目次
マラドーナの背番号と言えば10番!
生年月日(年齢) | 1960年10月30日(享年60歳)td> |
---|---|
出身 | アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース |
身長 | 165cm |
所属チーム歴 | ・エストレージャ・ロハ ・ロス・セボジータス ・アルヘンティノス・ジュニアーズ ・ボカ・ジュニアーズ(loan) ・バルセロナ ・ナポリ ・セビージャ ・ニューウェルズ・オールドボーイズ ・ボカ・ジュニアーズ |
SNS | なし |
アルゼンチン代表を幾度も務めた伝説的サッカー選手と言えばディエゴ・マラドーナです。サッカー選手を引退してからも指導者としてサッカーに関わり続けました。2020年11月25日に急逝するまでサッカー界の神であり続け、歴史に残る人物でもあります。この記事ではそんなマラドーナの背番号について見ていきましょう。
(マラドーナもランクインするサッカー名監督ランキングについては以下の記事も参考にしてみてください)
サッカー名監督ランキング15選!史上最高の名将達の戦術・エピソードまで!
出典: Slope[スロープ]
マラドーナは10番以外でプレーしたことはある?
ではマラドーナは10番以外の背番号を背負ってプレーをしたことがあるのでしょうか?ここからは10番以外でプレイしたことがあるかどうかについて解説していきます。
当時の背番号は固定式ではなかった?
現在は背番号が固定式なので、何番と言えばどの選手というようにイメージできます。しかしマラドーナが活躍した時代は背番号が固定式ではありませんでした。基本的にスターティングメンバーが1番から11番までを占めます。つまりベンチスタートの場合は12番以降の背番号が割触れられることになっていたのです。
6番(1979年コパ・アメリカ)
1979年のコパ・アメリカに出場したときはマラドーナが6番を付けていました。これは当時の番号が固定制でなかったことから6番が割り振られたものだと考えられます。
16番(アルヘンティノス所属時代)
マラドーナはアルヘンティノスでは16番を付けていたとの情報がありました。しかし、その証拠になる記録はなく、「16番だったらしい」という噂どまりの情報となっています。
マラドーナの過去の背番号は?
ではマラドーナの過去の背番号を見ていきましょう。時系列順に「クラブ編」「代表編」と分けて確認してきます。
マラドーナの歴代背番号【クラブ編】
所属年 | 1976年〜1982年 | 1981年〜1982年 | 1982年〜1984年 | 1984年〜1991年 | 1992年〜1993年 | 1995年〜1997年 | 1993年〜1994年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
所属チーム | アルヘンティノス・ジュニアーズ | ボカ・ジュニアーズ(loan) | バルセロナ | ナポリ | セビージャ | ニューウェルズ・オールドボーイズ | ボカ・ジュニアーズ |
背番号 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 |
こちらから分かるようにディエゴ・マラドーナは、所属チームでは基本的に背番号10番を背負ってプレーしたことがわかります。
マラドーナの歴代背番号【代表編】
西暦年 | 1979年 | 1982年 | 1986年 | 1990年 | 1994年 |
---|---|---|---|---|---|
大会名 | FIFAワールドユース選手権 | ワールドカップ スペイン | ワールドカップ メキシコ | ワールドカップ イタリア | ワールドカップ アメリカ |
背番号 | 10 | 10 | 10 | 10 | 10 |
マラドーナが出場したワールドカップではすべて背番号10番でプレーしていることが分かっています。親善試合のときの情報はありませんが、そこでも10番を背負っていた可能性は限りなく高いでしょう。
(内田篤人のW杯にかける意気込みについては以下の記事も参考にしてみてください)
内田篤人の怪我名は?引退の決め手は膝?W杯の為に回避した手術まで
出典: Slope[スロープ]
マラドーナの背番号10を引き継いだ選手たち
かつてマラドーナが所属していたチームで10番を引き継いだ有名選手を紹介していきます。マラドーナの後継者には誰がなっているのか、注目です。
(サッカー選手の名言については以下の記事も参考にしてみてください)
サッカーの選手の名言集!海外・日本人・監督別に!かっこいい格言を網羅!
