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斎藤佑樹の怪我歴!部位・原因は?大学時代・プロ引退の理由〜現在まで調査!

2022年02月28日

ハンカチ王子として高校野球をわかせた斎藤佑樹は、2021年現役を引退しました。この記事では、引退の理由とされている「肩や肘の怪我」について詳しく紹介していきます。大学時代から引退までの怪我歴を解説しつつ原因を探っていきます。

斎藤佑樹は怪我が多かった?引退の理由は?

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生年月日(年齢)1988年6月6日(33歳)
出身群馬県太田市
身長180cm
体重76㎏
所属チーム 早稲田実業学校高等部→早稲田大学→北海道日本ハムファイターズ
ポジション 投手
SNSオフィシャルサイトInstagram

2006年高校3年の夏の甲子園決勝。駒大苫小牧の田中将大と党首選になり延長15回で決着がつかず引き分け再試合となります。翌日先発を志願した斎藤佑樹は、最後田中将大を三振に打ち取り甲子園初優勝に輝きました。

当時、青いハンカチで汗をぬぐうことが話題となりいつしか「ハンカチ王子」との愛称で人気爆発。プロ入りも期待されましたが早稲田大学に進学します。早稲田大学時代もその活躍は続き、再学4年間を通じて史上6人目となる通算30勝300奪三振を達成(リーグ通算61試合に登板、31勝15敗、防御率1.77、323奪三振、ベストナイン2回)しました。

ドラフト会議で日本ハムに入団するも肘や肩の怪我が多く高校・大学時代のような活躍はできませんでした。ここからは、斎藤佑樹の怪我について詳しく紹介していきます。

斎藤佑樹の怪我歴!原因は?

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怪我名原因
大学時代左股関節痛ステップ幅の拡がりや勤続疲労
2011年左内腹斜筋の筋挫傷投球時の体幹のひねり
2012年~2013年右肩の関節唇損傷フォームの乱れや投げ込みすぎ
2020年右肘の内側側副じん帯断裂

斎藤佑樹はいつから怪我に苦しんでいたのでしょうか。ここからは怪我歴を紹介しつつ原因となったものも検証していきます。

大学時代『左股関節痛』

斎藤佑樹は大学3年生の時、股関節を痛めてしまいます。もともと、股関節が硬く大学野球で対戦する相手の投手は斎藤佑樹よりも大きかった。背が大きければ歩幅も大きく、日本の柔らかいマウンドだと大きな穴が掘れてしまいます。結果、斎藤佑樹もステップ幅が拡がってしまったといいます。

気づかぬうちにステップ幅が高校時代の6歩半から7歩に広がってしまったことで股関節に負担をかけてしまいました。診断は「左股関節痛」。負荷がかからないようなフォームをトレーナーらと模索しましたがそれが原因で右肩の可動域が狭まり下半身と上半身のバランスも崩してしまったようです。

斎藤佑樹自身も大学3年の時のことについて、インタビューでこの年に球速を追い求めたことによってフォームが崩れ思った投球ができなかったと語っています。これ以降、斎藤佑樹は慢性的な股関節の痛みと付き合う事になります。

2011年『左内腹斜筋の筋挫傷』

2011年5月8日、福岡ソフトバンクホークス戦で1回を三者凡退に抑えるも左脇腹の違和感を訴え降板します。診断の結果は「左内腹斜筋の筋挫傷」でした。投手であれば投球時の体幹を捻る動作で脇腹を痛めることが多いので斎藤佑樹もそれが原因だと考えられます。

斎藤佑樹もインタビューに応じ「投げる動作をしたときに痛みが出る」と語っていました。肉離れではなく筋捻挫ということで復帰までにかなり時間がかかったようでした。

2012年~2013年『右肩の関節唇損傷』

2012年には「右肩の関節唇損傷」と診断されます。野球人生で初めて右肩に違和感を覚えますが、投げていれば大丈夫だと投げ続けていたそうです。日本シリーズで激痛が走り怪我が発覚。完治が難しく子の怪我で引退する選手もいるほどで「斎藤佑樹自身も目先の結果をおうのではなくフォームなど考えていればよかった」と語っています。

痛みがなければ投げられる、痛みが出なかったら手術しなくてもいいと言われまずは、リスクが大きい手術をせずに肩を2ヶ月休ませてケアすることに。2013年もその影響で二軍でのスタート。一軍の登板は1試合だけでした。

