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柳田悠岐の高校時代!身長・ポジションは?監督・甲子園〜筋肉・生涯年俸までも!

2022年02月05日

広島出身・福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐。日本を代表する選手となった彼も高校時代は甲子園出場なしの無名の選手だったことはあまり知られていません。この記事では、身長やポジションなどのプロフィールから大学時代まで野球経歴・監督秘話などを紹介します。


柳田悠岐のプロフィール!出身・高校時代は?

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生年月日(年齢)1988年10月9日(33歳)
出身広島県広島市
身長187cm
体重90㎏
所属チーム 広島市立広島商業高等学校→広島経済大学→福岡ソフトバンクホークス
ポジション 外野手
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「ギータ」の愛称で人気の福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐。187㎝90㎏・右投左打・ポジションは外野手、2020年に開催された東京オリンピックでは全5試合フル出場し金メダルに貢献したことは記憶に新しいでしょう。

そんな柳田悠岐が野球を始めたのは小学校3年生。小学校2年生の時に見た日本シリーズでのイチロー選手に心を奪われ野球を始めることを決意したそう。高校は野球の名門校・広島商業高校へ進学。甲子園を目指すも地方大会ベスト4が最高成績で甲子園に出場することはできませんでした。

高校時代無名の選手で終わった柳田悠岐は、広島経済大学に進学したことで才能を開花させます。ここからは、高校時代無名選手だった柳田悠岐がどのようにして福岡ソフトバンクホークスへ入団したのかを詳しく紹介していきます。

(同じく東京オリンピックに出場した坂本勇人については以下の記事も参考にしてみてください)

柳田悠岐の経歴!高校時代は無名選手だった!

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今やパリーグを代表するプロ野球選手となった柳田祐樹ですが、意外にも高校時代は無名で甲子園出場もしていません。では柳田悠岐はどのようにして福岡ソフトバンクフォークスに入団したのでしょうか。ここからは、柳田悠岐の野球遍歴をみていきましょう。

『西風五月が丘少年野球クラブ』で野球を始める

1988年広島市で誕生した柳田悠岐。大塚小学校3年生の時に「西風五月が丘少年野球チーム」や野球を始めます。当時は右打ちだった柳田悠岐ですが、小学校6年の時に現在の左打に転向しました。小学校時代は体格も小さく思いっきり振っても打球は飛ばなかったそうですが、ボールにコンタクトする力はずば抜けており、ポジションは「1番・遊撃手」だったそうです。

野球を始めたきっかけは小学校2年生(1996年)に行われた日本シリーズのオリックスVS巨人戦。オリックスのイチローのプレーを見て心を奪われたそうです。当時、Jリーグが始まって間もない時期でサンフレッチェ広島の影響でサッカーを始める子供たちが多かったそうです。しかし、日本シリーズで見たイチローが忘れられず柳田悠岐は野球を選びました。

中学時代は『八幡少年野球クラブシニア』に所属

広島市立伴中学校に進学した柳田悠岐は、八幡少年野球クラブシリアで軟式野球を続けます。中学時代は、全国出場の機会もなく注目される選手ではなかったようです。

『広島商業高校』に進学するも甲子園出場ならず

創部123年春夏あわせて45回の甲子園出場を誇る名門広島商業高校へ進学した柳田悠岐。高校2年生の時にレギュラーを獲得、秋の中国大会にも出場していますが、最後の夏は県大会ベスト4で敗退。甲子園出場はできませんでした。

高校時代の通算本塁打は11本。地方大会ベスト4が高校時代の最高成績であったためプロの目に留まらずドラフト会議にも名前があがりませんでした。甲子園を夢見て広島商業に進学した柳田悠岐ですが、出場できなかったことでショックを受けます。

自分自身も高校時代にチームに貢献できる選手ではなかったため野球をやめることも考えたそうです。しかし、広島商業高校の当時の監督からのアドバイスによって広島経済大学に進学をし野球を続けることを決意します。高校時代で野球をやめてしまっていたら今の柳田悠岐には出会えなかったと考えると監督には感謝ですね。

『広島経済大学」に進学し才能が開花

無名の選手で終わった高校時代。広島経済大学に進学したことで柳田悠岐の才能は開花します。1年の秋からレギュラー入りした柳田悠岐は、広島六大学野球リーグ首位打者とベストナインを獲得。ここから三年連続で大学選手権に出場します。

3年の春には打率.528を記録、最優秀選手賞・首位打者・ベストナインを獲得。大学通算82試合で打率428、8本塁打、60打点の成績を残すことになるのです。高校時代は68㎏だった体重も、金本知憲や中田翔らが通うジムで筋肉トレーニングを行い体を大きくしたことで、遠投距離も10m伸ばし50m走のタイプも0.3秒短縮したそうです。

高校時代無名選手だった柳田悠岐が、一気にドラフトの注目選手となりプロ野球界への道が開かれたのです。

(中田翔の筋肉については以下の記事も参考にしてみてください)

『ソフトバンクホークス』入団

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広島経済大学時代の柳田悠岐の活躍はスカウトからも注目されます。高校時代無名だった彼がドラフト会議を前に横浜ベイスターズ以外のセ・パ11球団がリストアップ。特に千葉ロッテ・中日・阪神タイガースは熱心に調査していたといいます。

