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大久保嘉人の年俸はいくら!?
サッカー選手の大久保嘉人は、2001年にJリーグに初出場をして以来、世界で活躍し続けています。大久保嘉人のポジションはFWで、闘争心やパワーの溢れるプレーをする選手ということで有名です。また、シュートが上手く得点力のある選手としても人気で、勝利にこだわる熱い気持ちに共感、応援するファンも少なくありません。
大久保嘉人はデビュー戦から現在に至るまで、数々のチームを転々とし、2021年現在はセレッソ大阪に移籍したばかりです。そんな大久保嘉人ですが、サッカー選手にとって市場価値とも言える年俸はどれくらいなのでしょうか。歴代の年俸から最新情報まで、推移を表で紹介します。まずJリーグ時代から見ていきましょう。
大久保嘉人の年俸推移【Jリーグ時代編】
2001年(セレッソ大阪) | 400万円 |
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2002年(セレッソ大阪) | 1,000万円 |
2003年(セレッソ大阪) | 2,000万円 |
2004年(セレッソ大阪) | 3,000万円 |
2006年(セレッソ大阪) | 5,000万円 |
2007年(ヴィッセル神戸) | 6,000万円 |
2008年(ヴィッセル神戸) | 6,000万円 |
2010年(ヴィッセル神戸) | 8,000万円 |
2011年(ヴィッセル神戸) | 8,000万円 |
2012年(ヴィッセル神戸) | 7,000万円 |
2013年(川崎フロンターレ) | 7,200万円 |
2014年(川崎フロンターレ) | 9,000万円 |
2015年(川崎フロンターレ) | 1億万円 |
2016年(川崎フロンターレ) | 1億万円 |
2017年(FC東京) | 1億2,000万円 |
2018年(川崎フロンターレ) | 6,000万円 |
2019年(ジュビロ磐田) | 8,000万円 |
2020年(東京ヴェルディ) | 8,000万円 |
2021年(セレッソ大阪) | 2,000万円 |
2001年にセレッソ大阪でデビューしてから最新情報までの所属チーム、歴代年俸の推移を表にしました。途中で3年間海外のチームに所属していた期間は、別見出しに分けて記載しています。それでは大久保嘉人のJリーグでの活躍と歴代年俸の推移、全盛期の年俸などを見ていきましょう。
セレッソ大阪(2001年~2004年)
大久保嘉人は、サッカーの名門である国見高校を卒業後の2001年、セレッソ大阪に入団しました。入団1年目の年俸は歴代最低額の400万円です。同年3月にJリーグデビューを果たしたものの、左三角靱帯を損傷してしまい同年開催のワールドユースの出場を逃し、J2に降格します。
2002年にはリハビリの効果もあり、29試合に出場、得点ランキングは2位の18得点を残すなど好調な年となり、アテネオリンピックの日本代表にも選出されます。2年目の年俸は1,000万円です。
2003年、2004年にはJ1に昇格、日本最多得点の16得点を入れたり、合計24試合に出場したりするなどU-22としても大活躍します。2004年のアテネオリンピックにも出場し、パラグアイ戦、ガーナ戦では決勝点となる日本歓喜のゴールを入れました。このオリンピックでの大活躍がきっかけとなり、次の年RCDマヨルカへの移籍が決まります。
セレッソ大阪(2006年)
RCDマヨルカからセレッソ大阪に復帰後は、奮闘を続けたものの6戦連続無得点という厳しい状況に陥り、J2に降格してしまいます。
ヴィッセル神戸(2007年~2008年)
2007年になると、大久保嘉人はヴィッセル神戸に移籍します。移籍金はなんと3億円で、移籍後は主将としてチームを束ねました。年俸は前年より1,000万円上がり、6,000万円です。リーグ戦では14得点を挙げ、カメルーンとの国際親善試合では日本人代表選手として活躍する好調な年となります。
2008年には右膝半月板を損傷したものの、その後の着実なリハビリと活躍により、ワールドカップ予選に選出されます。しかし、オマール戦では相手チームのGK、アリ・アル・ハブシを蹴ってしまったことで退場、その後出場停止となるなどのハプニングもありました。年俸は前年と同じく6,000万円です。
ヴィッセル神戸(2010年~2012年)
ドイツ・VfLヴォルフスブルクから帰国後の2009年には、ヴィッセル神戸に復帰します。この年、年俸はVfLヴォルフスブルクと同額の8,000万円でした。
2010年に東アジアサッカー選手権で左膝内側側副靭帯損傷、4月には鼻骨骨折、ワールドカップ期間中には左膝を負傷するなど怪我の多い1年となりました。その後、怪我の手術や燃え尽き症候群を発症したこともきっかけとなり戦線からは離脱してしまいます。
2012年ガンバ大阪戦では前半は好調だったものの、第7節柏レイソル戦では再び負傷、クラブの降格が決定しました。その後契約期間は残っていましたが、クラブから移籍を勧められたこともあり、川崎フロンターレへの移籍を決めます。この年の年俸は負傷や降格もあり、前年を1,000万円下回る7,000万円でした。