生年月日(年齢) | 1987年6月24日(2021年8月現在34歳) |
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出身 | アルゼンチン・ロサリオ |
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身長 | 170㎝ |
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職業 | サッカー選手 |
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SNS | Instagram |
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今ではサッカー界において、史上最高選手と讃えられているのがリオネル・メッシ。サッカーに興味がない人でも、メッシの名を知っている人はたくさんいるでしょう。
バロンドールを6度も受賞し、ラ・リーガにて最多ハットトリックスコアラーとしても、サッカー史上の記録一覧にも名を記する名選手です。メッシは若い頃から活躍を期待された神童・天才として、常に脚光を浴び続けてきました。
今回は、幼少期からバルセロナの下部組織に入団した頃、プロデビューに至った頃を中心に、メッシの凄さを解説していきます。
メッシの若い頃【幼少期〜プロデビュー】
まずは、メッシの幼少期から子供時代の頃のエピソードを経て、徐々にバルセロナにて頭角を現していく若い頃へと、順番に段階を追って解説していきましょう。
5歳でサッカーを始める
リオネル・メッシの本名は、リオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティーニといいます。1987年、アルゼンチンの中でも、ブエノスアイレス、コルドバに次いで3番目に人口の多いロサリオという都市にて誕生しました。父親は工員として働きながら、サッカークラブのコーチをしていたこともあり、メッシは5歳の時に、そのチームに加入しサッカーを始めました。
7歳で地元クラブチームに入る
1995年、メッシは地元ロサリオにあるクラブ「ニューウェルズ・オールドボーイズ」へ7歳で加入します。類まれな才能を開花させ、当時はまったく敵なしと讃えられていました。ニューウェルズのユースチーム一員として、6年間に約500ゴールを記録することになりました。
10歳でホルモン分泌異常が見つかる
順風満帆に思えた矢先だった10歳の頃、メッシに思わぬアクシデントが襲います。成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長症)が発覚しました。常に成長ホルモン投与の治療をしなければ、体が発達しないと診断されたのです。さらに追い打ちをかけるように、アルゼンチン経済は逼迫し、保障も途中で打ち切られ、毎月1000ドル以上の支払いができない状況に陥りました。
(ホルモン分泌異常については、以下の記事を参考にしてみてください)
13歳でバルセロナの入団テスト合格
そんな最悪な状況下の中、とある1本の電話が入りました。相手は、スペインの競合FCバルセロナにコネクションを持った代理人ホセ・マリア・ミンゲージャ氏でした。バルセロナは才能が期待されたジュニアの育成に力を注いでいて、アルゼンチンの1人の天才少年を発掘したというのです。
既にビデオを手に入れチームに送っていました。それこそが誰でもない、メッシ少年だったのです。やがて13歳になったメッシは入団テストに合格します。当時の監督だったカルロス・レシャック氏も、メッシのプレーを一目見て才能と将来性を見出したと公言しています。メッシの抱える低身長症の治療費も全額負担を約束しました。
ただし当時の欧州のクラブでは、13歳の南米の少年と契約することは珍しく、バルセロナの会長もやや契約には難色を示し交渉は難航したといいます。
17歳でバルセロナデビュー
メッシのデビューは17歳の時、2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてです。この頃には、ホルモン治療をバルセロナが負担してくれたおかげで、体も徐々に大きくなり、身長170cm、体重67kgにまで成長していました。
18歳で公式戦初得点
メッシのスペインでの公式戦初得点は、2005年5月1日第34節アルバセテ・バロンピエ戦でのことです。この時点で、18歳目前となる(17歳10ヶ月7日で決めた)ゴールは、クラブ史上最年少得点となりました。レギュラー定着とまでは至りませんでしたが、その才能の片鱗を覗かせたメモリアルなゴールとして記録されています。
21歳で名門の背番号10を背負う
それまでのバルセロナのエース背番号10番といえば、ブラジル代表のロナウジーニョでした。やがてロナウジーニョがイタリアのACミランへの移籍が決定し、その背番号10番を引き継いだのがメッシだったのです。さらには右サイドにダニエウ・アウヴェスが加わり、前線のエトオ、アンリらとゴールを量産するようになりました。
2008年から2009年のシーズンは、21歳になったメッシにとっても最高潮な時代となります。故障もなく、UEFAチャンピオンズリーグで優勝を勝ち取り三冠も達成しました。メッシ本人も9得点を挙げて、得点王となった年でした。
メッシは若い頃から代表でも活躍!
