ドログバはコートジボワールの内戦を止めさせた英雄!スピーチの内容〜現在の情勢までも!

コートジボワールを代表するサッカー選手であるドログバは母国コートジボワールの内戦を止めさせたため国民に英雄として崇められています。今回は内戦を止めるきっかけになったW杯予選のときの伝説のスピーチ、内戦終結後の情勢などドログバの英雄的な活躍について紹介します。

目次

  1. ドログバは母国の内戦を止めた国民的ヒーロー
  2. ドログバはいかにして内戦を止めたのか?
  3. 平和のためにワールドカップ出場を目指す
  4. スピーチで平和を訴える
  5. 選挙は無事に実施
  6. 平和のため開催地を変更するように要請
  7. コートジボワールが再統一される
  8. ドログバが内戦を止めたコートジボワールの現在は?
  9. 内戦止めたドログバは名誉学位を取得!
  10. 名誉学位で功績を讃えられる
  11. 自らを『マン・オブ・ザ・ワールド』と表現も
  12. ドログバは内戦を止めた国民的英雄!

ドログバは母国の内戦を止めた国民的ヒーロー

生年月日1978年3月11日(年齢43歳)
出身アビジャン
身長189cm
所属チーム歴ル・マン
ギャンガン
マルセイユ
チェルシー
上海甲花
ガラタサライ
チェルシー
モントリオール・インパクト
フェニックス・ライジング
SNS TwitterInstagram

ドログバはコートジボワールを代表するサッカー選手です。母国コートジボワールの内戦を止めたため国民に英雄として崇められています。今回はドログバが母国の内戦を止めさせたエピソードについて詳しく紹介していきます。

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ドログバはいかにして内戦を止めたのか?

出典:https://www.pinterest.jp/pin/672584525575997237/

ドログバは母国コートジボワールの内戦を止めましたが、どのようにして内戦を止めたのでしょうか。ここからはドログバが内戦を止めた経緯について詳しく紹介していきます。

平和のためにワールドカップ出場を目指す

ドログバの母国コートジボワールでは2002年に政治家や軍部の権力闘争がきっかけで国内が政府派の南部と反政府派の北部に分裂し、戦争が勃発しました。この内戦によって多くの尊い命が奪われ、多くの国民が家を失い、路頭に迷っていました。

そんな状況に心を痛めていたドログバは、様々な出身者が集うコートジボワール代表が注目度の高いワールドカップに出場すれば国民に団結のメッセージを伝えることができると考え、2006ワールドカップ出場を目指します。

ドログバ率いるコートジボワールは2006ワールドカップのアフリカ予選で強豪カメルーン代表と同じ組になりますが、ドログバの活躍もあって7勝1分け2敗の好成績を残し、ドログバの願い通りワールドカップ出場を決めました。

スピーチで平和を訴える

コートジボワールがW杯出場を決めた試合のあと、今なお語り草になっている伝説的な名シーンが生まれます。W杯出場を決めた試合のあとの控室で、ドログバは生中継をしているテレビ局のリポーターのマイクを借りるとカメラに向かって内戦を終わらせるように国民に対してスピーチをしました。ドログバのスピーチの内容は以下の通りです。

「コートジボワールのみなさん、東部の人も、西部の人も、南部の人も、北部の人も、私たちはこうしてみなさんにお願いします。私たちは今日、ワールドカップ出場という同じ目標に向かって、出自を問わずに協力してプレーできることを証明しました。この喜びは人々をつなぐものだと信じています」

「私たちはひざまずいてみなさんに心底からお願いします。どうか許し合いましょう。アフリカ大陸に存在する我々の豊かなコートジボワールがいつまでも争い続けているわけにはいきません。お願いします。武器を置いて選挙を行ってください。そうすれば全てが良い方向に進んでいくでしょう」

選挙は無事に実施

スピーチが終わると真剣な表情だったドログバがにっこりと笑い、チームメイトともに「みんなで楽しみましょう。銃を撃つのは止めてください」と歌を歌いました。この試合の前は内戦によって選挙の実施が危ぶまれていましたが、ドログバのスピーチのあとに選挙は無事に実施され、停戦が実現しました。

平和のため開催地を変更するように要請

ドログバは2006ワールドカップ出場後もサッカーの力によって平和を実現しようとします。2010ワールドカップ予選のマダガスカル戦は当初、南部の首都アビジャンで開催される予定でしたが、ドログバは北部の反政府勢力の拠点で激戦地であったブアケに変更するように大統領に直訴します。このドログバの要請は受諾され、開催地がブアケに変更されました。

またドログバは国民みんなで一つになろうと呼びかけます。試合には南部出身者が中心の政府首脳が訪れ、出自を問わず、コートジボワール代表を応援しました。試合はコートジボワール代表が勝利し、ドログバの願い通り国民が一つになりました。

コートジボワールが再統一される

こうしたドログバの平和活動のかいもあって2011年4月に南北に分断されていたコートジボワールは再統一され、平和が訪れました。反政府軍の元指揮官は「ドログバのおかけで国は再統一の道を前進することができた」とコメントしています。

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ドログバが内戦を止めたコートジボワールの現在は?

コートジボワールは終戦して以来、カカオ、コーヒー、イモ類などの農業関連の産業を中心に順調な経済成長を続け、2016年には実質GDP成長率が7.5%、2017年には実質GDP成長率が6.9%を記録しました。コートジボワールは内戦終結後、アフリカ大陸随一の高度経済成長時代を迎えています。

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内戦止めたドログバは名誉学位を取得!

コートジボワールの内戦を止めたドログバは名誉学位を贈呈されるなど功績を称えられています。ここからはドログバに対する称賛について紹介していきます。

名誉学位で功績を讃えられる

ドログバはコートジボワールの内戦終結に貢献しただけでなく他にも社会貢献をしています。2009年には故郷に新病院を建設するため300万ポンドを寄付しました。

2007年には国連開発計画(UNDP)の親善大使に任命され、それ以降は貧困撲滅活動に携わっています。2011年には干ばつによるアフリカ北東部の大飢饉に対する認識を高め、援助金を集めるためのチャリティーマッチが行われたさいにはロナウドやジダン、フィーゴなどの往年の名選手が出場するように呼び掛けました。

2021年には学術機関であるRUSTAから今までの功績を称えて名誉学位を贈与されました。ドログバは自身のInstagramに喜びの声と家族に対する感謝の声を投稿しています。

自らを『マン・オブ・ザ・ワールド』と表現も

ドログバはフランス、イングランド、中国、トルコ、アメリカ、カナダでインパクトを残し、また世界各国でいろいろな人・文化と出会い、違いを受け入れる大切さを学んだ経験から自らを『マン・オブ・ザ・ワールド(世界を象徴した人間)』と表現しました。

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ドログバは内戦を止めた国民的英雄!

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サッカー選手として数々の偉業を成し遂げ、サッカーを通じて母国コートジボワールの内戦を止めさせたドログバはスポーツ史に残るスーパースターと言えます。コートジボワールでは、国民的英雄のドログバをコートジボワールの大統領に推す声があがっていますが、大統領に就任するのか、ドログバの今後の動向に注目です。