ドラフト会議当日、柳田悠岐は福岡ソフトバンクホークスから2巡目指名を受けます。実は、福岡ソフトバンクホークスはもともとドラフト2巡目は秋山翔吾(外野手)を指名する予定だったと言います。

しかし会長の王貞治が「指名候補の中で誰が一番飛ばすんだ?」と聞いたところスカウトらが「柳田です」と即答したたため急遽、同じポジションである柳田に指名が切り替えられたというエピソードが残っています。

(阪神・佐藤輝明の家族については以下の記事も参考にしてみてください)

高校時代無名選手がスター選手に!柳田悠岐の成績や生涯年俸

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甲子園出場経験のない無名選手だった柳田悠岐。開花した大学時代から日本を代表するプロ野球選手となった現在までの成績や年俸を見ていきましょう。

成績

まずは、大学時代と現在までの成績を見ていきましょう。尚、大学時代は全国大会の成績・プロ野球時代は日本代表での成績などは除いていますのでご了承ください。

大学時代

年度試合打数安打本塁打打率タイトル
2007(春)出場なし
2007(秋)1132130.406首位打者
ベストナイン
2008(春)1136160.444ベストナイン
2008(秋)1136191.528ベストナイン
2009(春)1132130.406MVP
首位打者
ベストナイン
2009(秋)1444172.386首位打者
ベストナイン
2010(春)1136153.417
2010(秋)1357250.439首位打者
ベストナイン

柳田悠岐の名前をプロ野球界に知らせた大学時代。入学後の2007年の春は出場の機会はありませんでした。2007年秋からレギュラーとなり首位打者とベストナインを獲得。2008年以降もレギュラーとして定着しチームを牽引する存在に。

大学4年間を通して、MVP1回、首位打者3回、ベストナイン6回を受賞。大学通算82試合で打率.428、8本塁打、60打点の成績を残しています。1871㎝、89㎏、50m走5秒9を計測、最速148キロでドラフト前、肩は外野手ナンバー1との評価を受けていました。

プロ


年度試合打席本塁打打率タイトル
2011650.000
2012682125.246
201310433711.295
2014114461515.317ベストナイン
・ゴールデングラブ
201513860534.363・MVP
・首位打者
・最高出塁率
・ベストナイン
・ゴールデングラブ
201612053618.306・最高出塁率
201713055131.310・最高出塁率
・ベストナイン
・ゴールデングラブ
201813055036.352・首位打者
・最高出塁率
・ベストナイン
・ゴールデングラブ
2019381577.289
202011951529.342・MVP
・最多安打
・ベストナイン
・ゴールデングラブ
202114159328.300・ゴールデングラブ

2011年プロ1年目の春季キャンプでは新人唯一のA組でスタートしますが、公式戦の初出場は5月8日の札幌ドームでの日本ハム戦の代走でした。2012年6月22日日本ハム戦で斎藤佑樹から四球を得てプロ初出塁を達成。23日に8番右翼手として先発出場を果たしました。

2014年開幕戦ではホームランを含む猛打賞で好スタートをきり、自身初のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。その後は、チームの中心的存在となり2019年以外は常にタイトルを獲得しています。

2015年には日本代表に選出、2020年の東京オリンピックでは金メダルに貢献しています。オールスターゲームのファン投票においては、2016年から2018年までイチロー以来となる3年連続で両リーグの最多得票を記録しました。

年俸推移

西暦年俸所属チーム
2011年1200万円福岡ソフトバンクホークス
2012年1200万円福岡ソフトバンクホークス
2013年1800万円福岡ソフトバンクホークス
2014年3200万円福岡ソフトバンクホークス
2015年9000万円福岡ソフトバンクホークス
2016年2億7000万円福岡ソフトバンクホークス
2017年2億6000万円福岡ソフトバンクホークス
2018年5億円福岡ソフトバンクホークス
2019年5億7000万円福岡ソフトバンクホークス
2020年5億7000万円福岡ソフトバンクホークス
2021年6億1000万円福岡ソフトバンクホークス
2022年6億2000万円福岡ソフトバンクホークス

2011年推定年俸1200万円で福岡ソフトバンクホークスと契約した柳田悠岐。2015年・MVP・首位打者・最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ受賞と大活躍し、2016年は自身初となる2億7000万円でサイン。

その後、2018年には5億円突破、2022年は6億2000万円でサインしています。これは、巨人・松井秀喜を抜き球界日本人野手で歴代最高年俸と更新しました。

(同じく6億円越え・坂本勇人の年俸については以下の記事も参考にしてみてください)

柳田悠岐の筋肉!高校時代から筋肉量のアップはどれくらい?

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高校時代、身長188㎝の高身長でありながら体重68㎏しかなかった柳田悠岐。本格的に筋肉をつけ始めたのは大学生のころです。大学卒業時には、87㎏にまで増やし現在は90㎏と言われています。筋肉が凄いと言われているオリックス時代の糸井嘉男の自主トレに参加させてもらったこともあり、自主トレにはチームを問わず積極的に行っています。

柳田悠岐の筋トレ方法や食事方法などは以下の記事で詳しく紹介していますのでぜひ参考にしてみてください。

その他、柳田悠岐に関する記事もチェック!

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柳田悠岐は高校時代は無名選手だった!

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広島商業時代は無名選手だった柳田悠岐。大学で才能を開花させプロ野球界を代表する選手へと成長しました。今後も、柳田悠岐の成績と活躍に注目していきましょう!