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三笘薫の高校時代のエピソード!幼少期〜小中学〜筑波大学時代についても!

2021年08月08日

ドリブルの天才であるサッカーの三笘薫薫はどのような高校時代を送ったのでしょうか?エピソードからその高校生活を紐解きます。また幼少期から小中学校、筑波大学時代に至るまで、三笘薫の学生時代を徹底調査しました。サッカーの情報や日常の情報を併せて紹介していきます。

三笘薫の出身高校は?ユースに所属していた?

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東京オリンピック2021のサッカー日本代表として大活躍した三笘薫(みとまかおる)は学生時代からその才能を認められ、将来を嘱望されてきました。この記事ではそんな三笘薫の高校時代のエピソードを中心に幼少期から筑波大学時代までを見ていきます。最初に三笘薫の出身高校について見ていきましょう。

三笘薫の出身高校は神奈川県川崎市立橘高校です。この橘高校は神奈川県川崎市中原区にある男女共学の公立の高等学校です。普通科の他に、国際科やスポーツ科があり、偏差値が学部によって違いますが44~55となっています。スポーツ科であれば偏差値は44とされていますが、勉強ができなければ入ることができない文武両道の高校です。

この高校時代、三笘薫は川崎フロンターレU-18に所属していました。このチームでも活躍を見せていたので、トップチームである川崎フロンターレへの昇格も打診されていたと言います。しかし、このトップ昇格を断って公立大学である筑波大学へ進学したのです。では、どんな高校生活を送ったのか、詳しく見ていきましょう。

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三笘薫の高校時代【サッカー編】

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早速、三笘薫が頭角を現したとされる高校時代のエピソードを見ていきます。まずはサッカーについてのエピソードを中心に見ていきましょう。いったい、どのようなエピソードがあるのでしょうか?

ドリブルで魅せる!

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三笘薫が川崎フロンターレU-18に所属していたときのエピソードです。2015年の2月に行われた川崎フロンターレとアルビレックス新潟の公開練習試合が行われました。その際にものすごくレベルの高いドリブルを見せます。会場に詰め掛けていたファンやサッカー関係者は驚き、「あれは誰なんだ?」と話題になったと言います。

当時、三笘薫は高校2年生という若さでした。プロのサッカー選手になった後もそのドリブルのすごさは話題になりましたが、このころからやはり注目されていたのですね。

ユースからプロ入りの打診を受ける

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高校卒業を控えて、進路を決める時期に川崎フロンターレのユースからトップチームへの昇格を打診されます。高校時代、右肩上がりに成長をつづけていた三笘薫のサッカー技術とセンスはプロでこそ輝くと、当時の監督が推薦しました。サッカーをつづけてきた三笘薫にとってはまたとないチャンスだったでしょう。しかし、三笘薫はこの打診を断ります。

プロになる自信がない…

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意外なことに天才だと名高い三笘薫が大学の進学を決めた理由はプロとしてやってく自信がなかったからだと言います。2018年の5月28日に発売されたスポーツ雑誌「Number Web」のインタビューでは、多少遠回りをしたとしても高卒からプロに行くのではなく、大学進学が良いと考えたと語っています。

また、入学しないかと声をかけたのが筑波大学であるというのも大きな理由だったと語っています。4年間しっかりと勉強をしながら自分自身のことやサッカーを客観的に見つめたいと考えたそうです。高校3年生で自分の将来を見据え、客観的に判断しているところがとても大人びていますね。

大学卒業後は晴れて川崎フロンターレに入り、プロのサッカー選手となりました。一度断られはしましたが、さらに成長したいという三笘薫の進学を後押しして、4年間たった後もチームに入ることを切望していた川崎フロンターレの懐の深さもうかがえます。幼少期からその成長を見守ってきたチームだからこそ、三笘薫との強いきずながあったのでしょう。

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三笘薫の高校時代【日常生活編】

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では三笘薫の高校での日常生活はどのようなものだったのでしょうか?こちらも詳しく調べたのですが、ほとんど情報がありませんでした。高校時代は試合や遠征で休みの調整がしやすいスポーツ科に通っていたと推測されます。しかし、部活はサッカー部ではなかった可能性が高いでしょう。

