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斎藤佑樹はなぜ大学に進学?プロで活躍せずとも人気の理由・引退の原因〜田中将大との比較まで!

2022年02月14日

2021年惜しまれつつも引退したハンカチ王子こと日本ハムファイターズの斎藤佑樹。彼はなぜプロにはいかず大学進学を決めたのか。田中将大との違いや戦力外通告されない理由や人気の理由など斎藤佑樹の幻影時代に迫っていきます。



斎藤佑樹のプロフィール!高校や大学は?

出典:https://www.pinterest.jp/pin/827606869031859566/
生年月日(年齢)1988年6月6日(33歳)
出身群馬県太田市
身長180cm
体重76㎏
所属チーム 早稲田実業学校高等部→早稲田大学→北海道日本ハムファイターズ
ポジション 投手
SNSオフィシャルサイトInstagram

早稲田実業3年の夏の甲子園、田中将大率いる駒大苫小牧との決勝。引き分け再試合で投げ切り優勝へと導いた斎藤佑樹。プロか進学か、注目が集まる中進学を決めます。

早稲田大学に入学すると1年からレギュラー入り。早稲田大学を優勝へと導き数々のタイトルも獲得。その後、新人としては最高評価の年俸1500万円、契約金1億円、出来高5000万円(推定)で日本ハムファイターズに入団。

プロ入り後は、怪我に苦しみ思うような成績を残すことはできませんでした。甲子園や大学野球をわかせたハンカチ王子は2021年現役生活に終わりを告げました。この記事では斎藤佑樹の野球人生を振り返っていきたいと思います。

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斎藤佑樹はなぜプロではなく大学に進学したのか?

出典:https://twitter.com/N3Murakami/status/1443855870169731075

甲子園で活躍した斎藤佑樹は、なぜプロ入りせずに大学に進学したのでしょうか。甲子園を沸かせた後、プロか進学か日本中の野球ファンが注目した会見。斎藤佑樹は「プロ志願届は出しません。大学進学を希望します」と明かしました。誰もが、早稲田大学への進学を確信していましたが、実は斎藤佑樹の選択しの中には早稲田大学と慶応大学があったようです。

早稲田大学とは違う「エンジョイ・ベースボール」の慶応大学カラーにも興味を持っており進学を模索したといいます。しかし、早稲田大学のライバル校である慶応大学に進学となれば周囲への影響もある。その結果、斎藤佑樹は早稲田大学へ進学することを決意します。

「僕はあの時、ずっと自信がなかったので。高校からプロに行くことをあまり考えてなかったんですけど、トラックマンで(プロで通用する)数値が出ていたら考えていたかもしれないですね。目に見える世の中になってきている。やっぱりメディアの情報(ドラフト1位候補)、近くにいる人たちのアドバイスはもちろん嬉しいんだけど、そうでなくて、明確に見える数字があったら自分の人生をはっきり決める材料になるじゃないかと思うんです。すごくやってもらいたいなと思います」

引用元:https://pacificleague.com/news/36769

後に斎藤佑樹はあの時のことをこのように語っています。高校3年の甲子園優勝は自分でもうまく出来過ぎていると感じていたようです。だからこそ地に足をつけてしっかりとレベルを見ること、そして目標にしていた「六大学野球でプレーする」という思いで大学進学を決意したと語っていました。

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斎藤佑樹はなぜ田中将大とこれほど差がついてしまったのか?

出典:https://twitter.com/bz1988921lmlove/status/1443769879463563267

高校卒業後にプロ入りした田中将大と、大学卒業後にプロ入りした斎藤佑樹。同じプロの世界に飛び込んだ二人ですがプロ入り後の活躍には大きな差が生まれました。では、どうして斎藤佑樹と田中将大には差ができてしまったのでしょうか。ここからは、二人を比較しつつ検証していきましょう。

甲子園での成績

2006年の夏の甲子園。斎藤佑樹率いる早稲田実業高校は、2回戦で中田翔率いる大阪桐蔭高校に勝利。決勝では、田中将大と投手戦となり延長15回でも決着がつかず引き分け再試合に。翌日に行われた再試合では4連投、最後は田中将大を三振にとり夏の甲子園初優勝します。

