価される日本人選手の懐事情を覗いてみましょう。
長友佑都の年俸推移【Jリーグ時代編】
2008年(FC東京) | 300万円 |
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2009年(FC東京) | 2000万円 |
2010年(FC東京) | 2500万円 |
まずは、Jリーグ時代から見ていきます。長友佑都が最初に所属したプロチームはFC東京でした。最初の年はまだ明治大学の学生だったので、年俸も格安です。しかし、その後めきめきと頭角を現し、一気に金額が上がりました。ここからは、当時の長友佑都がどのような選手だったのかを紹介します。
明治大学在学中にFC東京へ加入
長友佑都は、高校までは無名の選手でした。母校である明治大学へも指定校推薦で入学しています。彼の実力が世間に知られるようになったのは、大学2年生だった2006年頃のことでした。2007年にはFC東京の練習に参加するようになり、ナビスコカップで公式戦デビューも果たしています。さらに、U-22の日本代表として北京オリンピックの予選にも出場しました。
大学4年生だった2008年、長友佑都は学生のままFC東京と正式契約を結び、Jリーガーとしてデビューしました。卒業まで待たずにプロ選手になった背景には、シングルマザーで自分を育ててくれた母親に、楽をさせたかったという思いがあったそうです。このときの年俸300万というのは安いようにも思えますが、新卒選手としては一般的な金額です。
FC東京
2009年、長友佑都が所属するFC東京は、ナビスコカップで優勝を収めました。長友佑都はその勝利に貢献し、Jリーグのベストイレブンにも選出されます。さらに、前年に北京オリンピックの日本代表に選ばれたのもあって、年俸は2000万円まで一気に跳ね上がりました。
翌2010年はワールドカップの南アフリカ大会が開催された年です。長友佑都は予選のすべての試合にフル出場し、日本代表チームが決勝トーナメントに進むのに貢献します。年俸もさらにアップしました。
また、このときの活躍が認められ、当時イタリアのセリエAに所属していたACチェゼーナへのレンタル移籍が決まります。涙の退団セレモニーを経て、長友佑都はJリーグから世界へと飛び出しました。
長友佑都の年俸推移【海外編】
2010-2011年(チェゼーナ) | 1億1000万円 |
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2011-2012年(インテル) | 1億4000万円 |
2012-2013年(インテル) | 1億4000万円 |
2013-2014年(インテル) | 4億円 |
2014-2015年(インテル) | 4億円 |
2015-2016年(インテル) | 4億円 |
2016-2017年(インテル) | 4億3750万円 |
2017-2018年(ガラタサライ) | 2億5920万円 |
2018-2019年(ガラタサライ) | 2億4000万円 |
2019-2020年(マルセイユ) | 約5000万円 |
海外に移籍した長友佑都は、それぞれのチームの勝利に貢献するだけでなく、ワールドカップの最多出場記録に並ぶなど、歴代の日本人サッカー選手と比べても見劣りしない活躍を見せました。そのおかげで年俸はFC東京時代と比べると一気にジャンプアップしています。それでは、チェゼーナに移籍してから、現在までの長友佑都について見ていきましょう。
ACチェゼーナ
長友佑都にとって初の海外移籍となったチェゼーナでは、すべての試合に出場し、チームから高く評価されました。2011年はアジアカップにもフル出場し、日本代表の勝利に貢献します。アジアカップ6試合にフル出場というのは、歴代のサッカー選手のなかでも長友佑都と今野泰幸のみという快挙です。
また、2011年の初めには、インテルへのレンタル移籍も決定しました。2010年~2011年の長友佑都の年俸は1億1000万円と、日本にいた頃よりはるかに上がっています。国際試合でも活躍を見せたため、長友佑都の市場価値も上がったのでしょう。