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『アイリスカイル』とは
生年月日 | 1974年8月22日 |
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出身地 | アメリカ合衆国 ミシガン州 ベントン・ハーバー |
身長 | 170cm |
体重 | 68–76 kg(オンシーズン)、79–82 kg(オフシーズン) |
SNS | Instagram、Twitter、Facebook、オフィシャルウェブサイト |
アイリスカイルとはアメリカ出身のプロボディビルダーです。女子ボディビル大会の最高峰であるMs. Olympiaで通算10回優勝、そしてMs.Olympiaの次に有名とされるMs.Internationalでも7回優勝歴があり輝かしい成績を残してきました。その功績により男性、女性の垣根を超えて、ボディビル界でもっとも成功した人物と呼ばれています。
現在はオンラインでの栄養指導や筋肉トレーニング指導を行うトレーナーとして活動、また、日本人初のプロボディビルダーである山岸秀匡とBodiCafeというサプリメントショップも経営しています。
(ボディビルポーズについては以下の記事も参考にしてみてください)
ボディビルポーズの種類&名前一覧!見せる筋肉部位〜評価の基準まで徹底解説!
出典:Slope[スロープ]
アイリスカイルの生い立ち
ボディビルディングを始めるまで
アイリスカイルは1974年8月22日にアメリカ合衆国ミシガン州ベントン・ハーバーで6人兄弟の5番目の娘として生まれました。若い頃からスポーツが得意だった彼女はクロスカントリー、バスケットボール、ソフトボールなど様々なスポーツをしていました。
特にバスケットボールの才能は華々しく、毎年各スポーツで優秀な選手が選出されるオールアメリカのバスケットボール部門の選手に選ばれ、沢山の学校から奨学金のオファーを受けることになります。その奨学金で高校はベントン・ハーバー高校に、そして大学も奨学金でアルコン州立大学に進学しました。大学では経営学を専攻していたようです。
ボディビルディングとの出会い
アイルスカイルは大学を卒業し、カリフォルニアに移住しました。その際に健康体の人々に囲まれた事により刺激を受け、自分もこんなふうになれるのではないかと意気込んでジムに入会することになります。初めてジムに入会した時は圧倒的な数のマシンに圧倒されたそうですが、同時にここでなら自分の理想とする体になれるという自信もあったと語っています。
その後、入会したジムの従業員になり、トレーニングについて学んでいきました。その頃からアイリスカイルはFLEX、Iron Manなどのフィットネス雑誌を愛読しており、ある時レンダ・マレーという女性ボディービルダーの写真を見つけました。衝撃をうけたアイリスカイルはその写真を切り取り、自宅の冷蔵庫に貼り付け彼女のような体になると目標を立てました。
ボディビルディングの世界に入った後
ボディビルディングに興味をもったアイリスカイルは1994年に地元のLong Beach Muscle Classicという大会に挑戦して優勝を果たします。その後、プロボディビルダーのパトリック・リンをコーチにつけ、1998年のNPC USA Championshipsラスベガス大会にて優勝。若干22歳という若さでIFBBのプロカードを手に入れ、プロへの仲間入りを果たしました。
1994年にボディビル界の世界最高峰の大会であるMs. Olympiaに出場し、初出場ながも4位という好成績を残します。その後、快進撃は続き2001年に初優勝しました。2002年と2003年は残念ながら2位と優勝は逃していますが、その時の優勝者はアイリスカイルが憧れていたレンダ・マレーでした。その後通算10回の優勝を果たしその名を轟かせました。
現在
輝かしい功績を残したアイリスカイルは、2014年で女性部門であるMs.Olympiaが無くなると共に引退を表明しました。その後は大学で培った経営学の知識を生かし、オンライン上でトレーニングや栄養のアドバイスを行うHealthier by Choiceの運営や、ビジネスパートナーである山岸秀匡と共同でサプリメントショップBodiCafeを運営しています。
2014年から部門が無くなってしまっていたMs.Olympiaですが2020年に再開することが決定し、アイリスカイルも参加の意をインスタグラムで伝えています。鍛え抜かれたアイリスカイルの筋肉美が見られるのは嬉しいですね。11回目の優勝となるのか、今から楽しみです。
アイリスカイルの現在は山岸秀匡と結婚?
アイリスカイルは日本人初のプロボディビルダーの山岸秀匡と交際していると公言していましたが、結婚しているという事実はありません。また、山岸秀匡とは破局し、その後別の男性と交際中との噂もあります。
しかし、共同経営中のBodiCafeやインスタグラムを見ていると、山岸秀匡とはトレーニングパートナー兼ビジネスパートナーとして今でも良い関係を築いていることが伝わってきます。