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合戸孝二の失明について徹底調査
名前 | 合戸孝二(ごうど こうじ) |
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生年月日 | 1961年4月1日 |
身長 | 164cm |
体重 | 70kg |
出身地 | 静岡県 |
職業 | ボディビルダー |
合戸孝二は、ボディビル業界では知らぬ者はいないほどの偉大なボディビルダーです。これまでに輝かしい功績を残していて、世界選手権70kgで準優勝、日本ボディビル選手権で4度の優勝、ミスターアジアで優勝を成し遂げています。
還暦を迎えてからもボディビルダーとして活躍中であり、日本ボディビル界の生ける伝説と言える存在です。そんな合戸孝二ですが、「狂気の男」という異名を持ちます。そう呼ばれているのは選手生命を脅かす病気に見舞われながらものともせずにボディビルダーの道を突き進んできたからです。
その選手生命を脅かす病気とは左目の失明です。今回は左目を失明するまでの経緯、また失明した理由、そして失明後の活躍など合戸孝二の左目の失明について詳しく紹介していきます。
(他のボディビルダーについては以下の記事も参考にしてみてください)
マッスル北村の『伝説』を網羅!過酷でストイックすぎるエピソードを紹介!
出典:Slope[スロープ]
合戸孝二が失明した理由
合戸孝二が左目を失明したのは病気が原因です。その病気とはなんだったのでしょうか。また病気が発症したのはいつだったのでしょうか。そして病気を発症した原因とはなんだったのでしょうか。まずは合戸孝二が左目を失明した病気の詳細、また病気を発症した時期、さらに病気を発症した原因について見ていきましょう。
38歳の時に発症
合戸孝二が病気を発症したのは1999年、38歳の時です。スロバキアで開催される世界大会に出場する前に行ったトレーニング中、視界に気にならない程度の小さい点が現れます。しかしその点のことは気にせずスロバキアへと飛び、世界大会に出場します。ところが、決勝が終わったころ、左目の視界がテレビの砂嵐のような状態になって見えなくなってしまいます。
そのときは左目に痛みを感じなかったため疲労からくるものかと思い込んでいましたが、1週間経っても一向に回復しないため、日本に帰国してから病院で医師に診察してもらったところ、眼底出血と診断されました。
眼底出血とは
合戸孝二が発症した眼底出血とは硝子体や網膜で出血が起こった状態のことを指します。眼底出血の症状は飛蚊症、視野欠損、歪視症、視力低下などで出血した場所や程度によって変わってきます。眼底出血を発症する原因は主に高血圧、眼球打撲、糖尿病などです。中でも糖尿病が原因になることが多く、成人の失明原因の第1位です。
日ごろからカロリー、塩分・コレステロールの過剰摂取に注意し、適度に運動し、定期検査をすることで予防することができます。
出典:古川中央眼科
原因はハードなトレーニングと減量
合戸孝二が眼底出血を発症した原因はハードなトレーニングと減量です。トレーニング中に大きな負荷をかけるあまり眼球内の血管が圧迫されたこと、また自己流のストイックな減量で栄養不足に陥ったことが原因で眼底出血を発症してしまいました。
眼底出血の症状が悪化したのは世界大会の前のトレーニングで異変に気付いたときにすぐに治療しなかったことと、また気圧の変化がある飛行機に乗ったことが原因ではないかと合戸孝二はコメントしています。
大見出し③:合戸孝二が失明発覚後のエピソード
片目であっても失明すると大きなショックを受けそうですが、眼底出血と診断された合戸孝二はどのような心境だったのでしょうか。また左目を失明後、ボディビルダーとしての活動やプライベートはどうなったのでしょうか。ここからは気になる合戸孝二の失明発覚後のエピソードについて詳しく紹介していきます。
ナチュラルにこだわり治療を中止
病院で検査をした結果、眼底出血と診断された合戸孝二は医師からトレーニングを止めて、治療に専念することを勧められます。
ステロイドを使用した治療法を勧められましたが、ナチュラルにこだわりドーピングに関わる治療をしたくなかったこと、完全な回復を見込めなかったこと、トレーニングを止めたくなかったこと、そして右目ははっきりと見えていて活動に支障がないことを理由に治療を止めることを選択しました。
片目であっても視力を失うというのは恐怖を感じそうですが、しかしこの決断に対して合戸孝二はインタビューで「全く後悔してないですね。自分のボディビルに対する姿勢を解ってもらえればいい」と後悔していないことを明言しています。
44歳のときに悲願の初優勝
眼底出血によって左目を失明した合戸孝二ですが、左目を失明してからへこたれるどころかボディビルダーとして大活躍を見せています。
失明してから6年後、44歳のときに日本ボディビル選手権で悲願の初優勝を飾ると、2007年から2009年までの日本ボディビル選手権で三連覇を果たし、さらに50歳のときにミスターアジアで優勝を果たしました。
胸郭出口症候群も乗り越える
眼底出血による失明を乗り越えた合戸孝二ですが、2016年には腕神経叢が圧迫されたことによる胸郭出口症候群を発症します。これは長年にわたって筋肉の異常発達、過度なトレーニングを続けたことが原因です。この年の日本ボディビル選手権を欠場し、14年連続出場が途切れてしまいます。
しかし翌年の2017年には同選手権に復帰すると見事4位に入賞を果たし、胸郭出口症候群をも乗り越えてしまいました。そして還暦を迎えてからもボディビルダーとして活動しており、左目の失明をものともせずボディビルダーとして驚異的な活躍を見せ続けています。
妻と共にマッスルハウスジムを経営
プライベートでは妻の合戸真理子と共に静岡県藤枝市でマッスルハウスジムを経営していますが、このジムはボディビルの関係者の間で聖地となっています。
また2018年には半生記、独自の理論に基づくトレーニング解体書、出場した大会でのエピソード、妻の合戸真理子とのエピソード、そして数々の貴重な写真を掲載した書籍「執念―覚悟に潜む狂気」を発売しましたが、好評を博しています。左目を失明してからはプライベートでも絶好調です。
(ジムについては以下の記事も参考にしてみてください)
【初心者必見】ジムの持ち物リスト!必要なもの〜あれば便利なものまで紹介!
出典:Slope[スロープ]
大見出し④:その他、合戸孝二に関する記事もチェック
Slopeには他にも合戸孝二の記事が公開中です。こちら記事を読めば鉄人・合戸孝二のことがよく分かります。彼のプライベートが気になるという方も、ぜひチェックしてみてください。
合戸孝二のようになりたい方は要チェック
合戸孝二の筋トレ内容や食事、失明の理由について解説しています。
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妻との関係が知りたい方は必見
気になる妻の合戸真理子との馴れ初めや献身的なサポートについて詳しく記されています。
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合戸孝二は失明よりも筋トレを選ぶ生粋のボディビルダー
左目の視力をとるか、ナチュラルボディビルダーであることをとるかという困難な選択を迫られたときに後者をとった合戸孝二。彼は生粋のボディビルダーと言えます。還暦を迎えましたが、生涯現役をつらぬくと宣言していますが精神力の強さには頭が下がります。不屈の男である合戸孝二の今後の活躍からも目が離せません。