城彰二のプロフィール
生年月日(年齢) | 1975年6月17日(46歳) |
---|---|
出身 | 北海道室蘭市 |
身長 | 179cm |
職業 | 北海道十勝スカイアースの統括ゼネラルマネージャー(2021年現在) |
SNS | Instagram、Youtube |
城彰二は日本代表の主力として活躍したこともある元プロサッカー選手です。今回はそんな城彰二の現在の活動内容や、嫁・子供たちの話を紹介します。その前にまずは城彰二の昔、若い頃の活躍について少し詳しく見ていきましょう。
Jリーグで新人最多得点記録を持っていた
高校の時、全国でベスト4に入る活躍した城彰二は卒業後にJリーグのジェフユナイテッド市原に入団します。そしてデビュー戦からなんと4試合連続でゴールを決め、鮮烈なデビューを果たしました。その後もゴールを量産し、デビューした年に合計で12得点を記録します。この12得点というのが当時の新人最多得点記録でした。
この記録は1994年のことでしたが、その15年後の2009年に横浜F・マリノスの渡邉千真が13得点を記録するまで破られなかったほどの凄い記録だったのです。
(横浜F・マリノスに移籍が決まった宮市亮については以下の記事も参考にしてみてください)
【画像】宮市亮の嫁が激かわ!結婚までの馴れ初め〜子供まで!現在の怪我状況も
出典:Slope[スロープ]
28年ぶりのオリンピック出場に貢献
城彰二はジェフユナイテッド市原から横浜マリノスへ移籍し、移籍後もチームの主力として活躍を続けます。その活躍が認められ、当時アトランタオリンピック出場を狙う段階での日本代表に選ばれました。そして日本代表の軸としてプレーし、なんと28年ぶりのオリンピック出場を果たしたのです。
(横浜F・マリノスに所属していた中澤祐二については以下の記事も参考にしてみてください)
【画像】中澤佑二の嫁は?結婚までの馴れ初め〜娘・自宅・家族エピソードまで!
出典:Slope[スロープ]
スペインのリーグにも挑戦
アトランタオリンピックの後も城彰二は日本代表として選出され続けました。その活躍によって日本代表は初めてワールドカップへの出場を果たしたほどです。しかし、若い頃に挑戦した初めてのワールドカップでは残念ながら得点を挙げることができず、批判を受けてしまいました。
昔の城彰二はその批判に負けることなくJリーグで活躍し、そのまま若い頃の目標だったスペインリーグに挑戦することになったのです。そしてスペインでもレギュラーに定着し、移籍先のレアル・バリャドリードに貢献します。ところが昔から膝の前十字靭帯が断裂したままだということが発覚し、このチームへの完全移籍などの契約は見送られることになったのです。
(同じ様に海外で活躍した岡崎慎司については以下の記事も参考にしてみてください)
【画像】岡崎慎司の嫁が可愛い!結婚までの馴れ初め〜子供についてまで!
出典:Slope[スロープ]
Jリーグに復帰、そして引退へ
スペインでの契約が見送られた後、城彰二はJリーグの横浜F・マリノスに復帰します。しかし、怪我などが原因で昔のように得点を量産することは叶いませんでした。そして残念ながら戦力外通告を受けてしまったのです。
その後はJ2の横浜FCへ加入し、再びチームの主力として活躍しました。そして2006年には主将としてチームを率いて、横浜FC初のJ1昇格を決めたのです。ただ、怪我の調子が限界を迎え、同年に現役を引退することを発表しました。
(横浜F・マリノスで活躍した中村俊輔については以下の記事も参考にしてみてください)
中村俊輔の子供は何人?サッカーの実力・学校・年齢〜家族エピソードも!
出典:Slope[スロープ]