メッシはスペインに家族と移住し生活していましたが、祖国及び国籍はアルゼンチンです。代表として選出される場合は、アルゼンチン代表として活躍してきました。ここでは、メッシが若い頃から活躍した、アルゼンチン代表としてのエピソードを紹介していきます。
スペイン代表としてのオファーもあった
アルゼンチン人であるメッシですが、既にスペインに移住し生活のほとんどはこの地に置いていたこともあり、スペイン代表としての打診もあったとされています。
まだ若い頃のメッシの決断としては、スペインのバルセロナ・ユースで活躍してはいるものの、アルゼンチン人であることを選択しました。「呼ばれるならアルゼンチンのためにプレーしたい」という意向を貫いたそうです。
メッシの代表デビューはわずか44秒
メッシの代表デビュー戦は、たった44秒の出場で終わりました。メッシは当時18歳で、ハンガリー戦の後半18分から途中出場しました。しかし、ハンガリーのDFビルモス・バンチャクに対して肘打ちをし、すぐさまレッドカードを貰って退場となったという苦い思い出が残っています。
北京オリンピックで金メダル獲得
2008年の北京オリンピックにて、メッシはグループリーグ1試合目コートジボワール戦で大会初得点を挙げています。その後順調に勝ち進み準々決勝オランダ戦にて、延長戦で2得点目をアシストし勝利に導きます。
準決勝は宿敵ブラジルでしたが、終わってみると3-0で圧勝して決勝へ勝ち進みます。やがて、決勝のナイジェリア戦では、アシストした1点を守りアルゼンチンが金メダルを獲得しました。
世界で最もフリーキックを決めている選手
ブラジルにて行われた「コパ・アメリカ2021」グループリーグ開幕のチリ戦で、メッシはフリーキックから得点を決めました。このゴールによって歴代ゴール数記録は、それまでのクリスティアーノ・ロナウドが持つキャリア通算フリーキック得点数56を上回りました。メッシは、現役のサッカー選手の中で、最もフリーキックでゴールを決めた選手となったのです。
(クリスティアーノ・ロナウドについては、以下の記事も参考にしてみてください)
メッシの若い頃の神童エピソード
世界最高峰のサッカー選手であるメッシです。子供時代から若い頃には、さまざまなエピソードを各種記録一覧に残してきたとされています。そこで、メッシの若い頃の、神童と呼ばれるに相応しいエピソードを紹介していきましょう。
大きい相手にもひるまないプレイ
メッシを知っている幼馴染の多くが共通に語ることは1つです。小柄でひ弱そうな少年が、サッカーボールを蹴りだすと、自分よりも倍近くある体格の子たちを、次々となぎ倒すかのように、ゴールへと迫ってくるプレイに圧倒されたといいます。記憶にも鮮明に残っていて、今でもとても信じられない光景だったそうです。
契約書はティッシュペーパー
先述したように、メッシがFCバルセロナと契約を交わしたのは、わずか13歳の子供時代でした。その時のエピソードとして、当時のバルセロナの事務総長をしていたカルロス・レシャック氏は、ほんの数分だけ、メッシのプレイを見ただけで即時契約をしたいと思い立ち、近辺に何も書類がないにもかかわらず契約をしました。
その時に使用した書類が、なんと普通のティッシュペーパーを用いたというのです。それほど、即刻でメッシを獲得したいという意向が強かったようです。
奥方とは5歳のころに知り合っていた
メッシの奥方はアントネラ・ロキューゾさんという女性です。メッシが彼女と出会ったのは、わずか5歳の時です。共にアルゼンチンのロサリオで育っています。きっかけは、メッシが奥さんのいとこと友達だったことで、自然と付き合うようになったそうです。幼少期からの幼馴染と夫婦になるほど、メッシには常に不思議な運命がつきまとっているのかもしれません。
(メッシの奥方については、以下の記事も参考にしてみてください)
【動画】メッシの若い頃の伝説的プレー集!