2020年『右肘の内側側副じん帯断裂』

2020年10月16日イースタンリーグ巨人戦の登板中、右肘が全く動かなくなり「右肘の内側側副じん帯断裂」と診断されます。復帰までに1年以上かかる「じん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)」をすることも考えますが、球団に迷惑をかけたくないと保存療法を選択します。

2021年7月1日、269日ぶりに実践登板をし打者3人に9球3者凡退に抑えて無安打無失点に。このシーズン中に1軍復帰はならず10月1日現役引退を表明しました。

斎藤佑樹が怪我が多い理由。狂い始めた歯車はいつから?

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斎藤佑樹はどうしてこれほど肘や肩の怪我に苦しまなければならなかったのでしょうか。ここからは、斎藤佑樹の怪我が多い理由について探っていきましょう。

技術的な感覚がズレたのはアメリカ遠征

斎藤佑樹自身高校3年生の甲子園をスタートとするのであれば、ズレを最初に感じたのは、甲子園終了後のアメリカ遠征であったといいます。甲子園では、変化球はほとんどスライダーでフォークはたまに投げるくらいだったといいます。

しかし、アメリカのマウンドは土が硬いためフォークがやたらと落ちたといいます。そのフォークの味を覚えてしまったためにフォークばかり投げていたそうです。高校時代にストレートとスライダーだけで勝ち続けた。大学やプロに行くためには新しい変化球を覚えなければと思っていたところにフォークが来た。

だからこそ斎藤佑樹は手ごたえを感じフォークを覚えたことに喜びを感じていたと言います。しかし、引退を決めたころあのフォークでリズムが変わって投げ方が狂い歯車がズレはじめたのだと思うようになったそうです。

大学時代の怪我によりフォームが崩れた

高校・大学ではトップを走り続けていた斎藤佑樹がプロになって思うようなピッチングができなくなってしまったのは、大学時代の左股関節痛が発端だと言われています。そのことについて、多くのプロスポーツ選手を治療した太子堂やまがた整骨院の神田正太郎院長は以下のように話しています。

ピッチングをする時、利き腕と反対側の股関節には体重の何倍もの負荷がかかります。しかし、痛みがあると、軸足に思うような体重がかけられなくなり、腰の高い姿勢から、『手投げ』に近いフォームでのピッチングを強いられることになります。nn実際に大学時代の斎藤投手のフォームは、左足に負担がかかりやすい傾向が見られますし、腕の力に頼ったピッチングを繰り返した結果が、後々の怪我を併発させることになったのではないでしょうか

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81573?page=2

左股関節痛については先ほどお話したように、ステップの歩数が変わってしまったことも原因とされています。加えて痛みを回避するために左足に負担がかかりフォームが崩れていったのではないでしょうか。

大学時代の環境

大学時代の環境もまた怪我が多くなった理由とされています。早稲田大学には専用のコーチがいないといいます。そのため、斎藤佑樹にアドバイスをする人がいなかったと考えられます。プロ入りした年、西本幸雄からシーズン前に齋藤の投球フォームについてフォームについて改善するようにアドバイスがあったと言われています。

しかし、それを斎藤佑樹は受け入れなかった。大学4年間の実績が彼の自信となっていたからだといいます。桑田真澄曰く「彼が本来すべき投球スタイルと彼自身が求めるスタイルの違いを理解していない」ということをわかる監督やコーチが大学時代にはいなかったのが原因ではないでしょうか。

(柳田悠岐の高校時代については以下の記事も参考にしてみてください)

斎藤佑樹は怪我が理由で引退。決めたのはいつ?

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怪我が理由で引退を決意した斎藤佑樹。では引退を考えたのはいつ頃だったのでしょうか。インタビューなどを元に引退について紹介していきます。

引退を決めた日はいつ?

