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デルピエロの歴代背番号!10・7以外は?クラブ〜代表までを調査!

2021年09月12日

イタリア代表の元サッカー選手デルピエロの背番号について紹介します。デルピエロがユベントスで初めて身に着けた背番号10番のエピソードや、10以外の背番号についても解説。さらに、クラブ編~イタリア代表編までの歴代背番号も紹介しているので参考にしてみてください。

デルピエロの背番号といえば10番!

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アレッサンドロ・デルピエロは、元イタリア代表でフォワードポジションとしても活躍した元サッカー選手です。プレースタイルは、左45度の角度の「デルピエロ・ゾーン」から放たれる的確なシュートが有名で神業といわれるほどでした。また、新日本プロレスやアニメ「ルパン三世」などの大ファンで日本語版ブログも開設するほどの親日家としても知られています。

この記事では、デルピエロの10番の背番号のエピソードやその他の背番号などについて紹介していきます。まずは、歴代背番号から見ていきましょう。

(三浦知良については以下の記事も参考にしてみてください)

デルピエロの歴代背番号【クラブ編】

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生年月日(年齢) 1974年11月9日(2021年9月現在47歳)
出身イタリア・ヴェネト州トレヴィーゾ県コネリアーノ
身長173cm
所属チーム歴カルチョ・パドヴァ
ユベントス
シドニーFC
デリー・ディナモスFC
イタリア代表
SNSTwitterInstagram公式ブログ
所属年(年齢)所属チーム背番号
1991~1993(17~19歳)カルチョ・パドヴァ1~11
1993~1995(19~21歳)ユベントス9、15、16など
1995~2012(21~38歳)ユベントス10
2012~2014(38~40歳)シドニーFC10
2014(40歳)デリー・ディナモスFC10

デルピエロの背番号といえば10番ですが、その他の背番号をつけていた時期もありました。まずは、クラブ編の歴代背番号を見ていきましょう。1991~2014年までを一気に紹介していきます。

カルチョ・パドヴァ【1991~1993年】

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デルピエロは、1991年~セリエBのカルチョ・パドヴァからサッカーのキャリアがスタートしました。当時は、背番号が固定されていないということもあり、1~11までの背番号がスタメンに割り振られていたそうです。画像は11番の背番号でプレーしているシーンです。

ユベントス【1993~1995年】

1993年後半からデルピエロは、セリエAのユベントスに移籍しています。1993~1995年は、9・15・16の背番号を身に着けていました。画像で見つけることはできませんでしたが、この頃も背番号は固定制ではなく途中出場での出番が多かったため、15や16の背番号が多い印象でした。

ユベントス【1995~2012年】

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1995年からは、セリエAの背番号が固定制となり、デルピエロはバッジョがACミランに移籍したのを機に背番号10番を継承しています。706試合に出場し290ゴール90アシストを記録し偉業を成し遂げたデルピエロは、1994年3月20日のセリエAのパルマ戦でハットトリックを初めて決めました。

シドニーFC【2012~2014年】

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デルピエロは、2012年9月からオーストラリアシドニーFCへ移籍。移籍後も変わらず背番号10を身に着けていました。契約期間2年間の年俸額は、約200万オーストラリア・ドルといわれており、セリエAのリーグ史上最高額であるとささやかれています。その金額を日本円でみると、約1億6,208万円(2021年9月現在)に相当するということです。

デリー・ディナモスFC【2014年】

2014年4月にシドニーFCを退団後デルピエロは、8月にインドのデリー・ディナモスFCに移籍しています。デルピエロが身に着けている画像は残念ながら見つかりませんでしたが、ここでも背番号は10番で活躍。さらに、インド・スーパーリーグのアンバサダーにも選ばれました。このシーズンを最後に事実上の現役引退となりました。

(ポグバの歴代背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

デルピエロの歴代背番号【イタリア代表編】

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所属年(年齢)大会名背番号
1991(17歳)U-17ワールドカップ7
1996(22歳)ユーロ14
1998(24歳)ワールドカップ10
2000(26歳)ユーロ10
2002(28歳)ワールドカップ7
2004(30歳)ユーロ7
2006(32歳)ワールドカップ7
2008(34歳)ユーロ7

次に、イタリア代表編の歴代背番号を見ていきましょう。1991~2008年のシーズンのワールドカップやシーズンでの背番号を一気に紹介します。

U-17ワールドカップ【1991】

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1991年のU-17ワールドカップでは、デルピエロは背番号7番でした。ワールドカップのユニフォームで背番号を身に着けている画像はありませんでしたが、写真は1991年当時17歳の頃のデルピエロです。3試合で1得点を入れるも、残念ながらグループリーグ敗退という苦い結果に終わってしまいました。背番号7は自身が初めてつけた背番号としても知られています。

ユーロ【1996年】

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デルピエロは、1995年3月25日に行われたエストニア戦でイタリアデビューしたのち、1996年にユーロ本戦へ出場しています。ロシア戦では、背番号14番で出場するもののケガをしてしまい前半だけの出場となりました。

