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【動画あり】マラドーナの『凄さ』は?プレースタイル・得意技を徹底解説!

2021年08月11日

マラドーナの凄さはどこにあるのでしょうか?この記事ではその凄さをマラドーナのサッカー動画から確認してきます。また伝説となったプレーやマラドーナのスーパープレーについても見つつマラドーナが個人やチームで獲得した数々の成績と併せて紹介します。

マラドーナの凄さとは?

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生年月日(年齢)1960年10月30日(享年60歳)
出身アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース
身長165cm
職業・サッカー選手
・サッカー監督
所属チーム歴・エストレージャ・ロハ(ユース)
・ロス・セボジータス(ユース)
・アルヘンティノス・ジュニアーズ(ユース)
・アルヘンティノス・ジュニアーズ
・ボカ・ジュニアーズ(loan)
・バルセロナ
・ナポリ
・セビージャ
・ニューウェルズ・オールドボーイズ
・ボカ・ジュニアーズ

神の手と呼ばれたマラドーナは2020年に急逝するまでサッカー界の第一線で活躍し続けました。その功績は今も語り継がれ、背番号10番をファンタジスタとして印象付けたのはマラドーナであるとも言えます。では、マラドーナはどのくらい凄いのか、その凄さを動画を元に見ていきましょう。

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マラドーナの凄さを解説

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マラドーナは凄い、神の子であると言われるのは彼の偉業があったからこそです。ではどのように「凄い」プレーをしてきたのでしょうか?以下の7つの項目について確認していきます。

・プレースタイル
・ボールコントロール
・ゲームメイク力
・フリーキック
・得点力
・パスの正確性
・判断力

では早速、マラドーナの凄さを動画で見ていきましょう。

プレースタイル

動画からも分かるようにマラドーナのプレースタイルはボールコントロール力の凄さに裏打ちされています。何人もの選手がかかってきてもドリブルで簡単に抜くこともできます。またスピードも速く、相手を置き去りにするサッカーをプレーしていました。小柄なマラドーナですが、当たり負けしない肉体でゴールへと貪欲にボールを運んでいきます。

全盛期のマラドーナのシュートに関してはタイミング、スピード、パワーのどれをとっても完璧としか言いようのないものでした。フリーキックももちろん得意で、ここ一番というシーンにとても強かったことが動画からも分かります。

ボールコントロール

この動画ではマラドーナの素晴らしいボールコントロールを50選紹介しています。全盛期の的確なボールコントロールはもちろん、相手の隙をつくボール運びから彼の頭の良さや判断力の高さがうかがえますね。

ゲームメイク力

マラドーナはそのゲームメイク力にも定評がありました。全体を広く見渡して司令塔の役割をしつつ、ボールを的確に運ぶこともできます。彼がスター選手となりえ、如何にしてファンタジスタと呼ばれるようになったのかはこちらの動画からよく分かるでしょう。

フリーキック

全盛期ではなく、こちらは監督となったマラドーナのフリーキックを紹介します。50歳という年齢ながら、その正確性と力強さは現役時代の凄さを再確認するのには十分でしょう。

得点力

マラドーナの神の手と言えばこちらの1986年 FIFA WC メキシコ大会を忘れてはいけませんね。マラドーナの全盛期時代でもありました。ゴールへの執念がうかがえる動画です。

パスの正確性

マラドーナと言えば得点を重ねるためにシュートばかりを打つい目地を持っている人も多いのではないでしょうか。しかし、パスの正確性も突出しているのです。空いている味方チームメンバーを瞬時に見つけ、ギリギリ取れる位置にパスを出すことが動画からも分かります。

判断力

マラドーナは広い視野で相手チームの動きを読み切り、ボールを運んでいきます。全盛期には小柄ながら、体がぶつかることをものともしない野性味あふれるサッカーも彼の大きな特徴となっています。

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マラドーナの凄さを証明するタイトル

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マラドーナのスーパープレーを見て、その凄さが確認できたことでしょう。では次にマラドーナ全盛期の凄さを証明するタイトルを確認していきます。

・チームタイトル【クラブ編】
・チームタイトル【代表編】
・個人タイトル

上記の3つの項目を確認していきましょう。最初に確認していくのはチーム成績です。

チームタイトル【クラブ編】

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では早速、マラドーナが所属していたチーム成績を確認していきましょう。クラブ編を紹介していきます。

