ロナウジーニョの歴代背番号!10以外は?クラブ〜ブラジル代表まで!

ロナウジーニョといえばバルセロナ等で付けた10番のイメージですが、その他にも80や49の背番号も付けていたのはご存じでしょうか。今回は、ロナウジーニョが現役時代に付けていた背番号を【クラブ編】【ブラジル代表編】に分けて、10番以外のものを紹介していきます!

目次

  1. ロナウジーニョの背番号といえば10番!
  2. ロナウジーニョの歴代背番号【クラブ編】
  3. 【1998-2001】グレミオ
  4. 【2001-2003】パリ・サンジェルマン
  5. 【2003-2008】バルセロナ
  6. 【2008-2011】ACミラン
  7. 【2011-2012】フラメンゴ
  8. 【2012-2014】アトレチコ・ミネイロ
  9. 【2014-2015】ケレタロ
  10. 【2015】フルミネンセ
  11. ロナウジーニョの歴代背番号【ブラジル代表編】
  12. 【1999】コパ・アメリカ
  13. 【1999】コンフェデレーションズカップ
  14. 【2002】ワールドカップ
  15. 【2006】ワールドカップ
  16. その他の背番号
  17. ロナウジーニョはなぜ『重たい』背番号を選んだ?
  18. ロナウジーニョが1980年生まれだから「80」
  19. 母親が1949年生まれだから「49」
  20. その他、ロナウジーニョの背番号に関するエピソード
  21. バルサで与えられた10番の元々の持ち主は?
  22. なぜミランでは10番を付けなかったのか?
  23. アトレチコ・ミネイロで10が空いていなかった理由は?
  24. セレソンの10番という宿命
  25. ドゥンガとロナウジーニョの確執?
  26. ロナウジーニョの背番号付きユニホームを紹介!
  27. 03/04バルセロナ(ホーム)
  28. 08/09ACミラン(アウェイ)
  29. 2015フルミネンセ(サード)
  30. 2002ブラジル代表(アウェイ)
  31. 2008ブラジル代表(ホーム)
  32. ロナウジーニョは10以外にも様々な背番号をつけていた!

ロナウジーニョの背番号といえば10番!

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生年月日(年齢)1980年3月21日(41歳)
出身ブラジル・リオグランデドスル州ポルトアレグレ
身長182cm
所属チーム歴グレミオ
パリ・サンジェルマン
バルセロナ
ACミラン
フラメンゴ
アトレチコ・ミネイロ
ケレタロ
フルミネンセ
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サッカーでは、ペレやマラドーナに代表されるように、チームの司令塔やファンタジスタが背番号10を付ける傾向にあります。ロナウジーニョも10番のイメージが強いのではないでしょうか。しかし、ロナウジーニョが10番以外も付けてプレーしていたと聞けば、きっと意外に感じるでしょう。気になる背番号10以外のロナウジーニョを、この後たっぷり紹介します。

(マラドーナの背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

マラドーナは『背番号10以外』もあった?歴代〜ナポリでの永久欠番も!

ロナウジーニョの歴代背番号【クラブ編】

所属年(年齢)所属チーム背番号
1998〜2001年(18歳〜)グレミオ(ブラジル)9、10
2001〜2003年(21歳〜)パリ・サンジェルマン(フランス)21、10
2003〜2008年(23歳〜)バルセロナ(スペイン)10
2008〜2011年(28歳〜)ACミラン(イタリア)80
2011〜2012年(31歳〜)フラメンゴ(ブラジル)10
2012〜2014年(32歳〜)アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)49、10
2014〜2015年(34歳〜)ケレタロ(メキシコ)49
2015年(35歳)フルミネンセ(ブラジル)10

