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『ジョーウィダー』とは
生年月日 | 1919年11月29日 |
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出身地 | カナダ・モントリオール |
身長 | 177.5cm |
体重 | 79.4~83.9kg |
SNS | ジョーウィダー公式HP・ウィダー社HP |
ジョーウィダーとは、世界最高峰のボディビル大会であるミスターオリンピアを創立した人です。パーソナルトレーナーや栄養食品メーカー、本の出版などと広い分野で精力的に活動しボディビル界の父と言われる程大きな影響を与えましたが、2013年3月23日に心不全のため93歳で永眠しました。
ジョーウィダーの生い立ち
貧しかった幼少期や筋トレとの出会い、そしてオリンピアの開催などジョーウィダーの生い立ちを紹介していきます。ボディビルの歴史とも言えるジョーウィダーはどのような生涯を過ごしたのでしょうか。
幼少期
ジョーウィダーはカナダのモントリオールで生を受け、貧しい環境の中育ちました。そして、ジョーウィダーは家計を助けるために中学校をたった1年で中退します。中学校を中退した後は食料品を届ける仕事で家計を支えていましたが、この頃はよくいじめられていたと言います。そんな時、書店にあった雑誌で筋トレを知ったことが筋トレとの出会いでした。
筋トレと雑誌の発売
書店で筋トレと出会ったジョーウィダーは自己流で筋トレを開始します。その頃にどんな筋トレをしていたのかは不明ですが、電車のホイールと車軸を溶接した75ポンド(約34kg)のバーベルでトレーニングしていたことを弟のベンウィダーがアメリカの取材に語っています。
重量挙げがメインでボディビルは余興、そんな時代の中、筋トレを続けたジョーウィダーは重量挙げのコンテストで優勝するくらいの実力を身に付けていきました。そして、自身の筋トレをまとめた本を出版することになります。
ウィダー社設立
ジョーウィダーが本を出版した後にパーソナルトレーナーとして活動したり、栄養食品メーカー「ウィダー社」を立ち上げたりと事業を大きくします。ですが、会社はなかなか軌道に乗りませんでした。ボディビルがまだまだマイナーな種目だったためです。会社が軌道に乗ったのは第二次世界大戦が終わった頃で、そこから会社は大きく成長していきます。
第1回ミスターオリンピア開催
ビジネスも軌道に乗った1946年、ジョーウィダーは初めてボディビル大会「ミスター・カナダ」を主催します。また、この頃に雑誌の出版も精力的にしたことでボディビル界への影響力を高め、1965年に第1回「ミスターオリンピア」を開催するまでに至ります。
栄光と死
ミスターオリンピア初開催の後、有望なボディビル選手たちを集めたことなどによってボディビル人気は高まり、IFBBがボディビル界の頂点に立ちます。その後もジョーウィダーは精力的に活動を続け、本や雑誌の出版などチャレンジを続けてきました。そして2013年3月、ボディビル界に大きな影響を与えたジョーウィダーは心不全によりアメリカで永眠しました。
ジョーウィダーとアーノルドシュワルツェネガー
ジョーウィダーとアーノルドシュワルツェネガーはとても良い関係にありました。ここでは、ジョーウィダーとアーノルドシュワルツェネガーの出会いから現在までを紹介していきます。
アーノルドとの出会い
アーノルドシュワルツェネガーは1967年にNABBAが開催したミスターユニバースで優勝したことでボディビル界の注目を集めていました。その後にマイアミで開催されたミスターユニバースに参戦したアーノルドシュワルツェネガーはジョーウィダーとの出会いを果たすのです。
アーノルドの渡米と活躍
ジョーウィダーはアーノルドシュワルツェネガーと出会った時に、アーノルドシュワルツェネガーのボディビルダーとしての素質だけでなく、その内に秘められたスター性をも見出します。そのため、ジョーウィダーはアーノルドシュワルツェネガーをオーストリアからアメリカへ招き、経済的なことも含めてサポートしていくことにしました。
