ロベルトカルロスの歴代背番号!3番・6番の愛着はポジションが関係?クラブ〜代表まで!

元ブラジル代表で左サイドバックとして長きにわたり活躍したロベルトカルロス。DFながらも攻撃的なプレーでDFの概念を変えた歴代最高の左サイドバックと称されています。この記事では歴代背番号「3」「6」に対するこだわりや、クラブ、代表での活躍を詳しく紹介します。

目次

  1. ロベルトカルロスの背番号といえば3番か6番!
  2. ロベルトカルロスの歴代背番号【クラブ編】
  3. 1993年【パルメイラス】
  4. 1994年【パルメイラス】
  5. 1995年【インテル・ミラノ】
  6. 1996年【レアル・マドリード】
  7. 1997年【レアル・マドリード】
  8. 1998年【レアル・マドリード】
  9. 1999年【レアル・マドリード】
  10. 2000年【レアル・マドリード】
  11. 2001年【レアル・マドリード】
  12. 2002年【レアル・マドリード】
  13. 2003年【レアル・マドリード】
  14. 2004年【レアル・マドリード】
  15. 2005年【レアル・マドリード】
  16. 2006年【レアル・マドリード】
  17. 2007年【フェネルバフチェ】
  18. 2008年【フェネルバフチェ】
  19. 2009年【フェネルバフチェ】
  20. 2010年【コリンチャンス】
  21. 2011年【アンジ・マハチカラ】
  22. 2015年【デリー・ディナモス】
  23. ロベルトカルロスの歴代背番号【ブラジル代表編】
  24. 1992年【国際親善試合】
  25. 1993年【コパ・アメリカ】
  26. 1995年【コパ・アメリカ】
  27. 1997年【コパ・アメリカ】
  28. 1997年【コンフェデレーションカップ】
  29. 1998年【ワールドカップ】
  30. 1999年【コパ・アメリカ】
  31. 2002年【ワールドカップ】
  32. 2006年【ワールドカップ】
  33. ロベルトカルロスの背番号3・6へのこだわりとは?
  34. ロベルトカルロスの背番号に関するエピソード!
  35. 左サイドバックへのこだわり
  36. コリンチャンスで「6」だったのはなぜ?
  37. 代表では一貫して「6」
  38. その他のサッカー選手の背番号に関する記事もチェック!
  39. マルセロの歴代背番号をチェック
  40. ベッカムの歴代背番号をチェック
  41. セルヒオラモスの歴代背番号をチェック
  42. ネイマールの背番号をチェック
  43. ロベルトカルロスは背番号3・6で大活躍した!

ロベルトカルロスの背番号といえば3番か6番!

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小柄ながらも丸太のような足と、抜群のスタミナで破壊力のあるプレーを生み出す元ブラジル代表のロベルトカルロス。11年在籍したレアル・マドリードでは黄金期を支える選手の一人でした。ロベルトカルロスの背番号といえば3番か6番が浮かびますが、この番号にこだわりがあるのでしょうか。歴代背番号をチェックしてみましょう。

(アザールの歴代背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

アザールの歴代背番号!10・7の愛着は?50・23を選んだ理由なども!

ロベルトカルロスの歴代背番号【クラブ編】

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生年月日(年齢)1973年4月10日(48歳)
出身ガルサ
身長168cm
所属チーム歴パルメイラス(1993)
インテル・ミラノ(1995)
レアル・マドリード(1996)
フェネルバフチェ(2007)
コリンチャンス(2010)
アンジ・マハチカラ
デリー・ディナモス(2011)
デリー・ディナモス(2015)
所属年(年齢)所属チーム背番号
1993~1995年(20歳~)パルメイラス-
1995~1996年(21歳~)インテル・ミラノ6
1996~2007年(22歳~)レアル・マドリード3
2007~2010年(34歳~)フェネルバフチェ3
2010~2011年(37歳~)コリンチャンス6
2011~2012年(38歳~)アンジ・マハチカラ3
2015年(42歳~)デリー・ディナモス 3

ここからはロベルトカルロスがクラブでつけていた背番号と、シーズンごとのエピソードや当時の動画を紹介します。

(フェルナンドトーレスの歴代背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

フェルナンドトーレスの歴代背番号!9以外は?クラブ〜代表まで!

