マッスル北村とは?身長・死因・名言・ステロイド・子供・食事・睡眠時間など網羅紹介

伝説のボディビルダ―と死後も語り継がれるマッスル北村。今回は、マッスル北村の死因は餓死、離婚歴があり、1人娘がいる噂といわれていますが、本当なのでしょうか?今回は、マッスル北村の死因や名言、生い立ち、食事、睡眠時間の情報、結婚、娘についてなど詳しく解説します。

目次

  1. マッスル北村とは?身長などプロフィールを紹介
  2. マッスル北村の生い立ち
  3. 小学校~高校は東京学芸大附属校
  4. 2浪し、東大へ進学
  5. 父親との確執
  6. アジア選手権でタイトル獲得
  7. 芸能界、世界の道へ
  8. マッスル北村の筋トレ・食事について
  9. ストイックすぎる食事
  10. 過酷な筋トレ
  11. マッスル北村の死因は餓死?
  12. マッスル北村はステロイドも使用していた?
  13. マッスル北村は睡眠時間が短すぎる?
  14. マッスル北村は結婚して子供がいた?
  15. マッスル北村は伝説を多数残している
  16. マッスル北村の名言から尋常ではないストイックさが伝わる
  17. 1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった
  18. 優しさや思いやりを身にまとう瞬間
  19. マッスル北村はすごい選手だが決して真似すべきではない…。

マッスル北村とは?身長などプロフィールを紹介

名前北村克己(きたむら・かつみ)
芸名マッスル北村
生年月日1960年10月6日(享年39歳)
出身地東京都
血液型B型
身長173cm
体重115kg
学歴東京学芸大学教育学部付属高校卒業
東京大学理科Ⅱ類中退
東京医科歯科大学医学部中退
職業ボディービルダー、タレント

今は亡き「伝説のボディービルダー」として語り継がれるマッスル北村。過度な減量や筋トレなどを繰り返し、事実上の餓死状態となり、39歳という若さで他界してしまい話題となった人物です。マッスル北村は、ボディービルダーとして名を広める前に、東京学芸大学教育学部付属高校卒業、2浪した後に東大に入学をしています。

その後、中退をしてしまいますが、ボディービルダーになるまでどんな背景があったのでしょうか?まず、マッスル北村の生い立ちを紹介します。

マッスル北村の生い立ち

マッスル北村は、ボディービルダーになるまでどんな人生を歩んできたのでしょうか。マッスル北村の生い立ちについて詳しく解説します。

小学校~高校は東京学芸大附属校

マッスル北村は、小学校から高校まで東京学芸大の附属校に通っている優等生。当時から、成績も優秀、運動能力も学校で際立っていました。この頃から、マッスル北村はプロボクサーや競輪選手に憧れを抱き始めます。

中学2年の夏、連続16時間漕ぎ続けるという過激なサイクリングに挑戦し、失敗したことからマッスル北村「限界への挑戦」が始まります。それ以来、長距離マラソンやサイクリングなど、死と直面するギリギリの状態まで自分を追い込むトレーニングを行っていました。当時、両親はそんなマッスル北村が心配で頭を抱えていたといいます。

長距離サイクリング中に、携帯していた牛乳(腐ったもの)を一気飲みして病院送りになったり、脱水症状で病院に運ばれたりすることもありました。ここまで自分を極限の状態まで追い込んでいることから、幼少期からマッスル北村のストイックな性格であることが伺えます。

2浪し、東大へ進学

マッスル北村は、現役で防衛医科大学と早稲田大学理工学部に合格していましたが、東大にこだわりがあったのか、2度の浪人生活を選択しています。その後、東京大学理科Ⅱ類に無事に合格し、受験勉強から解放されたマッスル北村は、ボクシングジムに通いだします。

当時、プロボクサーへの道を目指していたマッスル北村。スパークリング中にパートナーに左右のフックを決めた際に、一時的に相手の視力を奪ってしまった恐怖心からプロボクサーの道を断念します。また、競輪の道もプロの走りを目の当たりにし、限界を悟ったのです。

夢を失い、途方に暮れていたところ、東大のボディビルの先輩と出会い、勧めらるがままにボディビルの関東学生選手権に出場。他の選手との体格の違いに屈辱を感じたマッスル北村は、学業そっちのけで体力作りに力を入れ始めました。その結果、わずか1年程度で55kgの体重は、96kgまで増量。見事、2年後の関東学生選手権で優勝を果たします。

(ボクサーについては以下の記事も参考にしてみてください)

ボクサーは筋トレすべき?必要な筋肉は?ボクシングでつきやすい筋肉まで解説!