1982年 アルゼンチン・リーグ  4位

1982年のアルゼンチン vs 西ドイツの試合動画です。アルゼンチンリーグは現在ではプリメーラ・ディビシオンと呼ばれるアルゼンチンサッカーの一部リーグとなっています。24チームが参加しそのほとんどが首都ブエノスアイレスとブエノスアイレス州にあるチームだと言われます。2020-21シーズンから名称がリーガ・プロフェシオナル・デ・フットボルに変更されました。

1983年 コパ・デル・レイ 優勝

スペインのサッカーのカップ戦のことです。スペイン最古のサッカー大会でもあり、優勝したクラブにはUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられます。さらに決勝進出の2クラブにはスーペルコパ・デ・エスパーニャの出場権が与えられるのです。マラドーナの所属していたチームはもちろん優勝しました。

1983年 コパ・デ・ラ・リーガ  出場

スペインで行われていたサッカーのカップ戦がこちらのコパ・デ・ラ・リーガです。1982年から始まり真下が、シーズンの日程が過密になることや大会の飽和などの理由でクラブ側から反発があり、1986年にわずか4回のみの開催で廃止されました。

1983年 スーペルコパ・デ・エスパーニャ  出場

こちらはスペインサイコのサッカー大会である、コパ・デル・レイの優勝、準優勝チームと、その2チームを除いたラ・リーガの上位2チームがトーナメント方式で戦うスペインのスーパーカップです。マラドーナのチームもこちらの大会で優秀な成績を修めました。

1985年 グエリン・ドーロ

イタリアのスポーツ週刊誌主催の賞で、活躍した選手や今後の期待選手など細かく部門が分かれています。日本サッカーの司令塔でもある中田英寿もこのグリエン・ドーロの「初年度の外国人のみを対象にしたサプライズ賞」を受賞しました。

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1986年~1987年 コッパ・イタリア  出場

スポンサーシップにより開催されたイタリアのサッカーカップ戦です。優勝チームには翌シーズンのUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられ、日本で言う天皇杯のような位置づけの大会となっています。

1986年~1987年 セリエA  優勝

出典:https://www.at-s.com/movies/article/contents/856085.html

イタリアのプロサッカーリーグのセリエAは20ほどのチームで競われます。その中でも優勝を果たしたということはとても名誉なことです。素晴らしい成績を修めたのはマラドーナが崖っぷちであったナポリに参加したからだと言われていますね。

1988年~1989年 UEFAカップ  優勝

UEFAヨーロッパリーグは、欧州サッカー連盟(UEFA)の主催で毎年9月から翌年の5月にかけて行われる、クラブチームによるサッカーの国際大会です。

1989年~1999年 セリエA 優勝

ナポリに移籍したマラドーナのおかげでチーム力が格段にあがり、またもやセリエAで優勝するという成績を修めています。

1990年 スーペルコッパ・イタリアーナ 出場

こちらはイタリアのサッカーの大会で、1988年から始まったスーパーカップのことです。大会形式は、セリエAの前シーズン優勝チームとコッパ・イタリアの優勝チームが一発勝負を行うというもので、緊迫感やドキドキ感が楽しめる大会となっています。

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チームタイトル【代表編】

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次にマラドーナが所属するチームの成績を確認していきます。

1979年 FIFAワールドユース選手権  優勝

1979年のアルゼンチンVSオランダ戦の動画です。2005年大会まではFIFAワールドユース選手権でしたが、現在はFIFA U-20ワールドカップという名称になっています。こちらはFIFAが主催する、20歳以下のナショナルチームによるサッカーの世界選手権大会であり、有望な若手選手が次々と排出されています。

1986年 FIFAワールドカップ  優勝

1986年のアルゼンチンVSメキシコ戦の動画です。マラドーナはアルゼンチン代表として同大会に参加しました。サッカーの大会における世界最高峰であり、オリンピックと並ぶほどのスポーツ大会となっています。

1993年 アルテミオ・フランキ・トロフィー  出場

こちらは1985年と1993年に開催されたUEFA欧州選手権とコパ・アメリカの優勝チーム同士が対戦したサッカーの国際大会です。2回しか開催されていませんが、現在のFIFAコンフェデレーションズカップの前駆的存在となった大会です。

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個人タイトル

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最後にマラドーナが個人で獲得したタイトルも確認していきます。