一方、田中将大は高校2年の夏の甲子園でチーム最多となる25回2/3を投げて優勝、チームを大会連覇へと導きます。3年最後の夏は史上2校目の三連覇がかかりますが斎藤佑樹率いる早稲田実業高校に敗退、準優勝に終わりました。

高校時代の斎藤佑樹は平均135キロの速球を軸にコントロールを持ち味とした頭脳派投手。一方田中将大は平均145キロの速球とスライダーを武器にするパワー投手でした。どちらも高校生の中ではトップクラスの投手で、この頃2人に大きな差は見られませんでした。

卒業後の進路

卒業後の進路については、ご存知の通り斎藤佑樹は早稲田大学へ、田中将大は楽天イーグルスに入団します。斎藤佑樹は大学1年の春から東京六大学で活躍、春と秋のリーグ優勝に導きました。全日本大学野球選手権では33年ぶりの優勝し、翌年の2年の時も優勝します。フォームを崩したことによって3年生の時にはリーグ優勝を逃してしまいますが、4年には復活。

秋の優勝をかけた最終戦では、8回途中までノーヒットノーランの好投で早稲田大学が優勝します。甲子園で人気を博した斎藤佑樹は、大学野球に革命を起こすほど、さらに人気を誇ったのです。

プロ1年目の成績

それでは、最後に斎藤佑樹のプロ1年目の成績を見ていきましょう。2011年4月17日、千葉ロッテマリーンズ戦に先発でプロ初登板した斎藤佑樹。5回4失点(自責点1)で初勝利を挙げています。これは同期入団ルーキーの中では初勝利一番のりでした。しかし、5月8日の福岡ソフトバンクホークス戦で左わき腹の違和感を訴えて降板。全治2~3週間で出場選手登録抹消となりました。

6月後半に復帰するとオールスターゲームで2試合登板無失点におさえスカイアクティブテクノロジー賞を受賞。6勝6敗防御率2.69でシーズンを終了しました。一方、田中将大の2011年の成績はというと、6月7月には2ヶ月連続月間MVPを受賞。開幕から16試合連続クオリティ・スタート達成。

9月10日には、2006年の夏の甲子園以来、斎藤佑樹との対戦となり盛り上がりをみせるも、田中将大の勝利。19勝5敗、最多勝利(D.J.ホールトンと同数)、最優秀防御率、最優秀投手、最多完封(6試合、ダルビッシュと同数)の4冠を獲得。沢村栄治賞・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・最優秀バッテリー賞も獲得し斎藤佑樹との大きな差を感じさせる結果となっています。

(田中将大と嫁については以下の記事も参考にしてみてください)

斎藤佑樹はなぜプロ野球で通用しなかったのか?

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高校・大学時代が全盛期だったと言われる斎藤佑樹。では、どうして斎藤佑樹はプロでは通用しなかったのでしょうか。ここからは、斎藤佑樹がプロで活躍できなかった理由を検証していきましょう。

大学野球での自信がプロでは裏目に

大学で自信をつけてからプロ入りをしたいと考えていた斎藤佑樹。しかしここに大きな落とし穴があったといいます。大学で野球をしている選手はドラフトに上がらなかった選手がほとんど、甲子園で活躍したり、高校時代から注目されていた選手はほとんどがプロ入りをします。

大学といっても所詮はアマチュアなのです。プロよりも実力が劣る世界で成績を残していてもそれは錯覚にすぎない、プロとの実力差はかなりあると言います。しかし、斎藤佑樹は大学時代で獲得した実績が自分の成長として感じていたはず。その自信がプロでは裏目に出たのではないかと考えられます。

プロになりきれなかった

西本幸雄はプロ入りした斎藤佑樹を見て、フォームを修正することを監督やコーチに伝えたとされており、広岡達朗も同様の指摘をしていたそうです。アマチュアの大学では通用してもプロでは通用しない、そんなプロとしての意見を「大学4年間やってきた自信があります」と斎藤佑樹は拒否したとされています。

一方、田中将大は大リーグに移籍すれば大リーグに合うようさまざまな変化球を覚え、柔軟に変化を受け入れ勝ちにこだわっていました。それが田中将大の凄さであり、現在の活躍にもつながります。その意識の差が斎藤佑樹と田中将大の大きな違いと言えるのかもしれません。

