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伝説のサッカー選手『久保竜彦』のプロフィール
生年月日(年齢) | 1976年6月18日(45歳/2021年7月現在) |
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出身 | 福岡県朝倉郡筑前町 |
身長 | 181cm |
職業 | サッカー講師・カフェ経営 |
SNS |
元日本代表として活躍したこともある久保竜彦は、引退した今でも「サッカー界伝説の男」として語り継がれている人物です。久保龍彦はサッカー選手として活躍していた頃、規格外プレーで多くの得点を生み出していました。
スーパーロングシュートや難しい態勢からのボレーシュートなど、さまざまなファインプレーでファンを熱狂させた久保竜彦。天才的なゴールを次々に決めたことが、伝説の男と言われている大きな理由です。
また、日本代表戦では32試合に出場した上に11ゴールを記録しました。中村俊輔や中田英寿と共に日本代表を引っ張った久保竜彦。素朴で無口なキャラクターも好感がもてると話題になった選手です。まずは、そんな久保竜彦の現在について詳しく見ていきましょう。
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出典:Slope[スロープ]
久保竜彦の現在は?
サッカー界伝説の男とも呼ばれた久保竜彦。多数の記憶に残るプレーをしてきた久保竜彦は、現在どこでどのように過ごしているのでしょうか。サッカー選手を引退した今、どのような活動をしているのか一緒にチェックしていきましょう。
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中田英寿の伝説のプレー集!ローマ時代のスーパーゴール〜サッカー外まで!
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全国のサッカー教室で指導
久保竜彦はサッカー選手を引退後、広島県にあるサッカークラブ廿日市FCにてサッカー指導を行っていました。ストライカー養成コーチ、およびアンバサダー(スポーツ親善大使)に就任して、子どもたちへサッカーを伝えていた久保竜彦。さらに、自身も広島県社会人サッカーリーグ1部に所属する廿日市FCに約2年ほど現役復帰しました。
その後は、廿日市だけでなく全国のサッカー教室にて指導を行っています。組織や人付き合いが得意な方ではないと言いながらも、サッカー指導には力をいれていました。ときには北海道にまで行くこともあり、未来を担う子どもたちへサッカーの素晴らしさを伝えています。
マイファームで野菜作り
農業にも力を入れている久保竜彦。友人から借りた畑をマイファームとしていて、野菜作りにも没頭しています。自給自足を目指していてピーマンやさつまいも、トマトなどを食料として育てています。また、農業用として履いている靴は現役時代に履いていたサッカー用スパイクシューズ。サッカー選手時代とは違った生活を楽しんでいます。
牛島で塩作り
久保竜彦は瀬戸内海の離島である牛島で塩作りもしています。サッカー選手をしたあとは「やりたいことにどんどん挑戦したい」と発言している久保竜彦。牛島にある塩小屋に興味をもち、尋ねてみたことがきっかけだといいます。農業と同じく自給自足という夢を叶えるために、塩作りにも力を注いでいます。
コーヒーを淹れることに夢中
久保竜彦は2018年に山口県光市の港町、室積に移住しました。室積にあるカフェにて、店番をしながら塩コーヒーを淹れています。さらに、そのコーヒーの特徴は久保竜彦自身が採取した塩を使っていることです。コーヒー豆も塩で焙煎していて、手間のかかった美味しいコーヒーを作っています。
さらさらとした舌触りでまろやかな塩味のコーヒーは、地域の人たちからも高評価を得ているようです。お客さんがくれば久保竜彦自身がカウンターに入り、注文をとるところからコーヒーの提供、会計までスムーズにこなします。このように、久保竜彦は室蘭で自然と触れ合いながら、コーヒーを淹れてのどかに生活しています。
【画像】久保竜彦の嫁は?結婚までの馴れ初めも!