1979年 FIFAワールドユース選手権最優秀選手

1979年のFIFAワールドユース選手権アルゼンチンVSソ連の動画です。2006年にFIFAコンフェデレーションズカップを除く全てのFIFA主催の世界大会に「ワールドカップ」の名前をつけることが決定したため、現在はFIFA U-20ワールドカップと呼ばれます。ゴールデンボール賞をマラドーナが、ゴールデンブーツ賞をラモン・ディアスが獲得しています。

1986年 FIFAワールドカップ最優秀選手

こちらの動画はFIFAワールドオールスター86の時のものです。最高峰のサッカー大会であるW杯は国際サッカー連盟(FIFA)が主催する、ナショナルチームによるサッカーの世界選手権大会です。マラドーナは最も活躍した選手に選ばれました。

1978年M アルゼンチン・リーグ得点王

アルゼンチンリーグは2020-21シーズンから名称がリーガ・プロフェシオナル・デ・フットボルに変更されています。歴代得点王の中にはセルヒオ・マルティネスなど有名選手が名を連ねます。

1979年M・N アルゼンチン・リーグ得点王

M・Nというのはシーズンです。1979年に開催されたアルゼンチン・リーグそれぞれのシーズンでマラドーナは得点王を獲得しました。

1979年 南米年間最優秀選手賞

動画は1979年のイタリアVSアルゼンチン戦のものです。南米年間最優秀選手賞は、南米のクラブチームでプレーする南米のサッカー選手に与えられる賞のことです。1971年から開始され、ベネズエラの新聞「El Mundo」によって1985年まで賞が与えられました。1986年以降はウルグアイの新聞「El País」が選考し、公式なタイトルの一つに成長しています。

1979年 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞

こちらはは、アルゼンチンのスポーツジャーナリスト団体によって、オリンピア・アワード(アルゼンチンのスポーツ界で最も権威ある賞)のサッカー部門の受賞者に与えられる賞です。マラドーナは何度もこの賞を受賞しました。近年ではリオネル・メッシも受賞しています。

1980M・N アルゼンチン・リーグ得点王

現在はリーガ・プロフェシオナル・デ・フットボルとなっているサッカー戦で得点を一番取った人物に与えられる賞です。この1980年にもマラドーナが得点王に輝きました。

1980年 南米年間最優秀選手賞

南米のクラブチームでプレーする南米のサッカー選手に与えられる賞この賞を、1979年に続きこの年もマラドーナが受賞しています。

1980年 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞

マラドーナはこちらの賞を合計4回も受賞しました。報道陣とは敵対していたのに、こちらの賞を獲得できるのは凄いことです。

1981年 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞

報道陣とは折り合いが悪かったとされているマラドーナですが、こちらの賞を取るくらい、圧倒的なプレーをしていたということでしょう。

1986年 南米年間最優秀選手賞

こちらの動画では、南米年間最優秀選手賞を受賞したころのマラドーナのスーパープレーを見ることができます。マラドーナは個人でこちらの賞を何度も受賞します。全盛期のマラドーナは他の追随を許さないスターぶりだったのですね。

1986年 記者選出アルゼンチン最優秀サッカー選手賞

数年の間が空きましたが、またマラドーナはこちらの賞を受賞しています。この時期は愛人がマラドーナの子どもを出産したことなどもあって気分が不安定で、子どもの認知を渋ったために地元メディアから攻撃されていましたが受賞しました。

1986年 記者選出アルゼンチン最優秀スポーツ選手賞

同じく、マラドーナにとっては女性問題で頭を痛めていた時期ですが、こちらの輝かしい賞も受賞しています。

1986年 世界年間最優秀選手(ワールドサッカー誌)

イギリスのTIメディア(英語版)によって月に1度発行されているサッカー専門誌であるこちらの雑誌の世界年間最優秀選手に選ばれました。このときマラドーナは名実ともに最高峰の選手であると認められました。

1986年 オンズドール

フランスのサッカー雑誌「オンズ・モンディアル」が主催する、ヨーロッパのリーグでプレーする選手を対象としたサッカーの年間最優秀選手賞がオンズドールです。のちにはメッシ、ジダン、ロナウドも受賞する由緒ある賞です。

1987年 オンズドール

こちらはオンズドールを受賞したころのマラドーナの雄姿です。賞を獲得したころのマラドーナは全盛期にありました。こちらの動画からもそのスーパープレーを見ることができます。

