【66選】NBA選手の名言集!心に響くかっこいい言葉を英語&日本語で厳選!

NBAで活躍する選手の名言を紹介します。かっこいい英語の名文やNBAに行った日本人選手の言葉、短いけれど心に響くセリフ、努力の大切さが伝わってくる格言まで、幅広く解説しています。バスケだけでなく人生に役立つ名言がたくさんあるので、ぜひチェックしてください。

目次

  1. NBAで活躍するバスケ選手の名言66選!
  2. NBA選手はプレーだけでなく名言もかっこいい!

名言【日本語&英語】

・One of the hardest things for a ball player to do is to accept his role.
(バスケ選手にとって難しいことのひとつは、役割を受け入れることだ。)
・Everything was a lesson learned and a step forward for me.
(すべては学ぶべき教訓で、自分が前進するためのステップだった。)
・I don't really have any regrets.
(僕は本当に後悔していない。)

スコッティ・ピッペンは、デビューから11年、ブルズでプレーしています。チームに長くいたぶん、人間関係や年俸問題でさまざまなトラブルがあり、つらい時期もありました。スター選手で居続けるには多くの苦労があること、それでも前を向き、後悔しない選択をすべきであることを、彼の英文は語っています。

デニス・ロッドマン選手の心に響く名言

出典:https://www.pinterest.jp/pin/10907224088879892/

生年月日(年齢)1961年5月13日(61歳)
出身ニュージャージー州トレントン
身長/体重201cm/105kg
ポジションPF、SF
成績NBAオールスター(1990,1992)、NBA最優秀守備選手賞(1990,1991)、NBAリバウンド王(1992–1998)など

デニス・ロッドマン選手は、リバウンドとディフェンスに高い能力を発揮した人物です。派手な髪型や全身のタトゥーが目立つ選手で、暴力的とも捉えられる激しいディフェンスをしていたことから「バッドボーイズ」などと呼ばれていました。しかし、所属したデトロイト・ピストンズやシカゴ・ブルズをNBAにチャンピオンに導いており、ファンも多い名選手です。

デニス・ロッドマンは、リバウンドに長けた選手として知られています。学生時代にリバウンドを取ることの魅力に気づき、ゴールを決めるよりもリバウンドに執着していました。人のシュートを見て、ボールの跳ね返る角度や飛ぶ位置などを真剣に研究していたそうです。なお、人気マンガ『SLAM DUNK』の主人公・桜木花道は、彼がモデルと言われています。

名言【日本語&英語】

・The one thing I do that nobody else does is jump three and four times for one rebound.
(僕がやっていることで、他の誰もしていないことは、ひとつのリバウンドのために3回も4回もジャンプすることだ。)
・My rookie year, I was very immature.
(僕はルーキーイヤーのとき、とても未熟だった。)
・Don't let other people decide who you are.
(君が何者なのか、他の誰かに決めさせるな。)

デニス・ロッドマンは前述のようにディフェンスが激しく、さらにコートの外でのスキャンダルも多かったので、アンチファンもたくさんいました。しかしそれは、彼が常に自分らしく生きていたことの証でもあります。こだわりのリバウンドのために何度もジャンプし、過去を振り返って未熟だったと反省するなど、バスケに対してはとても真面目な人物です。

マジック・ジョンソン選手の心に響く名言

出典:https://www.pinterest.jp/pin/196258496252857520/

生年月日(年齢)1959年8月14日(62歳)
出身ミシガン州ランシング
身長/体重206cm/100kg
ポジションPG、PF
成績NBAファイナルMVP(1980,1982,1987)、NBA最優秀選手賞(1987,1989,1990)、NBAオールスター(1980,1982-1992)など

NBAのブームを巻き起こし、バスケの面白さを世界に認知させた人物のひとりと言われているのが、マジック・ジョンソン選手です。ロサンゼルス・レイカーズに所属し、チームをチャンピオンに導いたほか、何度もMVPやアシスト王などに輝きました。マイケル・ジョーダンと並び称されることも多く、史上最高のバスケ選手、歴代最高のPGなどと呼ばれています。