ロナウジーニョは、現役時代は合わせて8つのクラブに所属していました。まずはクラブでの歴代背番号を紹介していきます。

【1998-2001】グレミオ

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グレミオの下部組織でサッカーを始めたロナウジーニョ。プロデビューも1998年にグレミオからでした。2001年まで在籍したチームでは、9と10を付けています。1999年には、10代で州選手権の得点王に輝きました。

【2001-2003】パリ・サンジェルマン

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2001年に、パリ・サンジェルマンで初の海外移籍となりました。当初は21番を付けていましたが、2002-03シーズンには定位置といえる10番に収まっています。在籍した2シーズンはともにチームの公式戦最多得点者でしたが、チームにタイトルをもたらすことはできませんでした。

(パリでもプレーしたイブラヒモビッチの背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

イブラヒモビッチの歴代背番号!10・11・8・9番にこだわる理由も!

【2003-2008】バルセロナ

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バルセロナの10番といえばメッシのイメージが強い人もいるでしょう。しかし、メッシが10番になったのは08-09シーズンからでした。その前には、2003年からずっとロナウジーニョが10番を付けています。その5年間でバルセロナはラ・リーガを2度とUEFAチャンピオンズリーグを1度制覇し、ロナウジーニョ個人は2005年にバロンドールを受賞しました。

(メッシの凄さについては以下の記事も参考にしてみてください)

【動画あり】メッシの『凄さ』は?プレースタイル・得意技を徹底解説!

【2008-2011】ACミラン

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2008年からの3シーズンを、ロナウジーニョはACミランで過ごしました。そこでの背番号はずっと80でした。ミランはサッカーには珍しい大きな背番号を好んで付けた選手が多く、例えばエル・シャーラウィは92、ドンナルンマは99を付けていました。バルセロナでの大活躍をミランでもと期待されていましたが、サポーターを満足させることはできませんでした。

【2011-2012】フラメンゴ

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2011年に故郷のブラジルへ戻ったロナウジーニョ。フラメンゴには1シーズンのみの在籍でしたが、やはり背番号は10でした。エースナンバーを与えられるという期待に応え、チームの州選手権優勝に大きく貢献しています。

【2012-2014】アトレチコ・ミネイロ

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2012年から2014年はアトレチコ・ミネイロに在籍していました。しかし、いつもの10番は空いておらず、最初のシーズンは49を付けていました。翌シーズンに10を付けてプレーしています。2013年にチームは史上初のリベルタドーレス杯優勝に輝き、ロナウジーニョはFIFAクラブワールドカップに出場しました。

【2014-2015】ケレタロ

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2014年から翌15年にかけて、ロナウジーニョはメキシコリーグのケレタロに在籍していました。シーズン途中の移籍だったため10番は付けられず、代わりに選んだのがアトレチコ・ミネイロと同じ49番でした。しかし、目立った成績は残せていません。

【2015】フルミネンセ

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2015年、現役最後のシーズンを母国ブラジルのフルミネンセで過ごしました。用意された背番号はやはり10。しかし、出場試合数はわずかなものでした。

(バルセロナでチームメイトだったイニエスタの背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

イニエスタの歴代背番号!シャビと代表・クラブで入れ替わる理由まで!

ロナウジーニョの歴代背番号【ブラジル代表編】

西暦(年齢)大会名背番号
1999年(19歳)コパ・アメリカ21
1999年(19歳)コンフェデレーションズカップ7
2000年(20歳)シドニーオリンピック7
2002年(22歳)ワールドカップ11
2003年(23歳)コンフェデレーションズカップ7
2005年(25歳)コンフェデレーションズカップ10
2006年(26歳)ワールドカップ10
2008年(28歳)北京オリンピック10

クラブでは比較的大きな背番号を付けていたこともあるロナウジーニョ。では、セレソン(ブラジル代表)ではどうだったのでしょうか。

【1999】コパ・アメリカ

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ロナウジーニョのブラジル代表デビューは、1999年のコパ・アメリカでした。この時のロナウジーニョはまだ19歳。背番号も21と大きなものでした。