1993年【パルメイラス】

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ウニオン・サンジョアンでデビューをし、アトレティコ・ミネイロを経て1993年パルメイラスへ移籍します。初年度からジーニョやエバイールらと勝利に貢献する活躍を見せブラジル全国選手権で優勝を果たしました。

1994年【パルメイラス】

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1994年シーズンも変わらない活躍でブラジル全国選手連覇を果たします。なお、当時のブラジルはスタメンのポジションごとに背番号を割り振っていたため、背番号は固定されていませんでした。すでに左サイドバックとしてプレーしていたのでスタメン時は6をつけて出場することが多かったといいます。




1994年シーズンの活躍をまとめた動画です。ゴールに向かって一気に突き進むスピードに目を奪われます。

1995年【インテル・ミラノ】

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パルメイラスの活躍が認められ1995年にインテル・ミラノに移籍します。開幕戦で強烈なフリーキックをみせるものの、同時の監督の方針で本人の希望する左サイドバックではなく左ウィングでの起用が主でした。イタリアのサッカーになじめず1年で移籍となります。ミラノではシーズンを通して背番号は6でした。

インテル・ミラノでの活躍をまとめた動画です。力強いシュートやボールを自由自在にコントロールするテクニックに注目です。

1996年【レアル・マドリード】

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守備重視のサッカーに馴染めなかったロベルトカルロスは、1996年にレアル・マドリードに移籍します。37試合に出場し5得点を挙げリーガエスパニョーラに貢献しました。

1997年【レアル・マドリード】

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1997年シーズンは35試合に出場し4ゴールをきめています。FIFAコンフェデレーションズ・カップ、UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝に貢献しました。

1998年【レアル・マドリード】

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1998年シーズンは、35試合に出場し5得点と安定した成績を残しました。FIFAコンフェデレーションズ・カップ、UEFAチャンピオンズ・リーグで連覇をしています。

1999年【レアル・マドリード】

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1999年シーズンは35試合に出場し4ゴールをあげています。チームタイトルはUEFAチャンピオンズ・リーグを獲得しました。

2000年【レアル・マドリード】

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2000年シーズンは、36試合に出場し5得点きめました。チームとしてリーガエスパニョーラを手にしています。

2001年【レアル・マドリード】

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2001年シーズンは31試合に出場し2ゴールを決めました。数字は下降しましたが、UEFAチャンピオンズ・リーグのチームタイトルと、UEFA最優秀DFの個人タイトルを獲得しています。

2002年【レアル・マドリード】

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2002年シーズンは37試合に出場し5得点をあげています。2年連続でUEFA最優秀DFに選出、リーガエスパニョーラのチームタイトルも取っています。

2003年【レアル・マドリード】

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2003年シーズンは32試合に出場し5得点を挙げました。前年度より出場試合数は減ったものの安定した活躍でUEFAベストイレブンに選出されています。

2004年【レアル・マドリード】

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2004年シーズンは34試合に出場し3得点を挙げています。

2005年【レアル・マドリード】

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2005年シーズンは35試合に出場し5ゴール決めています。この頃のフィットネステストで32歳にして持久走のタイムがチームトップだったというエピソードがあります。30歳を過ぎても衰えを見せずチームに貢献しました。

2006年【レアル・マドリード】

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2006年シーズンの出場試合は22試合、3ゴールという成績でした。チームはリーガエスパニョーラを手にしています。このシーズンを最後にロベルトカルロスはフェネルバフチェへ移籍となりますが、11年という長きにわたりレアルで活躍。銀河系軍団と称され、レアルの黄金期を支えました。

2007年【フェネルバフチェ】

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2007年シーズンはジーコが指揮をとるトルコのフェネルバフチェへ移籍します。移籍初年度は22試合に出場し、2ゴールを決めました。背番号はレアル・マドリードと同じ「3」をつけてプレーをしています。UEFAチャンピオンズリーグでは、トルコのクラブ史上2度目の準々決勝進出に貢献しました。

2008年【フェネルバフチェ】

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2008年シーズンの出場試合数は32試合と大きく伸ばし、4ゴールを決め存在をアピールしています。

2009年【フェネルバフチェ】

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監督の交代もあり2009年シーズンは出場試合数は11と激減しこのシーズンを最後に母国であるコリンチャンスへ移籍します。

2010年【コリンチャンス】

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15年ぶりにブラジルでプレーすることになったロベルトカルロスは35試合に出場しました。ブラジル代表やレアル・マドリードで共にプレーしたロナウドとチームメイトになり再び話題になりました。

コリンチャスでの活躍をまとめた動画です。DFとは思えない強烈なシュートの連続です。

2011年【アンジ・マハチカラ】

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2011年シーズンはロシアのアンジ・マハチカラへ移籍します。29試合に出場し4得点を挙げています。監督の途中解任に伴い、ロベルトカルロスはコーチ兼任としてチームを牽引しました。長いリーグ戦に備え、チェルシーからジルコフを獲得して負担軽減をしますが2012年に一度サッカー選手を引退を表明しています。

2015年【デリー・ディナモス】

出典:https://twitter.com/playerssegundab/status/1199093657200218112

一度は引退を表明したロベルトカルロスですが、2015年にインド・スーパーリーグのデリー・ディナモスに選手兼監督として電撃復帰しました。デリー・ディナモスでは2試合のみ出場でシーズン終了後に退任しています。