また、相手を見ないでパスする「ノールックパス」を世に広めた選手でもあります。マジック・ジョンソンがどこにパスするのか、誰にも予想できないことが何度もあり、敵チームはもちろん、チームメイトや観客、テレビ中継を撮影するカメラマンまで、ボールの行方を見失うことがたびたびありました。パスが勝敗を左右することを、証明した人物とも言えます。

1991年、マジック・ジョンソンはHIVに感染していることが判明したため、一度現役を引退しました。しかし体調が良好だったためオリンピック代表に参加し、マイケル・ジョーダンやラリー・バードとともに金メダルを獲得しています。その後、NBAに戻るためにHIVの啓蒙活動を積極的に行い、みごとコートへの復帰を果たしました。

名言【日本語&英語】

・I grew up poor, but I didn’t have poor dreams.
(僕は貧しい家庭で育ったが、貧しい夢は持たなかった。)
・In life, winning and losing will both happen. What is never acceptable is quitting.
(人生には、勝つことも負けることも、両方起きる。決して受け入れられないのは、諦めることだ。)
・When you face a crisis, you know who your true friends are.
(批判に直面したとき、真の友人は誰なのかを知ることになる。)

マジック・ジョンソンは兄弟が多く、幼少期は決して裕福ではありませんでした。しかし、誰よりも練習し、努力に努力を重ねて、スーパースターになります。それでも、負けることもあればHIV感染などの苦境に立たされることもあり、勝利ばかりではありませんでした。彼の言葉からは、どんなことがあっても前を向き、走り続けることの大切さが伝わってきます。

ラリー・バード選手の心に響く名言

出典:https://www.pinterest.jp/pin/22025485668483468/

生年月日(年齢)1956年12月7日(65歳)
出身インディアナ州ウェストバーデン
身長/体重206cm/100kg
ポジションSF、PF
成績NBAファイナルMVP(1984,1986)、NBAシーズンMVP(1984-1986)、NBAオールスター(1980-1988,1990-1992)など

正確なプレーでゴールを量産し、リバウンドやアシストにも長けていたのが、ラリー・バード選手です。オールスターに何度も出場し、MVPも複数回獲得しています。NBA史上、最も優れたSF(スモールフォワード)とも言われています。

ラリー・バードは、NBAのスーパースターであるマジック・ジョンソンと同時期に活躍した選手です。大学時代からしのぎを削ってきた2人は、NBAにおいても常にライバルとして戦い続けました。ラリー・バードとマジック・ジョンソン、そして少し後輩のマイケル・ジョーダンの大活躍により、NBAは今日のような世界的な人気を得ることになったのです。

ラリー・バードは、現役時代のすべてをボストン・セルティックスで過ごしました。彼の活躍のおかげで、チームは1980年代に3度もNBAチャンピオンになっています。引退後はインディアナ・ペイサーズの監督に就任し、指導者としても優れた能力を発揮しました。現在はペイサーズの顧問を務めています。

名言【日本語&英語】

・Push yourself again and again. Don't give an inch until the final buzzer sounds.
(自分自身を何度でも後押ししろ。最後のブザーがなるまで、1歩たりとも譲ってはいけない。)
・I don't know if I practiced more than anybody, but I sure practiced enough.
(誰よりも練習したかどうかはわからないが、十分に練習したことは確かだ。)
・First master the fundamentals.
(最初にやるべきことは、基礎をマスターすることだ。)

ラリー・バードは、当時としては数少ない白人の選手で、身体能力は他の選手に比べるとそれほど高くありませんでした。しかし、誰よりも練習を重ね、やがて頭脳的でテクニカルなプレーを身につけます。彼の言葉には、そうした努力の跡や、それにより手に入れた自信がにじみ出ています。