ジョーウィダーのサポートを受けたアーノルドシュワルツェネガーは、ボディビルダーとして大きく成長しただけでなく、ハリウッドで映画俳優として活躍します。ジョーウィダーの見込み通りスター性のあったアーノルドシュワルツェネガーは、カリフォルニア州知事になるまでに成長することになります。
ジョーウィダーとアーノルド
ジョーウィダーとアーノルドシュワルツェネガーはとても深い信頼関係を築いていました。ジョーウィダーは2006年にカルフォルニアで功績を称えて表彰されましたが、その時もアーノルドシュワルツェネガーがプレゼンターとして登場し、2人の関係の良さを垣間見ることができました。
ジョーウィダーのボディビルへの貢献
ジョーウィダーはボディビルに生涯をかけてきました。その生涯の中でジョーウィダーは多くの場面でボディビルに貢献しています。その一部を紹介していきます。
ボディビルをメジャー化
今ではボディビル界ではその名を知らない人はいないほどに有名なIFBB(国際ボディビルダー連盟)を弟のベンウィダーと共に設立しました。さらに、雑誌のユアフィジークなどを販売することでボディビルをメジャーな種目にしていきました。
(ボディビルの掛け声100選については以下の記事も参考にしてみてください)
【2022最新】ボディビルの掛け声100選!マツコ絶賛の面白い応援を多数紹介!
出典:Slope[スロープ]
タイトルの統一化
ジョーウィダーの著書「ミスター・オリンピア」では、1960年代のタイトルが統一されていなかったことについても書かれている場面があります。そこでは同じ国の中で同じタイトルが2つあったり、ミスター・ワールドというタイトルが数えきれないほどあったりしたことが書かれています。IFBB設立にはタイトルの統一化の意味もあった訳ですね。
ボディビルにプロ部門を新設
1966年に開催されたミスターオリンピアでは初めて優勝者に賞金が渡されました。賞金を出すことでプロボディビルダーとして生活できるようにするためだったことがジョーウィダーの著書「ミスター・オリンピア」に書かれています。大会が世界最高峰レベルになったことで、最初は1,000ドルだった賞金も現在では20万ドルを超えるようになりました。
(ボディビルポーズの種類&名前一覧については以下の記事も参考にしてみてください)
ボディビルポーズの種類&名前一覧!見せる筋肉部位〜評価の基準まで徹底解説!
出典:Slope[スロープ]
ウィダー原則を確立
ジョーウィダーは自分自身のトレーニング経験を踏まえたジョーウィダー独自のトレーニング理論を生み出しました。それが「ウィダー原則」と呼ばれるトレーニング原則です。ウィダー原則原則を確立させたことはボディビル界にとって大きな財産となりました。
ジョーウィダーは筋トレで筋肉を限界まで追い込むことや筋トレに様々なメニューを取り入れることで筋肉に常に刺激を与えることなどが大切であると考えていることを12年に渡る研究「Weider Training Principles」で明らかにしています。
健康的な食事を確立
ジョーウィダーの公式HPにも掲載されていますが、ジョーウィダーは栄養面にも大変気を付けていました。また、食事以外にもマルチビタミンをサプリで摂取することや、1日の食事回数を3回以上にすること、生野菜や果物を食事のメニューにいれることなど現在のボディビルダーの食事の礎となることを提言しています。
(筋トレ×食事については以下の記事も参考にしてみてください)
【筋トレ×食事】効果UPの食べ物〜筋肉の発達が停滞するNG例など徹底解説
出典:Slope[スロープ]
ジョーウィダーの筋肉を拝める画像集!
ジョーウィダーの筋肉を目指してみよう
何の知識もなくても、筋トレについて学んだりトレーニングを頑張ったりすると筋肉は目に見えて大きくなります。たゆまぬ努力によってそのことを実証したのがジョーウィダーではないでしょうか。トレーニングに食事管理などたゆまぬ努力の末にたどり着いたジョーウィダーの筋肉を目指してみましょう。