「最高の仲間と野球ができた」これは斎藤佑樹が引退表明の会見で語った言葉です。これは、プロの選手ではなくアマチュア選手の発言だとされています。貪欲に勝ちにこだわった田中将大と、プロになりきれなかった斎藤佑樹。二人の差はここから生まれたと言えるでしょう。

練習不足

斎藤佑樹が活躍できなかった原因として練習不足という意見もあります。とにかく体が硬かったという斎藤佑樹、そのため疲労回復も遅く連投ができない、その日の調子はマウンドに上がらないとわからないと少々使いにく選手だったようです。

その上、本人は練習嫌い。他の選手は150球投げこんでいても30球ほどで切り上げる。「いろいろ考えているから30球でも意味がある」というのでみていてもそこまで考えていないことがわかる、そんな選手だったそう。やはりプロ意識のなさが感じられるエピソードですね。

怪我

活躍できなかった原因としては「怪我」もひとつに入るでしょう。プロ1年目から「左内腹斜筋の筋挫傷」をし戦線離脱。2013年には右肩関節唇を損傷している疑いがあると報道されました。加えて前年の右肩痛の影響もありこの年は2軍スタート、1軍には1試合しか出場することができませんでした。

2020年、節目の10年目の春のキャンプから右肘に違和感を感じていたが、結果を残すことに必死になり隠し通した。その結果、全く右肘が動かなくなり「右肘の内側側副じん帯断裂」と診断されます。結果的にこの怪我が引退を決意させたと考えられます。

(斎藤佑樹の怪我歴については以下の記事も参考にしてみてください)

女性関係

斎藤佑樹と言えば、大学時代から女性関係にだらしないという印象がありました。何度もスキャンダル記事を出され噂になった女性も多数。合コンや夜遊びも好きだったというエピソードもあります。そういう事も成績に繋がらなかった一因であると言われても致し方ありません。

(斎藤佑樹の女性関係については以下の記事も参考にしてみてください)

斎藤佑樹はなぜ戦力外通告にならなかったのか?

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プロ入りしても思うように結果を出せなかった斎藤佑樹。自信を失ったように見えた斎藤佑樹に、トレードをして環境を変えるのもひとつの方法ではないかとの声もありましたが、結果的に日本ハムファイターズで現役を終えることになりました。ではなぜ斎藤佑樹はクビにならなかったのでしょうか。

球団の売り上げに貢献

元々、球が凄く速いとか変化球を持っているわけではなくゲームメイク能力が武器だった斎藤佑樹。自信をなくしまうと勝つことは難しかったでしょう。そんな選手の行く末は戦力外通告かトレードが一般的。しかし斎藤佑樹は最後まで戦力外通告されることはありませんでした。

その理由としてあげられるのが球団の売り上げに貢献しているとうことでした。二軍にいることが多かった斎藤佑樹ですが、グッズの売り上げは当時の大谷翔平や中田翔には及びませんでしたが他の主力クラスと変わらない売り上げがあったと言います。

ハンカチ王子としての知名度

二つ目の理由はハンカチ王子としての知名度でしょう。札幌ドームでの単独入団会見には約8000人のファンがかけつけ、千葉県の合宿所「勇翔寮」に入寮する時には約500人近くのファンや報道陣が集まり生中継されました。自主トレの期間はスタジアムには連日2000人のファンが押し寄せ、新入団選手歓迎式典にはスタジアム史上最高の約11000人のファンが集まりました。

前年の新入団会見には512人のファンが集まったそうですからその人気の凄さはわかります。球場のある鎌ヶ谷市には経済効果がもたらされ、同市のPRとしては約160億円の広告効果があったと言います。それは日本ハムファイターズにとってもです。

日ハムと言えば「ハンカチ王子」として覚えている人も多く、若い女性ファンを取り込むことにも成功。試合観客動員数の増加や球団のメディア露出の増加など斎藤佑樹が日ハムに貢献したことは明らか。そのため、球団側としても戦力外通告をしないのではないかと言われていました。

栗山英樹監督の意見

斎藤佑樹が戦力外通告をされない理由として栗山英樹監督の存在も大きかったと言われています。ハンカチ王子として持ち上げられ、勝てなければ手のひらを返される。そんな状況を斎藤佑樹は栗山監督に相談したことがあるようです。その時の言葉に本人は救われたとのちに語っています。

怪我から復帰したときもあたたかく迎え入れ、記者などには「斎藤佑樹の良さを生かすところはどこなんだという話」といつも斎藤佑樹を守ってきました。そのため、戦力外通告をしないのは栗山監督の意思ではないかとの憶測も上がったくらいです。真相は定かではありませんが、栗山監督は斎藤佑樹にとても期待していたのではないかと考えます。

斎藤佑樹はなぜ現役を引退することになったのか?