久保竜彦は21歳のときに当時お付き合いをしていた高校の同級生と結婚しました。サンフレッチェ広島でプロサッカー選手として活躍し始めて3年目で、当時の久保竜彦はプライベートでの破天荒さを心配されていました。そこで、当時の総監督がサッカーの高い能力を引き立たせるためには私生活の安定が必要、と考え結婚を勧めたといいます。
結婚したあとの私生活は監督の望み通り安定し、広島でエースストライカーへと成長した久保竜彦。さらに、広島での活躍ぶりも評価され、結果的に日本代表にも選ばれることになります。そのため、久保竜彦がサッカー選手として活躍できた影には家族である嫁の存在が大きく関係しています。
(本田圭佑の家族については以下の記事も参考にしてみてください)
【画像あり】本田圭佑の子供は養子?人数・名前は?家族のエピソードも!
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【画像】久保竜彦の娘がスポーツの天才?
続いて、久保竜彦の長女・久保柚季(ゆうき)と次女・久保京夏(きょうか)の二人娘について紹介します。家族揃ってスポーツ一家の久保家ですが、二人娘はどんなスポーツで活躍しているのでしょうか。二人娘が天才と言われる理由についても詳しく紹介します。
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【画像あり】長谷部誠の子供は何人?名前・性別・学校〜家族エピソードも!
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長女・久保柚希は女子サッカーで活躍
幼少期の頃からスポーツに深く関わっていた久保柚希は、サッカーとテニス、空手を習っていたといいます。その中でもサッカーは13歳の頃に「未来のなでしこセレクション」に参加し、ミニゲームにて決勝ゴールを決めていました。このゴールを決めたときに、久保柚季があのサッカーの久保竜彦の娘であると話題になりました。
その後、中学時代には広島の女子サッカーチーム「アンジュヴィオレ広島」に在籍します。さらに、サッカー名門校として有名な広島文京女子大学付属高校に進学し、全国大会出場メンバーにも選ばれるほどサッカーで高い評価を得ていました。
そして、久保柚希は高校卒業後、神戸市外国語大学に進学します。そこでも大好きなサッカーを続けていましたが、プロサッカー選手を目指しているかどうかは不明です。ただ、一部の人の話では「ホテルマンなど海外の人たちと触れ合う仕事をしたい」と話していたそうなので、サッカーの道を選んでいない可能性が高いでしょう。
次女・久保杏夏はテニスで活躍
一方で、次女の久保杏夏は3歳の頃からテニスに興味を示します。もともと運動神経がいいこともあって、小学校3年生の頃「ニュージェネレーションテニス・スカウトキャラバン」にて最優秀賞を受賞した経験もあります。さらに、小学校6年生の頃には全国選抜ジュニアテニス選手権で優勝も経験しました。
また、中学生になると日本を代表するテニスプレイヤーの錦織圭を指導した、米沢徹コーチからの指導をうけるようになりました。日本だけでなく海外への遠征もたびたび行くようになり、テニスプレイヤーとしての実力を確実に積み上げています。
2021年現在高校生の久保杏夏は、元プロ野球選手の石井琢朗の娘である石井さやかとペアを組んでテニスに励んでいます。2020年11月にはITFジュニア山梨のU18女子部門で優勝も果たしました。久保杏夏のテニスプレイヤーとしての今後に大きな期待が寄せられています。
(久保竜彦の娘については以下の記事も参考にしてみてください)
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久保竜彦の自宅は?
久保竜彦の二人娘について紹介しました。ここからは、久保竜彦の自宅について紹介します。サッカー選手を引退したあと、広島に約6年ほど在住した久保竜彦。2021年現在は、山口県光市室積で3LDKの賃貸物件に住んでいるようです。長女・久保柚希は神戸で一人暮らし、次女・久保京夏は東京で暮らしているため、嫁と二人で住んでいると推測されます。
コーヒーの焙煎小屋や知人から借りている畑がある広々とした自宅で、不便さは多少あるものの、のんびりとやりたいことをやりながら過ごしている久保竜彦。もともと人の多いところが苦手だったそうで、新しい家で気持ちよく過ごしているようです。
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久保竜彦の新たな人生を応援しよう
日本代表経験もある元サッカー選手の久保竜彦について詳しく紹介しました。サッカー界から遠ざかったものの、さまざまなことに挑戦し続けていることがわかりました。また、二人娘もそれぞれスポーツでの活躍をみせています。久保竜彦やその家族の人生をこれからも見守っていきましょう。