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【2024最新】中田英寿の年俸!デビューから全盛期の推移〜サッカー外まで!

2021年06月22日

日本サッカー界のレジェンド、中田英寿の歴代所属チームと年俸の推移を解説します。セリエAと日本代表での全盛期のプレーや、同時期に活躍した日本代表選手との年俸比較、現在でも億を超える年収を得ているといわれる仕事内容についても最新情報を紹介します。

ベルージャでの活躍が認められ、セリエA上位のASローマに移籍が決まります。年俸は飛躍的に上がり2億5,000万に上昇しました。ローマはスター選手ばかりのチームだったため試合に参加する機会はやや少なかったものの、優勝争いにも大きく貢献しその名を知らしめていきます。伝説的なプレーも生まれ、年俸も選手としても全盛期といわれた時代です。

パルマへ移籍し守備でも活躍

出典:https://victorysportsnews.com/articles/119/original

ローマでセリエAの優勝を経験し、パルマへ移籍します。そのときのパルマはスター選手が抜けてしまったためにレベルが落ちていたものの、出場機会を得たい中田英寿は移籍を決めました。しかし、パルマではこれまでのトップ下ではなく、チームをまとめるポジションを求められます。

攻撃に加わる場面は少なくなってしまいましたが、それでも与えられた役目を確実にこなし、チームから期待された活躍を見せました。チームは優勝とは遠い位置でシーズンを終え、中田もパルマを後にします。

ボローニャへレンタル移籍

出典:https://customize-your.com/4688

2003年-2004年の冬、ベルージャ時代の恩師である、マッツォーネ監督が率いるボローニャにレンタル移籍します。ボローニャではセンターハーフで活躍し、セリエAと日本代表を並行した過密スケジュールをこなしました。グロインペイン症候群という下腹部や股関節の故障を抱えながらもチームに貢献します。

しかし、パルマとボローニャの間の金銭面のトラブルによりボローニャへの完全移籍はかないませんでした。

低迷期のフィオレンティーナ時代

出典:https://news.livedoor.com/article/image_detail/962054/

ボローニャへの移籍が叶わず、フィオレンティーナに完全移籍しました。グロインペイン症候群の治療をしたものの、全盛期とは違いファンが期待するプレーができず、年俸は一気に減少してしまいます。パルマ時代に軋轢のあったプランデッリが監督がチームに就任し、中田英寿は移籍を決めました。

イタリアを離れボルトンへ

出典:https://www.soccerdigestweb.com/topics_detail9/id=68150&repeatCnt=23

7年間過ごしたイタリアからイングランドのボルトンへレンタル移籍し、まもなくレギュラーの座につきます。日本代表試合から招集され全試合に出場、しかしチームでの活躍を重要視していた監督と不和が生じます。また、中田が得意とするプレーとチームの戦術とが合わないことも理由となり、契約途中での解除を申し出ました。

ドイツワールドカップ後、現役を引退

出典:http://germany2006.nikkansports.com/paper/p-sc-tp4-20060704-0028.html

世界で活躍した中田英寿ですが、29歳で惜しまれつつ現役を引退しました。最新情報では、その理由をのちに本人が、サッカーをこれまでのように楽しめなくなったためと語っています。サッカーを好きであり続けるために一旦離れたほうがいいという思いが下した決断でした。

サッカーについては指導者に回ることもないと明言した今も、トレーニングを続けてそのスタイルを維持しています。

(中田英寿の筋肉が凄い!については以下の記事も参考にしてみてください)

中田英寿のサッカー以外の収入は?

サッカー選手を引退後、世界中を旅していた中田英寿。世界を見たことで、日本について無知であることに気づき、日本全国を回って伝統文化に触れる旅をしていました。現在は、サッカーにかかわる仕事以外に、日本の素晴らしい文化を世界に発信するビジネスを展開しています。

全盛期では4億円の年俸を受け取っていましたが、現在も億を超える年収があるといわれています。何から収入を得ているのか、最新情報から引退後の主な仕事を紹介します。