というのも、高校のサッカー部とユースを掛け持ちしてしまうと試合に出るときの手続きが難しくなります。どちらかのチームでしか出場することができないだけでなく、練習やメンバー選考でも煩わしさが生じてしまいます。三苫薫もこの点を考慮し、高校ではサッカー部には所属していなかったのではないかと推測されます。

また学業に関しては情報がありませんでした。しかし、筑波大学からオファーが来ていることを考えると成績が悪かったとは考えられません。また、大学では体育専門学群で勉強し、将来は指導者になることも視野に入れていたということです。このようにしっかりした考えを持っていることから見ても学業を疎かにしていたということはなさそうですね。

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三笘薫の幼少期〜小学・中学時代のエピソードも!

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三笘薫の高校時代のエピソードを詳しく見てきました。では三笘薫は幼少期から小学校、中学校でどのような学生生活を送ったのでしょうか?こちらのエピソードも詳しく見ていきましょう。

三笘薫の幼少期

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三笘薫には兄がいるのですが、その兄の影響でサッカーを始めます。幼稚園の年少のときにはサッカーボールに親しんで蹴っていたと言います。サッカーを始めたきっかけをつくった兄は現在、サッカー選手にはなっておらず、一般人として生活しています。しかし趣味でサッカーを楽しんでいると三苫薫がインタビューで語っていました。

他の家族については一般人ということで情報がほとんどありませんが、父親は陸上競技を、母親はバレーをやっていたということですから、スポーツ一家といっても良いでしょう。幼少期から家族の仲が良く、今現在も家族でLINEをするなど仲の良い交流をしていると言います。

三笘薫は自身の性格をマイペースだと語りますが、実は幼少期から負けず嫌いだとされています。物心つく前から家族ぐるみで付き合いのあったなでしこジャパン女子日本代表のMF三浦成美からは「お兄ちゃん的な感じで、頼りがいがある」と言われていました。

三笘薫の小学時代

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三笘薫は神奈川県の川崎市立鷺沼小学校に通っていました。全校生徒が900人近くいるかなり大規模な小学校です。小学校時代は、さぎぬまSCと川崎フロンターレU-12に所属していました。このさぎぬまSCからは清水エスパルスの権田修一と川崎フロンターレの田中碧が輩出されています。

小学校3年生で川崎フロンターレの下部組織に加入しますが、ここでは練習のレベルがとても高く、ついていくのがやっとだったと言います。監督からは世界を意識してプレーをするように叩き込まれました。小学校5年6年のときには2大会連続で全日本少年サッカー大会(現JFA全日本U-12サッカー選手権大会)に出場しています。

小学校6年生のときにはチームキャプテンとして活躍していました。ポジションも現在のウイングとは違ってボランチでプレーをし、チーム全体を見てまとめるという視点を持つ経験をしました。

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小学校のときに川崎フロンターレの下部組織で監督をしていた高崎監督によると三笘薫はドリブルは当然、パスをさせても天下一品だったと言います。正確なボールコントロールテクニックは小学生時代に培われたものでしょう。現在はウイングとして活躍していますが、どのポジションでも成功していただろうと言われていました。

また育った鷺沼には、都会でありつつも小学校の隣にはかなり大きな公園である鷺沼公園があります。幼少期からこの公園でたくさん遊んだであろうことは想像に難くありません。実際に川崎市が三苫薫にインタビューをした際に「フロンタウンさぎぬまや、隣の公園(鷺沼公園)でよくサッカーをしていた」と語っています。

ちなみにこの小学校時代に、自宅の隣には俳優の松重豊が住んでいました。三笘家の家の鍵がかかっていたときは、松重豊の家にお邪魔させてもらいリビングのソファーでゲームをしながら母親の帰宅を待っていたそうです。家族ぐるみで付き合いがあったと推測できます。松重豊もきっと三苫薫のサッカーでの活躍を喜んでいることでしょう。

三笘薫の中学時代

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中学校は同じく神奈川県の川崎市立有馬中学校に進学しました。生徒数は生徒数は約800人とかなり大きな中学校で、入学式後すぐに対面式を行い、体育祭のブロックを決めるという伝統があります。このブロックとなったクラス同士は一年間様々な交流をし、関係を深めていくのです。タレントのベッキーが通っていた中学校としても有名ですね。