1987年~1998年 セリエA 得点王

ナポリ時代にセリエAのトップチームへと押し上げたマラドーナは得点王も獲得しています。

1989年 南米年間最優秀選手賞

世界的にも手も有名なこの賞はしばらくの間、マラドーナが独占していました。比類なき選手であったことがよく分かります。

1990年 南米年間最優秀選手賞

1990年ころのマラドーナのプレーには目を見張るものがあります。この賞を獲得したときのマラドーナのプレーはまさにスーパープレーとしか言いようのないものでした。

1992年 南米年間最優秀選手賞

マラドーナはこちらの賞を受賞するのはこの年で最後になりますが、合計6回も受賞しています。

1999年 20世紀の偉大なサッカー選手100人2位(ワールドサッカー誌)

ワールドサッカー誌が1999年12月には読者による投票で20世紀の偉大なサッカー選手100人を選んだときにマラドーナは2位にランクインしました。ちなみに1位はペレでした。

1999年 記者選出20世紀アルゼンチン最優秀スポーツ選手賞

アルゼンチン・スポーツ記者より20世紀最優秀スポーツマンに選出されました。マラドーナは当時38歳で乗りに乗っている時期です。

2000年 FIFA20世紀最優秀選手

こちらはFIFAによって選出された賞です。受賞したのはペレとディエゴ・マラドーナの2人のみでした。

2002年 ゴール・オブ・ザ・センチュリー

FIFA主催のファン投票による「ワールドカップ・ゴール・オブ・ザ・センチュリー」で伝説のゴールに選ばれました。

2003年 ゴールデンフット賞All Time Legend

ゴールデンフット賞は、モナコ公国の大公、アルベール二世らの支援により2003年に設立されました。メディア関係者やファン投票により選出された28歳以上の現役選手1名と、サッカーの歴史上に偉大な功績を残した引退選手に授与されるものです。モドリッチや中田英寿も受賞している賞です。

2004年 FIFA 100

こちらはFIFAの創設100周年を記念して2004年3月4日にロンドンで開催された記念式典の際にペレが選出したものです。日本からは唯一、中田英寿が選出されました。

2020年 バロンドール・ドリームチーム

2020年にフランスのサッカー専門誌「フランス・フットボール」が発表したサッカー選手の歴代ベストイレブンがこちらです。攻撃的ミッドフィールダーにペレとともに選ばれました。

マラドーナの凄さがわかるスーパープレー集

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マラドーナの全盛期の凄さが分かるスーパープレーはまだまだあります。

・マラドーナのスーパープレー【ドリブル編】
・マラドーナのスーパープレー【シュート編】
・マラドーナのスーパープレー【パス編】
・マラドーナのスーパープレー【トラップ編】
・マラドーナのスーパープレー【フリーキック編】

上記の5つについて確認していきます。伝説となったマラドーナの凄いプレーをこちらから一挙に見ていきましょう。

マラドーナのスーパープレー【ドリブル編】

マラドーナの驚くべきドリブルスキルをこちらの動画から見ることができます。

マラドーナのドリブルは超人的で真似することができないとされていました。

マラドーナのドリブルの凄さはそのスピード感や迫力、そして正確さによるものだということが動画からも分かります。

マラドーナのスーパープレー【シュート編】

マラドーナはシューとも一流であったことが分かる動画です。

こちらの動画では、50mのロングシュートを決めました。やはりマラドーナのシュートは超人的です。

多くのディフェンスをかわしてゴールに堂々とボールをシュートするマラドーナの動画集です。敵チームもマラドーナを完全にマークしますが、それでも彼を止めることができません。