【1999】コンフェデレーションズカップ

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前項のコパ・アメリカからわずか1週間後、今度は7番を付けてコンフェデレーションズカップ1999に出場しました。7番を付けたロナウジーニョは、その大会で大会得点王とMVPに輝く大活躍でした。なお、2000年のシドニーオリンピックと2003年のコンフェデレーションズカップでも7番を付けています。

【2002】ワールドカップ

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ロナウジーニョが初めて出場したワールドカップは、2002年の日韓共同開催でした。ロナウド・リバウドと形成した「3R」は大会を席巻し、ブラジルに5度目の栄冠をもたらしました。ロナウドが、ロマーリオなども付けたエースストライカーの証である9番、リバウドがブラジル伝統の10番でした。そしてロナウジーニョは、日韓大会では11番を付けています。

【2006】ワールドカップ

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2005年のコンフェデレーションズカップに続き、2006年のロナウジーニョ2度目のワールドカップでは、念願の10番を付けました。しかし、準々決勝でフランスに敗れてベスト8止まりでした。2008年の北京オリンピックには、オーバーエイジ枠でロナウジーニョも参加。この時も10番を付けてプレーし、銅メダルを獲得しました。

その他の背番号

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これまで紹介した以外の背番号を付けて、ロナウジーニョがセレソンでプレーしたケースもあります。主要大会以外では、2001年頃に17番、2009年頃に16番を付けました。

ロナウジーニョはなぜ『重たい』背番号を選んだ?

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では、なぜロナウジーニョが80や49といった、サッカーでは珍しい「重たい」背番号を付けていたのでしょうか。それにはもちろん理由があります。

ロナウジーニョが1980年生まれだから「80」

ミランで付けていた80番は、ロナウジーニョの生まれ年が由来となっています。1980年3月21日がロナウジーニョの生年月日です。21日といえば、パリ・サンジェルマンの1年目は背番号21でした。

母親が1949年生まれだから「49」

アトレチコ・ミネイロとケレタロの2チームでは当初希望した10番を付けられず、ともに選んだ背番号は49でした。アトレチコ・ミネイロに加入した頃、病気で手術することとなった彼の母親を思いやって、母親の生まれた年である49を付けたとされます。

(クリスティアーノ・ロナウドの背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

C・ロナウドの歴代背番号を紹介!7番への愛着〜9・17・28時代も!

その他、ロナウジーニョの背番号に関するエピソード

出典:https://www.pinterest.jp/pin/845199055055358301/

その他にも、ロナウジーニョの背番号に関するエピソードが多く残されています。1つずつ紹介していきましょう。

バルサで与えられた10番の元々の持ち主は?

パリ・サンジェルマンからバルセロナに移籍したロナウジーニョには、加入当初から背番号は10でした。しかし、その10番は誰も付けていなかったわけではありません。元アルゼンチン代表のファン・ロマン・リケルメは、監督のファン・ハールに当時冷遇されていました。ロナウジーニョの獲得とともに10番を剥奪され、ビジャレアルに放出されたというのが真相です。


(FCバルセロナのティキタカについては以下の記事も参考にしてみてください)

ティキタカとは?戦術の強み・弱点は?全盛期の動画〜時代遅れとの声についても

なぜミランでは10番を付けなかったのか?

デビューしたグレミオをはじめ、パリ・サンジェルマンとバルセロナでも10番を付けたロナウジーニョ。当然ミランでも10番を希望したはずですが、結局80番のまま3シーズン過ごしました。なぜかといえば、当時10番を付けていたのは元オランダ代表のクラレンス・セードルフでした。彼も10番にはこだわりがあり、ロナウジーニョに譲る気などなかったのです。

アトレチコ・ミネイロで10が空いていなかった理由は?