ここでは、メッシが見せた、若い頃の驚愕するようなプレイを画像で紹介します。メッシが、どのようなプレイをしたことで世界最高峰の選手になったのか、その軌跡がこれらの画像や動画から伺えます。
ドリブル編
メッシの最大の魅力といえば、高速ドリブルによるトリッキーなプレイです。数人の相手をごぼう抜きする巧みな技は、見所が満載です。
メッシ幼少期の頃のドリブル映像
おそらく7~8歳ごろのメッシと思われます。すでに相手チームの選手をごぼう抜きする、センスのあるドリブルを繰り出していくメッシの姿があります。
メッシ 少年時代のスーパープレイ
この動画も、メッシの少年時代の貴重映像です。その他の同世代の選手たちと比べても、体格が一回り小さいことが分かります。難病を抱えながらも、徐々にサッカーセンスを向上させていた時期です。
青年期のメッシによる驚愕プレー集
年齢では、メッシが18歳から21歳くらいの若い頃の映像です。この頃には、バルセロナにてプロデビューを果たし、ユース代表として10番を背負っています。
シュート編
メッシに期待するシーンといえば、当然シュートを決める瞬間ではないでしょうか?数々の記録を打ち立てた、名シーンの数々です。
メッシのすごさが分かるシーン集
屈強な欧州の選手たちを相手に、身長170cmのメッシが次々と敵をなぎ倒していくようなシーンばかりです。決して選手としては恵まれていない体格のメッシですが、それに屈することなく、確実にゴールをこじ開けるところが痛快です。
厳選した弾丸シュート集
目を見張るような強烈弾丸シュートばかりを集めた特集です。敵もほとんどノーマークなポジションから、絶妙なタイミングで入り、確実にゴールを狙っています。
近年のメッシのゴール集
2019年から2020年くらいの最近のゴール集です。年齢的には30代に入ったばかりの頃になりますが、それでも、まったくゴールを狙う嗅覚は衰えていません。
パス編
メッシは、サッカー史上においても類がない程にパーフェクトな存在です。それを証明する意味で、パスのセンスも相当ハイレベルであることが伺えます。
メッシによる異次元パス特集
シュートの強烈さばかりに目を奪われてしまいがちですが、メッシはパスの出し方も絶妙に巧いのです。ピンポイントで思った場所へボール供給する、巧みなキラーパスなどを厳選した動画です。
(キラーパスについては、以下の記事も参考にしてみてください)
メッシのアシストパスTOP7
過去の公式試合にて、最も優れているとされるパスのトップ7を紹介した動画です。狙った場所への正確なアシストは、ほとんど神業に近いものです。
ダニエウ・アウヴェスとのホットライン
バルセロナでのメッシとダニエウ・アウヴェスとのホットラインは、大きな得点源の1つとされていました。アウベスとのコンビネーションに厳選した動画です。サイドバックを最大限に生かすプレイといえるでしょう。
メッシだから可能なトラップ集
敵を翻弄させる巧みなボールさばき、トラップをやらせてもメッシは一流といえます。練習ならまだしも、正式な試合の本番の最中であろうと、自由自在にボールコントロールしてしまいます。
メッシのトラップを解説した動画
試合中のメッシの動きを画像判定しながら、その技術を解説している内容です。よりサッカーに詳しい人におすすめできます。メッシが用いるトラップの手順が分かります。
メッシの一連の流れが視れる
メッシによる、神業のようなファーストタッチの瞬間が視れる動画です。トラップからドリブル、そしてゴールへと、流れるような一連の動作に注目です。
フリーキック編
メッシのフリーキックは、追い詰められた局面でも、一瞬のチャンスを逃さず得点につなげてしまう芸術性を備えています。
メッシの驚くようなフリーキック特集
バルセロナでのメッシのフリーキックを厳選した内容です。芸術的なボールの軌道に注目です。
メッシのキャリア全52FKゴール
メッシのフリーキックは、まるで針を通すかのように、わずかな隙間やゴールの隅を狙って蹴られています。ボールコントロールは、その経験から感覚で分かるのでしょう。
バルセロナでのフリーキック厳選集
こちらも、バルセロナ時代のメッシが決めたフリーキックの特集です。バルセロナは、メッシのフリーキックによって、どれだけ救われてきたのかが分かることでしょう。
その他、メッシに関する記事もチェック!
メッシの幼少期からデビューまでの内容を中心に紹介してきました。他にも、メッシについての詳しい記事がありますので、ぜひチェックしてみてください。
メッシの子供たちもサッカーが得意
メッシには3人の息子がいて、彼らにもサッカー選手としてのDNAが引き継がれているとされています。この記事は、メッシの息子たちについての特集です。
メッシが愛する高級車を紹介
メッシは車好きで有名です。ここではメッシが愛用する高級車のコレクションを紹介しています。中でも、盟友C・ロナウドと競売で争ったフェラーリに注目です。
メッシの名言集
メッシがサッカー選手として一流なのは、生まれ持った才能に限ったことではなく、常に努力を続けてきたことによります。そんなメッシが今までに公言した言葉を紹介する内容です。
メッシの筋肉やトレーニングについて
メッシの身長・体重・体脂肪などに重点を置いた特集記事です。他にもメッシが筋トレをする際に、どのような考え方で行っているのか?メニューや食事法、生活習慣にも触れています。
メッシのギャラはいくら
メッシの、気になる年収や時給に換算したらどうなるかについて紹介した内容です。世界的プレーヤーのセレブな暮らしぶりや、桁違いなギャラについて理解できるでしょう。
メッシは髪型にこだわるところもある
メッシのヘアスタイルも時代ごとに変貌しています。この記事は、メッシの髪型に注目した内容です。そのオーダー方法やセットの作り方も解説しています。
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