マラドーナのスーパープレー【パス編】

マラドーナは的確なパスを出すのもとにかく上手でした。こちらの動画からは神がかり的なパスを見ることができます。

マラドーナは全体を見渡して、的確な位置にパスを正確に出す能力がありました。スルーパスも得意としています。

こちらの動画はマラドーナのパスのスキルの高さを集めた動画集となっています。華麗なるパススキルを見ていきましょう。

マラドーナのスーパープレー【トラップ編】

絶対に突破できないように思えるオフェンスもマラドーナの手にかかればこちらの動画のように一気に突破できてしまうのです。

マラドーナのトラップはそのボールさばきのうまさやコントロールの正確さから生まれていることがこの動画からも分かるでしょう。

この動画ではマラドーナ一人だけがゴールの方向に向かってダッシュします。試合の流れをしっかりと把握しているのもマラドーナの頭の良さゆえのことです。

マラドーナのスーパープレー【フリーキック編】

フリーキックもマラドーナはしっかりと決めています。動画を見ていると、ボールを正確にけり込んでいることが分かりますね。

動画開始から1分前後でフリーキックの様子を見ることができます。ボールが綺麗にゴールへ吸い込まれていきました。

こちらはマラドーナが若いプレーヤーに対してフリーキックを指導しているシーンです。現役を離れてからもなお、フリーキックのテクニックは健在ですね。

マラドーナの凄さを絶賛するサッカー選手・監督のコメント

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マラドーナの凄さはサッカー選手や監督からも絶賛されています。ここからは同業者から見た、天才マラドーナの凄さへの評価をそれぞれの言葉とともに見ていきましょう。

前園真聖(サントスFCなど)

出典:https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20160606/451857.html

日本サッカー界を牽引した前園真聖もマラドーナに対しては尊敬の念を抱いています。少年時代、マラドーナのサッカーに憧れてビデオテープが擦り切れるほど見たと語っていました。前園真聖はマラドーナに対して「この選手を見たい、お金を払っていいと純粋に思わせてくれた選手である」とコメントしていました。

(前園真聖の結婚相手については以下の記事も参考にしてみてください)

ゲーリー・リネカー(バルセロナなど)

出典:https://ameblo.jp/liberonotaka/entry-12353756736.html

マラドーナの訃報を聞いたリネカーは以下のようにコメントしました。「アルゼンチンからの報道によれば、ディエゴ・アルマンド・マラドーナが死去したとのこと。我々の世代では飛びぬけた最高の選手であり、間違いなく史上最高の選手でもあった。祝福もされ、また波乱な人生ではあったけれど、ようやく神の手の中で安らぎを見出すことができるね」。マラドーナとは同年代で同じ時期にプレーしていた戦友でもありました。

アンドリー・シェフチェンコ(ACミランなど)

出典:http://blog.livedoor.jp/sheva3/archives/29310937.html

「あなたはいつも僕に感動と笑顔を与えてくれた。サッカーを愛する全ての人々にあなたが施してくれたことは何ものにも代え難い。安らかに眠れ、永遠のレジェンドよ」とのコメントを出したのがアンドリー・シェフチェンコです。偉大な選手もマラドーナを敬愛していました。

フランコ・バレージ(ACミラン)

出典:https://ameblo.jp/m-katsubou/entry-12589568455.html

フランコ・バレージはマラドーナの訃報に対して「私の心が泣いている。君と対戦できたことは光栄だったし、君は大きなハートを持っていた。君は永遠に魔法をかけ、喜びと感動を与え続けるだろう。さようなら、ディエゴ。RIP」との言葉を送っています。同年代を生きたプレーヤーからも一目置かれているのがマラドーナの凄さでもありますね。

ペレ(サントスなど)

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「なんて悲しいニュースだ。私は偉大な友人を失い、世界はレジェンドを失った。語るべきことはまだたくさんあるが、今は彼のご家族に神様が力を与えてくれますように。いつか、空の上で一緒にサッカーができることを楽しみにしている」

サッカーの王様とも呼ばれたペレとサッカーの神の子マラドーナはよく比較されました。ペレはマラドーナ逝去に対してこのようにコメントしました。友人として彼を悼んだペレの言葉は多くのサッカーファンの心に刺さりました。

リオネル・メッシ(バルセロナなど)

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マラドーナ2世と呼ばれそのサッカーの技術の高さはマラドーナも評価していたと言います。そんなメッシはInstagramにマラドーナとの笑顔のツーショットを投稿し、「アルゼンチンとサッカー界にとって非常に悲しい日だ。でも、彼が私たちの心から離れることはないだろう。彼は永遠のスターなのだから」と追悼コメントを出しています。

小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)

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“和製マラドーナ”とも呼ばれる小野伸二もマラドーナの凄さについて言及しています。幼少期を思い出して、こちらのように評価していました。

「この人のプレーをずっと見ていたい」と思いましたね。ドリブルもそうですし、パスにしても想像しているものと違うというか、意表を突かれるようなパフォーマンスを見せてくれる。それで見ている人に楽しいと思わせたり、「サッカーをやりたい」と思わせたりしてくれる。」少年時代に憧れたマラドーナに今もなお憧れ続けていると言います。

(小野伸二の怪我については以下の記事も参考にしてみてください)

ディエゴ・マラドーナ・ジュニア(クアルト)