ロベルトカルロスの歴代背番号【ブラジル代表編】

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所属年(年齢)大会名背番号
1992年(19歳)国際親善試合6
1993年(20歳)コパ・アメリカ6
1995年(21歳)コパ・アメリカ6
1997年(23歳)コパ・アメリカ6
1997年(23歳)コンフェデレーションカップ6
1998年(25歳)ワールドカップ6
1999年(26歳)コパ・アメリカ6
2002年(29歳)ワールドカップ6
2006年(33歳)ワールドカップ6

ここからは、ロベルトカルロスのブラジル代表時代の歴代背番号と代表での活躍や動画を紹介します。

(マラドーナの歴代背番号については以下の記事も参考にしてみてください)

マラドーナは『背番号10以外』もあった?歴代〜ナポリでの永久欠番も!

1992年【国際親善試合】

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1992年にはじめてブラジル代表に召集され、アメリカ合衆国代表との国際親善試合でデビューしました。

1993年【コパ・アメリカ】

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チームは準々決勝で敗退となるものの、ロベルトカルロスは4試合左サイドバックとしてフル出場しています。

冒頭でロベルトカルトスの華麗なパスを見ることができます。この試合ではPK戦までもつれる試合になりました。

1995年【コパ・アメリカ】

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前シーズンは代表の招集されませんでしたが、1995年のコパ・アメリカで代表に復帰します。6試合フル出場をし準優勝に貢献しました。

2分50秒くらいにロベルトカルロスの強烈なシュートを見ることができます。

1997年【コパ・アメリカ】

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コパ・アメリカ1997年大会にもブラジル代表として招集されています。6試合中5試合に出場し、優勝に貢献しました。

コパ・アメリカ決勝戦のハイライト動画です。ロベルトカルロスの豊富な運動量に注目です。

1997年【コンフェデレーションカップ】

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1997年はコンフェデレーションカップにもブラジル代表として招集されています。2戦目以降4試合に出場しブラジル代表を優勝へ導きました。

1998年【ワールドカップ】

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ロベルトカルロスにとって初めてのワールドカップ出場となります。決勝でフランスに敗れ準優勝になったものの7試合フル出場を果たしました。

1999年【コパ・アメリカ】

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コパ・アメリカ1999大会でも6試合フル出場をしています。

コパ・アメリカ決勝戦のハイライト動画です。試合後半までスピードが落ちることなく走り続けています。

2002年【ワールドカップ】

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1998年に続き、2002年もワールドカップのブラジル代表に選出され、7試合中6試合に出場し、ブラジルの優勝に貢献しました。ロベルトカルロスはグループステージで1ゴール決めています。

2006年【ワールドカップ】

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代表に召集されない年が続いていましたが2006年ワールドカップにブラジル代表入りし、背番号6をつけてプレーします。5試合中4試合に出場しています。この大会を最後にブラジル代表引退となりました。

ロベルトカルロスの背番号3・6へのこだわりとは?

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基本的にDFの背番号は2~5を好んでつけています。ロベルトカルロスの背番号といえば「3」「6」ですがなぜその番号なのでしょうか。左サイドバックに強いこだわりがあったからといわれています。

現在はシーズンを通して選手ごとに背番号が決まっていますが、昔のブラジルは、スタメン選手がポジションによって背番号が割り振られており固定されていませんでした。ブラジルの左サイドバックは「6」だったのでブラジル代表としてプレーするときは6をつけています。また、クラブチームでプレーするときは、DFが好んで付ける「3」だったと推測されます。

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ロベルトカルロスの背番号に関するエピソード!

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ここからはロベルトカルロスの背番号に関するエピソードを探ってみます。自分のポジションに誇りをもってプレーをしていたことがわかります。

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左サイドバックへのこだわり

ロベルトカルロスは左サイドバックで試合に出場することを強く望んでいました。監督の方針によっては左ウィングなど別のポジションで期用させたかったようですがそのスタイルに馴染めなかったという過去もあります。

実際にイタリアのインテルでは不本意なシーズンとなりましたが、移籍先のレアル・マドリードでは左サイドバックとして大活躍しました。

コリンチャンスで「6」だったのはなぜ?

クラブチームでは「3」でしたがコリンチャスでは「6」をつけていました。おそらくブラジルのクラブチームだったので左サイドバックのポジションをしめす「6」にしたと推測されます。

代表では一貫して「6」

クラブチームでは背番号3でプレーすることが多かったロベルトカルロスですが、ブラジル代表では一貫して背番号6でした。ブラジルでは左サイドバックのポジションは「6」だったからではないかと推測できます。

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ロベルトカルロスは背番号3・6で大活躍した!

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ロベルトカルロスは陽気で温厚なサッカー選手だったといわれますが、左サイドバックのポジションや「3」「6」に強いこだわりがあることがわかりました。今後、ロベルトカルトスを越えるような攻撃的DFが現れるのかも注目です。