この中学校時代は川崎フロンターレU-15に所属していました。チームの監督であった後藤静臣監督は中学時代の三笘薫を「右肩上がりに順調に成長していった」と語ります。スポンジが水を吸い込むようにどんどんと成長していくさまが目に浮かびますね。そんな三苫薫は中学3年生のとき、ユースクラブ選手権に出場します。

準々決勝ではガンバ大阪ユースとの対戦になりました。この試合でチームは負けてしまいますが、試合のあと、ガンバ大阪ユースの監督が「ここまで崩されたのはフロンターレが初めてだ」と三苫薫を絶賛したと言います。当時のガンバ大阪ユースにはスター選手が多くいたのですが、それでも三苫薫を食い止めることができなかったそうです。

(内田篤人の高校時代については以下の記事も参考にしてみてください)

三笘薫は大学時代も半端なかった!

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レベルの高い国立大学として知られる筑波大学に進んだ三苫薫はどのような生活を送っていたのでしょうか?何を勉強してどのようなキャンパスライフを過ごしたのか、サッカーについてと日常生活についての両面からチェックしていきましょう。

もちろんサッカー部に入部!

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大学ではもちろんサッカー部に入部しています。というのも、実は高校3年生のときに関東リーグの試合を観戦しています。そこでの縁がきっかっけで、筑波大学サッカー部の練習に参加させてもらいました。その練習中に「高校を卒業したら筑波大学に行くしかない。サッカー部に入るしかない」と感じたそうです。

強豪校・筑波大学サッカー部でのし上がる!


川崎フロンターレの下部組織で活躍していた三苫薫ですが、サッカー部に入学してすぐに試合に出ることはできていません。というのも筑波大学サッカー部はかなりの強豪校で、所属している人数もとても多いのです。試合に出ることができる選手はほんの一握りでした。

三苫薫は試合に出られないあいだに、自分の課題は何かということを突き詰めて考え、課題を克服できるような練習を重ねていきました。その結果として、1年後にレギュラー入りを果たしています。このときの経験がプロ入りしてからも役に立っていることは間違いありません。

スポーツを学ぶ

三苫薫は大学でサッカーばかりしていたわけではありません。筑波大学では体育学の他に、運動生理学、栄養学も学びました。学科は「体育専門学群」で、指導者の育成を目標にしています。実技を重視しつつ、方法論からもアプローチして、スポーツを学問として学んでいたのです。将来は指導者として活躍したいという気持ちがあり、勉強にも身が入ったことでしょう。

卒論のタイトルが!

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スポーツ雑誌の「Number」は三苫薫の論文のテーマが自身のドリブルであったと明かしました。「なぜ、自分のドリブルは抜けるのか」という視点から、小型のアクションカメラ『GoPro』を頭につけて自分の動きを映像化して検証していったと言います。他の選手との比較もし、論文に仕上げました。

しかし、後に三苫薫自身がTwitterで「そんな題名で卒論書いてないです。笑」と反論しています。実際の卒業論文は『サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究』というタイトルで、内容はドリブルに関しての考察であったと考えられます。指導者としての視点、選手としての視点、そして研究者としての視点からしっかりサッカーを見つめたようです。

(中田英寿の高校時代については以下の記事も参考にしてみてください)

その他、三苫薫に関する記事もチェック!

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三苫薫の高校時代のエピソードをを中心に幼少期から人物像を見てきました。しかし三苫薫にはまだまだ魅力がたくさんあります。こちらから三苫薫に関する記事をチェックしていきましょう。

三苫薫のスパイクにも注目!

三苫薫の愛用しているスパイクはプーマです。なぜプーマのウルトラを選ぶのか、その理由をリサーチしました。学生時代の着用モデルも併せて紹介していきます。

三苫薫は高校時代からスゴい選手だった!

出典:http://blog.livedoor.jp/soccerrevolution/archives/44404849.html

三苫薫は高校時代からすごい選手であったことが分かりました。東京オリンピックでの活躍も認められ、イングランド・プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに完全移籍することが決まっています。移籍金は推定で約3億円と言われています。これからも三苫薫の活躍から目を離せませんね!