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山本義徳は2005年に開催されたNPC トーナメント・オブ・チャンピオンズに出場し、ヘビー級にて優勝します。ボディビルダーとしてはこの大会で引退ということになり、その後はダルビッシュ有や松坂大輔などをはじめとして多くの選手をトレーナーとして指導しました。
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出典:Slope[スロープ]
山本義徳の若い頃の全盛期について
ここからは、豊富な知識から筋肉博士とも呼ばれる山本義徳の、若い頃の全盛期について紹介していきます。記録や成績などを詳しく紹介していくので、過去の記録が気になる方はこちらをチェックしてみてください。
日本ボディビル選手権大会8位
山本義徳は、1991年にパワーリフティング大会で優勝したのちに、ボディビルダーに転身します。1994年には日本で一番レベルが高い大会として知られている日本ボディビル選手権大会に出場しており、8位入賞という記録を残しました。
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IFBBミスターアジア3位
山本義徳は国内だけでなく、海外の大会にも出場しています。これは、1995年に国内で行われたJBBFの大会に出場し、ドーピングで陽性反応が出たことがきっかけとなっています。
抜き打ち検査で陽性反応が出た彼は2年間の出場停止処分を受けてしまい、海外の大会に出場するようになりました。同年、IFBBミスターアジアのライトヘビー級に出場し、3位入賞という好成績を残しました。
NPCアイアンマン・アイアンメイデン優勝
1995年にIFBBミスターアジアで3位という結果を残した山本義徳は、1998年にはアイアンマン・アイアンメイデンのライトヘビー級に出場し、見事優勝を果たしました。これまではライトヘビー級に出場していた彼ですが、優勝を期にヘビー級に出場していくようになります。
NPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ優勝
2000年からヘビー級に転身してさまざまな大会に出場した山本義徳ですが、なかなかよい結果を残すことはできませんでした。
それでも大会への出場を続けた彼は、2005年にとうとうNPCトーナメント・オブ・チャンピオンズのヘビー級で優勝を果たしました。同大会のヘビー級での優勝は、日本人で初の快挙でもあります。そして、この優勝を期にボディビルを引退しました。
ベンチプレスで260kgを持ち上げる
先ほど紹介した通り、山本義徳は高校時代に入ったラグビー部のトレーニングでベンチプレスを始めました。初めて持ち上げた重量でも80kgというかなりの記録を残しており、当時からすでにかなりのセンスを見せつけています。ベンチプレスの才能を自覚した彼は、その後本格的にベンチプレスのトレーニングを始めたようです。
ベンチプレスの練習で活用したのは、ベンチプレスの世界記録保持者であるテッド・アーシティの筋トレ方法です。そのとき見た雑誌に紹介されていた彼の筋トレ方法を半分の量にしてトレーニングに打ち込み、高校を卒業するころには140kgのベンチプレスを挙げられるまでになりました。
留年時代、大学時代も変わらずトレーニングに打ち込み、体育祭ではとうとう165kgものベンチプレスを持ち上げました。20歳で200kg、25歳で250kg、30歳で300kg持ち上げるという目標を掲げ、26歳ではついに260kgものベンチプレスを挙げることに成功します。その後、彼はベンチプレスからボディビルへの道へ進んでいくことになりました。
(山本義徳がベンチプレス260kgを挙げた方法については以下の記事も参考にしてみてください)
山本義徳がベンチプレス260kg挙げた方法|学生時代から記録更新の時系列まで紹介
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