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【画像】本田圭佑の高校時代のエピソード!幼少期〜小中学など子供時代を徹底調査!

2021年06月19日

本田圭佑はどのような高校時代を送ったのか、彼が通った高校の偏差値や、ポジション、背番号などについて紹介します。サッカー選手としてだけでなく、監督としても活躍する本田圭佑の学校での生活や、星稜高校の後輩に推薦本を送ったエピソードなども併せて見てください。

本田圭佑の出身高校は?

出典:https://www.pinterest.jp/pin/468444798718945034/

本田圭佑は2021年現在も現役のサッカー選手であり、カンボジア代表の監督や、自身がプロデュースするサッカースクールを開講するなど、精力的に活動している人物でもあります。そんな本田圭佑の出身高校は、サッカーの強豪校としても知られる石川県の星稜高校です。

星稜高校の当時の偏差値は50とされており、1600人ほどと生徒数も多い学校で、特に強い野球やサッカー部からは、本田圭佑を含め幾人ものプロ選手を輩出しています。母校である星稜高校が全国高校選手権で初優勝した際に、自身の推薦本を送ったエピソードも記憶に新しいのではないでしょうか。

本田圭佑の高校時代のエピソード

続いて、本田圭佑の高校時代のエピソードについて紹介します。サッカーだけでなく学校生活についても紹介するので、チェックしてみてください。

(内田篤人の高校時代のエピソードについては以下の記事も参考にしてみてください)

祖父母の反対を押し切って星稜高校へ

本田圭佑は中学生のころ、私立はお金がかかるから、サッカーを続けることはやめて公立の高校に行きなさい、と祖父母に言われていたと語っています。確かに私立は公立よりもかなりの学費がかかるので、彼の祖父母が言うことも決して間違いではありません。

しかし、大人の言葉によって、子供の未来を奪ってしまう可能性があるから、自分も気をつけたい、と本田氏は語りました。学生時代に家族の反対を押し切って夢を追い続けるのは、なかなかできないことでしょう。彼の信念の強さを感じるエピソードでもあります。

足の遅さを克服するために走り込みを行う

小学生のころからサッカーを続ける本田圭佑ですが、ジュニアユース時代に戦力外通告を受けてしまうほど、当時は足の遅さが弱点でもありました。この弱点を克服するために、当時陸上部であった三輪真之氏に頼んで、2年もの間毎日、朝5時半から10kmの走り込みを行ないました。三輪真之氏は早稲田大学にて、箱根の駅伝ランナーとしても活躍した人物です。

1年生からレギュラーとして活躍する

子供の頃からサッカーを続けていた本田圭佑は、高校時代には1年生からレギュラーとして活躍しています。1年生のときには高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年生のときには全高等学校サッカー選手権大会でベスト4にも貢献しました。ベスト4になった際には、彼はキャプテンも務めています。

特別指定選手として公式戦に出場する

本田圭佑は2004年には、名古屋グランパスの特別指定選手として練習にも参加しています。また、同年の7月に開催されたナビスコカップでは39の背番号をつけ、ジュビロ磐田戦では公式戦への初出場も果たしました。また、横浜F・マリノスの練習にも参加しています。

未来の妻となる女性と出会う

本田圭佑は美沙子さんという女性と結婚していますが、現在妻であるこの女性とは、高校時代に出会いました。別々の高校ではありましたが、練習試合で一目ぼれした彼が、試合でゴールを決めてすぐに告白をしたと語られています。決断力と、行動力も感じられるエピソードですね。

(本田圭佑の奥さんについては以下の記事も参考にしてみてください)

卒業時にはJリーグからオファーを受ける

高校時代に活躍を見せた本田圭佑は、卒業時には複数のJリーグチームからオファーを受けました。高校卒業後は大学には進学せず、名古屋グランパスエイトに入団を決意します。その後は2年目で早々とレギュラーとなり、さまざまな活躍を見せました。

また、本田圭佑は名古屋グランパスエイトと契約を結んだ際、本人の希望により「オファーがあった時は、海外クラブに移籍することも認める」という条件が含まれていました。

プロになってわずか2年目でレギュラーになり、左サイドバックや左ウイングバックなどのポジションで活躍しましたが、3年目には退団して海外へと渡り、セリエAなどで活躍していきます。

(本田圭佑の年俸については以下の記事も参考にしてみてください)

本田圭佑の幼少期〜小学・中学時代のエピソードも

続けて、本田圭佑の幼少期~小学・中学時代のエピソードについても紹介します。高校で見事な活躍を見せた彼ですが、サッカーはいつごろから行っていたのでしょうか。サッカー以外のエピソードについても紹介していきます。

小学生のころに両親が離婚

本田圭佑は、1986年6月13日に大阪府摂津市に生まれました。もともとはお父さん、お母さん、お兄さんとの4人家族であったのですが、小学2年生のころにご両親は離婚されたと語られています。その後はお兄さんと共にお父さんのもとで育ちますが、お母さんとの関係も良好であるようです。

本田圭佑のお父さんは男で一つで兄弟を育て上げ、試合も実際に見に来たうえで、厳しい言葉をかけていました。「1番になれ」が父の口癖であり、かっこいい男とは何か、ということを父から学んだと本田圭佑自身も語っています。また、父親が忙しかったこともあり、祖父母に育ててもらったことも明かしました。

(本田圭佑の家族については以下の記事も参考にしてみてください)

小学生のときにサッカーを始める

本田圭佑は幼少期からサッカーを行っていたわけではなく、始めたのは摂津市立鵜飼北小学校に進学してからのことでした。小学2年生のときに地元の摂津FCに入部して、サッカーを始めます。中学でもそのままサッカーを続けており、ガンバ大阪のジュニアユースにも所属していました。この頃は、安田理大や、東口順昭などとともにプレーしています。

しかし、中学のころから大きな注目を集めていたわけではなく、当時はスタミナや足の遅さが問題となり、ユースチームへの昇格が見送られました。

中学卒業後は星稜高校に進学する

中学卒業後は、先ほど紹介したように本田圭佑は星稜高校へと進学します。星稜高校へと進学を決めたのは、スポーツに力を入れていたことがやはり理由となっているとのことです。

中学時代は足の遅さが弱点となってしまっていた彼ですが、走り込みなどで弱点を強化し、高校卒業後にはいくつものJリーグクラブからオファーを受けるほどの選手へと成長しました。努力の大切さや、自身の弱点を克服していくことの重要性も感じられるエピソードとなっています。

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この記事では、本田圭佑の高校時代や幼少期などのエピソードを紹介しましたが、Slope内にはまだまだ彼に関する記事があります。気になる方は、以下の記事もチェックしてみてください。

本田圭佑の名言とは?

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本田圭佑はファッションセンスもすごい!

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本田圭佑の髪型も全種類紹介!

本田圭佑の髪型が気になる方は、以下の記事で頼み方などを参考にしてみてください。

本田圭佑は高校時代から努力を惜しまなかった

今回の記事では、本田圭佑の高校時代の活躍や、幼少期、小学生、中学生のころのエピソードなどについて紹介しました。本田圭佑は小学生の頃からサッカーを続けており、高校時代には弱点である足の遅さを克服するための努力も惜しみませんでした。現役選手、そして監督としても活躍を続ける彼の今後にも注目していきましょう。