出典:https://twitter.com/kitteclub/status/1478623320665112578

ハンカチ王子として甲子園や大学野球を賑わせた斎藤佑樹。2021年ついに引退を決意しました。一番の理由はやはり体のことでした。怪我が多い野球人生でしたが、決め手はやはり「右肘の内側側副じん帯断裂」だったようです。

今年1年で結果がでなかったら引退するという覚悟でやっていたようで、それが引退の一番の理由とのことでした。10月17日(日本ハム-オリックス)日ハムが1点リードで迎えた7回表が斎藤佑樹の最後の登板でした。初球は最速125キロでストライクを取り、その後2球ファウル、6球目7球目はボールで四球で彼の現役は終了しました。

では斎藤佑樹の引退についてファンのみなさんはどのような反応をしていたのか見ていきましょう。

斎藤佑樹の引退についての反応



甲子園から見ていた人にとっては、一つの時代が終わったような感覚のようでこのようなコメントが多数みることができました。



ハンカチ王子・斎藤佑樹の引退発表の後、平成の怪物として同じく甲子園をわかせた松坂大輔も引退を表明しました。甲子園でのエースたちが球界を去っていくことにさみしいと感じる人が多かったです。



今やプロ野球を代表する投手・田中将大に投げ勝った斎藤佑樹。斎藤佑樹の凄さを伝えられないさみしさを感じる人も多かったですね。

斎藤佑樹はなぜ人気があったのか?

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斎藤佑樹はなぜこんなにも人気があったのでしょうか。ここからは、斎藤佑樹の人気の理由について探っていきましょう。

ハンカチ王子として社会現象に

早稲田実業のエースとして甲子園のマウンドに立った斎藤佑樹。時折、青色のハンカチで顔の汗をぬぐう姿がテレビ中継で映し出されると一躍有名になり「ハンカチ王子」の愛称が与えられました。流行語大賞に選ばれるなど、高校・大学時代はアイドル的存在として社会現象にもなりました。

波乱万丈な人生に感情移入

ハンカチ王子として社会化現象になり、大学野球では素晴らしい成績を残しプロ野球の世界に入った斎藤佑樹。プロ1年目はそれなりの成績を残せましたが、その後は人生が一転。怪我に苦しみ2軍生活を送る日々、それでもあきらめず再起を目指す斎藤佑樹の波乱万丈な人生に感情移入する人も多かったのではないでしょうか。

しかしその反面、戦力外通告にもならず毎年年俸を得ていることに批判の声が多かったのも事実。その中で戦っている斎藤佑樹を見放すことはできないファンも多かったのではないでしょうか。

人間らしい発言の数々

いつも爽やかな笑顔を見せる斎藤佑樹ですが、実は相当な自信家でもあります。プロ入り当初は「田中将大をいつか追い越したい」と語っていたり、フォームを直したいスタッフに「大学4年間の自信があります」とはっきり発言することもありました。

一方で、注目されたことによって生きにくさを感じたり、批判的な意見に対して「ハンカチを使うんじゃなかった」と本心や弱音を吐露することもありました。そんな人間らしい発言の数々もファンを魅了したのではないでしょうか。

斎藤佑樹の引退後はどうなる?キャスターの道も?

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引退後は、事務所に所属しスポーツキャスターやコーチ活動なども有望視されていましたが、2021年12月「株式会社斎藤佑樹」を立ち上げました。どこかに所属していくよりも自分で切り拓く道を選んだようです。これまでの野球人生の中で疑問に感じていたことを何らかの形で解決していきたいと考えているようです。今後の斎藤佑樹の活躍に期待したいですね。

(斎藤佑樹の愛車については以下の記事も参考にしてみてください)

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斎藤佑樹の今後の活躍に期待しよう!

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ハンカチ王子として野球界をわかせた斎藤佑樹。2021年、プロ野球界を引退し現在は「株式会社斎藤佑樹」の社長として活動しています。今後も斎藤佑樹の活躍に期待しましょう。