2021年斎藤佑樹は「今年1年で結果がでたなかったら」という想いでやってきたといいます。いつ引退を決めたのかとの問いに「最終的には今日(会見の日)吉村GMとチームメイトにお伝えしたしてという感じです」と答えた斎藤佑樹。しかし、彼の中ではいつというよりずっと引退を考えながら過ごしていたのかもしれません。

投げない選択肢はなかった

引退の理由についてはやはり体(怪我)のことが一番ということでした。9月20日平塚のベイスターズとの対戦で2番手として登板した日がきっかけになったと言えるでしょう。その日の試合前は特に肩の痛みが強く、右腕を肩のラインよりも上に持ち上げることができなかったといいます。

そんな状況でも斎藤佑樹には「投げない」という選択肢はなかったといいます。今年結果が出なければ引退すると覚悟を持っていたのでどんな形でも最後まで投げ続けなければいけないと思っていました。それが肘を痛めても契約してもらった日ハムに対する責任だと思っていたからだといいます。

試合後、右肩の関節唇と腱板が損傷しているとの診断を受けます。それが本当に引退を決めた理由となったのかもしれません。

(内田篤人の怪我や引退については以下の記事も参考にしてみてください)

引退後の現在は?

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引退を発表した後は引退後の去就についてさまざまな情報がありました。芸能事務所やエージェントと接触しそのうちの1社に内定が決まっていることや、テレビ朝日系の報道ステーションがオファーしているなどスポーツキャスターやタレントとして活動していくことが有力でした。

しかし、2021年12月10日斎藤佑樹は「株式会社斎藤佑樹」を設立。どこかに所属するよりも自分の道は自分で切り拓くとの考えから会社を立ち上げたようです。今後の活動は模索中としながらも、野球人生の中で感じた問題や課題を自分で改善していきたいと語っています。引退後の活動をいくつか紹介していきましょう。

野球を科学的に学ぶ

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『野球をさまざまな角度から研究し、先端データを用いながら実践に活用し得る知見を見出す』という取り組みのオンラインサロンなどに参加しています。「経験や感覚だけではなく科学的根拠をもとにスポーツを伝えられるよう勉強していきたい」と語っており仕事とは別に勉強などもしていくようです。

CM

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2022年2月には、同じく2021年に引退した松坂大輔とCMで共演してことでも話題になりました。居酒屋でビールを飲みながら対談している様子はかなり反響がありました。「野球場を作りたい」との二人の共通の夢が実現する日も近いのかもしれません。

(松坂大輔については以下の記事も参考にしてみてください)

キャンプ訪問

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2022年2月、沖縄県名護市で行われている日ハム1軍キャンプに訪問し新庄監督と初対面を果たしています。18日にキャンプで打撃投手を務め、20日にはキャンプ中継番組でゲスト解説を行うなど古巣日本ハムファイターズに貢献しています。

これを見たファンは「佑ちゃんと一緒に日ハムを応援し続けて行こうと思えた」など続々と反応があったようです。今後の斎藤佑樹の活躍にも期待していきたいですね。

斎藤佑樹は怪我がなければプロで活躍できたのか?

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「斎藤佑樹は怪我がなければプロで活躍できたのか」この問にはほとんどの人がイエスと答えるでしょう。それほど、怪我に苦しんだプロ野球人生だったからです。それと同時に大学に行かなければプロ野球で活躍できたと語る専門家が多いのも事実。

それについては大学時代の「左股関節痛」があります。この怪我についてはプロ活動していれば防げた怪我であったからです。大学でも優秀はトレーナーはいますがプロと比べると実力は劣ります。大学の怪我だけが原因ではありませんが、それを代表的にあげられてしまうのは仕方ないことでしょう。

さらに、大学での自信が彼を頑固にさせてしまった。プロ入団後のフォーム改善を拒否したのも活躍できなかった理由のひとつと言われています。これについては、斎藤佑樹自身も感じているようでした。

(斎藤佑樹はなぜ大学に進学したのかについては以下の記事も参考にしてみてください)

その他、斎藤佑樹や野球選手に関する記事もチェック!

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ここからは、スロープ内にある斎藤佑樹の記事について紹介していきます。もっと斎藤佑樹を知りたい人はぜひチェックしてみてください。

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斎藤佑樹のプロ野球人生は怪我と共にあった!

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「今は、ほっとしています」と話した斎藤佑樹。彼のプロ野球人生は怪我とともにありました。高校・大学の全盛期の活躍を見てきたファンとしては物足りないプロ野球人生だったのかもしれません。しかし、斎藤佑樹ならきっとその経験を生かし更なる飛躍が期待できるでしょう。今後も斎藤佑樹の第2の人生を応援していきましょう。