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小沼敏雄の身長・体重などのプロフィール
小沼敏雄は伝説のボディビルダーと呼ばれる人物です。驚異的な大会出場回数を誇り、驚異の13連覇を果たした人物でもあります。ではそんな小沼敏雄の基本プロフィールを確認していきましょう。
名前 | 小沼敏雄 |
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生年月日 | 1959年1月2日 |
職業 | ボディビルダー、パーソナルトレーナー |
身長 | 175cm |
体重 | 78kg~85kg |
体脂肪率 | 減量末期で5.7% |
学歴 | 芝浦工業大学 |
小沼敏雄の場合、ツイッターやインスタ、YouTubeなどのSNSは利用していないようでした。これは現在60代という年齢を考えれば不思議はないのかもしれません。ただ、とても人気がある伝説のボディビルダーなので、SNSを始めればすぐにフォロワーがつくことが容易に想像できるでしょう。
(ボディビルダー合戸孝二については以下の記事も参考にしてみてください)
ボディビルダー『合戸孝二』を特集!嫁・失明〜筋トレ&食事についてまで!
出典: Slope[スロープ]
小沼敏雄の昔〜現在までの生い立ち・経歴
では小沼敏雄の昔~現在までの生い立ちや経歴を見ていきます。幼少期の様子や大会成績など、伝説のボディビルダー小沼敏雄の人生を振り返ってみましょう。
体の弱い幼少期
筋骨隆々の小沼敏雄ですが、幼少期は心臓が悪いため医者から運動制限をされていたといいます。小学校の体育の授業でも校庭を走っていいのは1周だけでした。また、小沼敏雄の父親も心臓病で51歳の時に亡くなっているため、遺伝的に心臓が弱いのではないかと本人が語っています。
ただ、小沼敏雄は運動ができないおとなしい子供ではありませんでした。比較的活発でガキ大将タイプだったのでいつも友人に囲まれていたといいます。
いじめ
中学生の時にはいじめにも遭いました。いろいろと同級生と一緒に悪さをしていた小沼敏雄はあるとき同級生の親から呼び出されこっぴどく叱られます。この時の恐怖体験がトラウマになり、学校で話すことができなくなってしまいました。
話すことができなくなった小沼敏雄を同級生がいじめ始めました。また小沼敏雄も当時は身長が150cmくらいしかなく、チビとからかわれた過去があります。
筋トレを始めたきっかけ
小沼敏雄は高校生になっても体重は50kgほどしかないひ弱な雰囲気を漂わせていました。しかしこのとき小沼敏雄は強くなれば馬鹿にされなくて済むのでは?と考えます。そんな時期に小沼敏雄はテレビでボクシングの試合を見て、ロイヤル小林という選手の筋肉の迫力の虜になりました。結果としてボクシング部に入部することになります。
小沼敏雄はボクシングにのめり込みます。ボクシングの練習をしているだけでも筋力がついていき、学年が上がるごとに階級もアップしていきました。もっとパンチ力を強化したいと考えウエイトトレーニングを始めたのは高校3年生からです。バーベルセットを購入して自宅で毎日筋トレに励みました。もちろんこの頃にはいじめが完全になくなっています。
大学時代
大学に入るとボクシングは辞めてボディビルを始めました。田端にあったトレーニングアカデミーに通って全身を2つに分けて週に6日間トレーニングをしていたと語っています。またこの時期にはコンテストに出ることを決めていたのでかつては好き嫌いが多かった小沼敏雄ですが、この時期は何でも食べるようにしていました。
初めてのコンテストは大学2年生の時の関東学生選手権です。コンテストのために炭水化物を一切摂らないダイエットをして体重が20kgも落ちました。しかし体はふらふらで見た目も絞れていなかったと回想しています。またこの時期にライバルである法政大学の高西文利と出会いました。