出典: Slope[スロープ]
パブロ・アイマール
天使のようなかわいらしいルックスでも人気になった選手です。2005年のコンフェデレーションズカップでマラドーナの背番号10番を背負いました。彼は正確なパスとテクニカルなドリブルを武器とし、スピード感あふれるサッカーをする選手です。マラドーナ自身も彼を「世界で唯一、金を払って見たい選手」だと絶賛しました。
フアン・ロマン・リケルメ
リケルメは2006年W杯、2007年コパ・アメリカ、2008年の北京五輪で背番号10番を背負いました。彼の武器は類まれなるテクニックと手足の長さを生かしたボールキープです。かつてはマラドーナを敬愛していましたが、監督になったマラドーナとは対立していたという裏話があります。
アリエル・オルテガ
オルテガはアルゼンチンの天才ドリブラーです。1998年のワールドカップ、1999年のコパ・アメリカ、そして2002年のワールドカップで背番号10番を付けました。彼の特徴は相手がついてこれないくらいの深い切り返しです。さらにパスセンスも高レベルでした。
イバン・ラキティッチ
イバン・ラキティッチはセビージャの10番を受け継いだ選手です。ポジションはMFで卓越したテクニックや多彩なパスによるゲームメイクの才能、さらに動き回ってもバテないスタミナが魅力の選手です。セビージャで10番を背負うことが決まったのは2020年の8月ということで、これから注目の選手でもあります。
ディエゴ・シメオネ
シメオネはアルゼンチン代表として活躍した選手です。常にというわけではありませんが、背番号10番を背負ったことがあります。機動力が高く、空中戦に強い選手でした。粘り強く努力家でもあり、理想的なMFだったと評価されています。
リオネル・メッシ
アルゼンチンのスター選手と言えばメッシを忘れてはいけません。マラドーナの後継者と言われ、マラドーナ本人も「マラドーナ2世である」とたいこばんを押す選手です。マラドーナが急逝した際、メッシは「彼は去るがいなくならない。ディエゴは永遠だから」と深い追悼の意を示しています。
(メッシの髪型については以下の記事も参考にしてみてください)
メッシの髪型全種【若い頃〜最新】失敗しないオーダー&セット方法を解説
出典: Slope[スロープ]
マラドーナの背番号が永久欠番のチームも?
マラドーナの背番号が永久欠番になっているチームもあります。それが1984年から1991年までプレーしたナポリなのです。ナポリではマラドーナの偉業をたたえる意味も込めて10番を永久欠番と決めています。
これはマラドーナが来たことで、ナポリが復活を遂げたというエピソードがあるからです。ナポリはマラドーナが来る前までは残留争いをするようなチームでした。セリエAではありつつも最下位付近にいるのが常となっていたチームだったのです。しかしマラドーナが所属したことで、順調に8位、3位と順位を上げ、1986年~1987年シーズンは優勝をしているのです。
この時代にはまだ背番号固定制ではなかったものの、マラドーナの代名詞である10番を永久欠番にすることに決定しました。しかし近年、マラドーナ本人がFWロレンツォ・インシーニェに対して「もし彼が私よりもゴールを取ったら、そのときは背番号10を着てもいい」とコメントしていました。
その他、マラドーナに関する記事もチェック!
マラドーナは神の手と呼ばれた偉大なサッカー選手でした。そんなマラドーナの凄さをこちらの記事から確認してください。
低身長の理由は何?
マラドーナが低身長であった理由を深く探るのがこちらの記事です。小柄ながら世界に通用した理由についても迫りました。
マラドーナの低身長は病気?引退後に体重が2倍に?小柄で世界に通用した理由も!
出典: Slope[スロープ]
動画でマラドーナの凄さに触れよう!
マラドーナがなぜ神の子と呼ばれるようになったのか。そのプレースタイルや得意技から理由を探っていきます。
【動画あり】マラドーナの『凄さ』は?プレースタイル・得意技を徹底解説!
出典: Slope[スロープ]
マラドーナの背番号は伝説の10番!
マラドーナは最初に所属したアルヘンティノス・ジュニアーズから全盛期を過ごした、バルセロナ時代やセビージャ時代、そして最後のチームであるボカ・ジュニアーズまで背番号10番を背負い続けました。マラドーナと言えば10番と言われるのは彼の偉業あってのものだということですね。