ワールドカップ【1998年】

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1998年のワールドカップでは、サッカーイタリア代表のエースとして背番号10番をつけて大会へ出場しました。しかし、1997~1998年のチャンピオンズリーグの決勝レアル・マドリード戦でのケガの影響が大きく作用してしまい、途中出場のパッジョに花を持たせる結果となりました。

ユーロ【2000年】

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2000年のユーロでは、背番号10番で6試合フル出場をしているデルピエロですが、途中出場が多い印象です。決勝のフランス戦でのシュートチャンスを外すなど不運のシーズンでした。しかし、ワールドカップではチャンスが訪れます。

ワールドカップ【2002年】

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2002年に行われた日韓ワールドカップでは、背番号7を身に着けていました。予選でいい結果を残したにもかかわらず、スタメンを外されてしまいますが、グループリーグのメキシコ戦で途中出場したデルピエロは、背番号7番を背負いワールドカップの初ゴールを決めています。グループリーグの敗退危機だったチームを救った瞬間でした。

ユーロ【2004年】

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2004年のユーロでは、背番号7をつけていたデルピエロ(写真前列左から3番目)。不慣れな左サイドハーフのポジションでの出場が多い印象でした。予選では、チームに貢献する活躍ぶりを発揮しています。本大会では3試合フル出場をしていますが、大会前の左大腿部の怪我や慣れないポジションが影響し思い通りのプレーができなかったそうです。

ワールドカップ【2006年】

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2006年のドイツワールドカップでは、ユベントス時代の監督だったマルチェロ・リッピが監督というのもあり、スタメンとして出場していました。このときの背番号は7番です。準決勝であるドイツ戦でデルピエロは、延長戦で途中出場しデルピエロゾーンからのゴールを決めています。

ユーロ【2008年】

2008年のユーロでは、予選後半への招集がなく本戦への出場がどうなのか悩ましい時期でもありましたが、2007~2008年のシーズンでセリエA得点王としての実績が認められ4試合中3試合に背番号7番で出場しました。第2戦であるルーマニア戦ではゲームのキャプテンも務めています。

しかし、ロベルト・ドナドーニ監督の戦術ではデルピエロが重用されることはありませんでした。

(C・ロナウドの歴代背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

デルピエロの背番号にまつわるエピソード!10や7への愛着は?

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デルピエロの歴代の背番号がわかったところで、ここからは背番号にまつわるエピソードについて触れていきましょう。背番号10になったエピソードや初めてもらった背番号などのエピソードにも注目です。

初めてもらった背番号「7」

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デルピエロは、トッティに背番号10を譲ってほしいと頼まれたときに「僕は7の方が合っている」と言って快く譲ったというエピソードがあります。その時になぜ背番号7なのかと問われ「初めてもらった背番号が7だから」と言っていたそうです。10の背番号だけでなく7の背番号も気に入っていて、それが初の背番号で思い入れのあるものだということがわかります。

パッジョから受け継いだ背番号「10」

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デルピエロが背番号10番をつけるきっかけになったのが、ユベントスでともにプレーしたロベルト・パッジョです。パッジョがACミランに移籍する際に、背番号10番をデルピエロが受け継ぐ形となりました。デルピエロは、その時の心境を公式ブログで「名誉なことだったけど、同時に大きな責任を感じた」と語っています。

その後も親交がある二人は、誕生日にメッセージを送るなど親交を深めています。

背番号10を大切にしてきたデルピエロ

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デルピエロは、背番号10番を継承する前も継承した後も変わらない人柄で、サッカー選手として常に模範的な存在を貫き通しました。誰がどのようにどんな想いで背番号10番を背負ってきたのか、彼はその責任感を持ちながらサッカーと向き合ってきました。

創造性に富んだプレースタイルは、背番号10番のユニフォームを誇りに思いながら、それが似合うサッカー選手であり続けようと努力した彼だからこそ成せるワザなのでしょうね。

背番号10の後継者

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背番号の後継者であるアルゼンチン代表のFWパウロ・ディバラに対しデルピエロは、「私は時代を作ったが、今は彼が作る番だ」とニュース記事で語っていました。「若い分、自分を追い抜く時間がある」と彼の可能性に期待を寄せています。

その後、デルピエロの期待通りにディバラは、キャプテンマークを身に着けてチームを牽引する存在に成長しました。デルピエロは「彼は完璧なプレーヤーになった」とディバラを称賛しています。

(ベッカムの歴代背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

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デルピエロは背番号10で大活躍した!

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デルピエロは、10以外にも7・9・15などの背番号を身に着けていた時期もありました。10番を背負ったときにはケガなどもありましたが、ハットトリックや706試合290ゴール90アシストの偉業を成し遂げるなど大活躍を見せたデルピエロ。現在は事実上の引退をしていますが、いつかまた彼の姿がピッチで見られる日が来ることを期待したいですね。