ロナウジーニョの実績を考えれば、アトレチコ・ミネイロ側が10番を用意してロナウジーニョと契約してもおかしくはありません。しかし、前所属クラブで年俸の支払いが滞納して、ロナウジーニョ側が一方的に契約を解除したという報道が現地であったとのこと。移籍がシーズン途中となり、背番号10はすでに埋まっていたいう事情がありました。

セレソンの10番という宿命

古くはペレやジーコ、最近ではネイマールが付けるサッカーブラジル代表栄光の背番号10。ブラジル国民は、常にセレソンの10番に大きな期待を寄せます。しかし、期待を裏切るような結果には厳しく、2006年のワールドカップ敗退後にはロナウジーニョの大きな彫像が破壊されました。大会敗退後、すぐにロナウジーニョが夜遊びに興じていたことも原因でした。

(ネイマールの背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

ネイマールの背番号【デビューから2022最新】9・7・10・11のこだわりも!

ドゥンガとロナウジーニョの確執?

2007年3月のテストマッチ2連戦で、ロナウジーニョは7番を付けてプレーしました。この時の10番はカカーでしたが、カカーといえば代表では8番が多かった選手です。各国の記者がドゥンガ監督に真相を尋ねましたが、結局明言はせず。当時のセレソンにロナウジーニョはあまり招集されておらず、ドゥンガ監督との確執が噂されていました。

ロナウジーニョの背番号付きユニホームを紹介!

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ここからは、ロナウジーニョの背番号付きユニフォームを紹介していきます。中には実際に購入できるものもありますので、この機会に実物を手にしましょう!

03/04バルセロナ(ホーム)

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ロナウジーニョといえば、バルサの10番という人は多いのではないでしょうか。ロナウジーニョがバルセロナに移籍してきたシーズンのモデルがこちらです。ロナウジーニョのバルセロナ時代のユニフォームは、日本でも通販サイト等で扱っていますが、どのサイトを見ても在庫切れの状態が続いています。

08/09ACミラン(アウェイ)

出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/nbs/312984-ron.html?sc_i=shp_pc_search_itemlist_shsrg_img

サッカーには珍しい、背番号80のユニフォームです。「RONALDINHO」と「80」の組み合わせは、街などで着れば目立つのは間違いありません。

Yahoo!ショッピングで購入する

2015フルミネンセ(サード)

出典:https://item.rakuten.co.jp/nbs-soccer/g26355/

ロナウジーニョ現役最後のサッカークラブとなった、フルミネンセのユニフォームです。しかもサードユニフォームとなれば、かなりレア物ではないでしょうか。

楽天市場で購入する

2002ブラジル代表(アウェイ)

出典:http://donvalon.jp/?pid=152871578

ブラジルが5回目のワールドカップ優勝に輝いた時のモデルです。イングランド戦ではこのセカンドジャージを着て、ロナウジーニョが35mの直接フリーキックを決めました。ブラジル代表の2002年モデルは若干数流通しているようですが、ロナウジーニョの背番号入りは確認できませんでした。

2008ブラジル代表(ホーム)

出典:https://www.sportsmemorabilia.com/brazil-national-team/2008-ronaldinho-brazil-national-soccer-team-match-worn-jersey-vs-bolivia-2-loas/t-36382424+p-90010181820109+z-9-3340063976

ロナウジーニョが北京オリンピックに出場した年のブラジル代表ユニフォームです。やはりロナウジーニョは、クラブでも代表でも背番号10がよく似合います。ブラジル代表2008年モデルも、ロナウジーニョの背番号入りを見つけるのは困難な状況です。

ロナウジーニョは10以外にも様々な背番号をつけていた!

出典:https://www.pinterest.jp/pin/601019512755367810/

近年では最も背番号10が似合うサッカー選手の1人であるロナウジーニョですが、意外と10ではない背番号も付けていたと感じられたのではないでしょうか。しかし、背番号10のロナウジーニョはもちろん、10以外のロナウジーニョもサッカーファンを熱狂させた存在であったのは疑いようがありません。