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マラドーナの息子である彼は父のことを次のように評価していました。「サッカーというスポーツが誕生して以来、最高のプレーヤーだということです。ビデオは何度も巻き戻して見たけど、父さんのプレーには驚いてばっかりです。」

ディエゴ・マラドーナ・ジュニアは最初、マラドーナに認知を拒まれましたが、2003年のゴルフ・トーナメントに参加しているマラドーナに会いに行きます。マラドーナは最初、彼をファンの一人と認識していましたがすぐに、彼が自分の息子であることに気がつき、強く抱擁しています。

イビチャ・オシム(日本監督)

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オシム監督はマラドーナに対しての気持ちを、インタビューで「自らスペクタクルを作り出せる選手であったし、スペクタクルに生きる選手でもあった。」とコメントしています。良くも悪くもマラドーナはサッカーを演出する力を持っている人物であると評価していました。

クリスティアーノ・ロナウド(ユヴェントス)

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ロナウドはマラドーナの訃報に対してモノトーンに加工したマラドーナと自身のツーショットをインスタグラムに上げました。「最高の選手の一人で、比類なきマジシャン。」というのが彼の評価です。マラドーナはスター選手のロナウドにとっても最高選手であり、名実ともにファンタジスタであったと語りました。

ピーター・シルトン(レイトン・オリエント)

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マラドーナの神の手と実際に対峙したのがピーター・シルトンです。彼は「マラドーナは非常に賢かった。手と同時に頭を突き出して誤魔化したんだ。あの回転の速いフットボールIQは素晴らしいものだった」と語りました。苦々しい経験ながら、「彼はあのときに自分が何をすべきかを理解していた。あれが彼の凄さでもある。」とも評価しました。

マラドーナのサッカー以外の凄さ

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マラドーナの凄さはサッカーの成績だけにとどまりません。マラドーナのサッカー以外での凄さが分かるエピソードをこちらから確認していきます。

友人がカストロ議長!

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マラドーナがフィデル・カストロキューバ議長と初めて対面したのは1987年7月28日のことです。これ以来、マラドーナとカストロ議長は友人関係を築いてきました。結婚式にカストロ議長を招待したり、病気になった際にはカストロ議長を頼ったりするなど、私的に信頼し合っていたことが分かっています。

空気銃を乱射!

1994年2月にマラドーナの別荘に押しかけた報道陣200名に対して空気銃の乱射を行いました。この事件で数名が負傷しています。記者によって告訴されましたが、報道陣に悩んでいた事実を知っていた国民やカルロス・メネム大統領はマラドーナに同情的で、処分は未決定とされました。きっかけから終結まで彼のカリスマ性が引き起こした事件と言えます。

女性にもモテる!

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マラドーナは女性にもとにかくモテました。若干15歳で、近所に住んでいたクラウディアと交際するようになります。FCバルセロナ移籍の際には家族と一緒にクラウディアも呼び寄せました。しかしSSCナポリに所属していた1985年にはアメリカ人モデルとも関係を追っています。さらに同じころ、ナポリの女性とも恋愛関係にありました。

さらに、1986年にはこちらのナポリの女性がディエゴ・マラドーナ・ジュニアを出産しています。紆余曲折はあったものの、1989年の11月7日にクラウディアと結婚式を挙げます。この結婚式には前述のカストロ議長が参列しているのです。しかしクラウディアとは2004年に離婚しました。

この離婚した2004年には20歳のキューバの女性と結婚しています。この当時マラドーナは44歳ということで倍以上も年齢が離れていたことになります。マラドーナはそのかっこよさから、イケメンサッカー選手の走りであったともいえるでしょう。

その他、マラドーナに関する記事もチェック!

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伝説のプレーヤーであり、数々の成績を残したマラドーナの魅力はまだまだ他にもあります。こちらからマラドーナに関する記事をチェックしていきましょう。

ファンタジスタの10番以外に…?

マラドーナと言えば背番号10番ですが、それ以外を背負ったこともあるのでしょうか?調査しました。

低身長は病気って本当?

マラドーナの低身長は病気であるとの説があります。その真相に迫りました。

マラドーナの凄さはレジェンド級!

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マラドーナは20世紀に活躍した選手の中でも別格の存在です。その理由は紹介してきたプレーからも実感できたことでしょう。マラドーナは60歳の若さで逝去されましたが、全盛期時代のその凄さは永遠に残り、レジェンドとなっています。