父親との確執

東大に通わず、筋肉ばかり鍛えているマッスル北村を父親は良く思っていませんでした。そんな息子に父親は激怒し、ダンベルシャフトで何度も殴りつけ、左目を網膜剥離による手術をする事件が起こります。それ以来、父親とは確執が生じてしまったのです。

父親と確執が生じても懲りずに、筋トレなどボディビルに専念したことにより、東大を中退しますが、父親の目が厳しかったため、東京医科歯科大医学部を受験し直し、見事合格します。しかし、またもやボディビルに専念してしまうあまり、2年で中退してしまいます。この中退により、さらに父親との確執が深まってしまいました。

アジア選手権でタイトル獲得

マッスル北村は、1985年のアジア選手権でライトヘビー級のタイトルを獲得。このとき、マッスル北村の伝説として語り継がれる1985年のアジア選手権における「2日で14kgの減量」を遂げます。

1985年の実業団選手権に優勝したマッスル北村は、4日後のアジア選手権のオファーを急遽受けることになります。実業団選手権により、減量していたマッスル北村は、さらに筋肉にハリをもたせようと食事をしますが、コントロールできず13kg増量してしまったのです。

普通なら棄権を選択しますが、マッスル北村はわずか2日間で14kgの減量を成功させます。山奥から自宅までの120kmという無謀なマラソンに挑戦し、筋肉や皮膚がボロボロになりながらも15時間かけて走りぬきました。この減量については国内はもちろん、海外の反応も大きい「マッスル北村の伝説」の1つと語り継がれています。

芸能界、世界の道へ

マッスル北村は、後に紹介するドーピング疑惑により、日本ボディビル連盟(JBBF)を脱退。事実上、国内のコンテストの道を閉ざされてしまいます。マッスル北村は、新たな道を切り開くために芸能界進出し、タレントとして活動しました。

さらに、ボディビルの世界選手権にも参加するようになります。1999年の「NPCトーナメントオブチャンピオン」では、ベビー級で3位入賞。海外の反応もよく、2000年の同大会では「今年は優勝できる」と自負するほど筋肉も完璧に仕上がっていました。しかし、極端な減量や食事制限を行っていたことにより、8月3日低血糖による心不全により39歳で他界しています。

マッスル北村の筋トレ・食事について

マッスル北村はかなり自分に厳しい人間であることが分かります。性格だけではなく、食事や筋トレもかなりストイックに行っていました。実際にどんな筋トレや食事をしていたのか、詳しく解説します。

ストイックすぎる食事

マッスル北村は、ボディビルに目覚めてから卵を20~30個、鯖缶を3缶、プロテインを300g、牛乳2~3リットルを毎日摂取し、それらの消化吸収を促進させるために大量の消化剤を大量に摂取していました。冷凍ささみを加熱せず、ミキサーにかけたものを一気に飲みし、筋肉をつけるためにかなりハードな食事を摂っていたことも有名です。

さらに、スポーツ選手やアスリートがよく行う食事法のカーボローディングやオイルダイエットも行っています。カーボローディングとは、1週間の前半は低糖質の食事、後半から当日までは高糖質の食事をとり、体を動かすエネルギーであるグリコーゲンを体内に蓄積させるための食事法です。

オイルダイエットは、オリーブオイルなどの良質な油をエネルギーとし、炭水化物をカットするダイエット法です。マッスル北村は、死ぬ間際もこのカーボローディングを行っていたとされています。マッスル北村の性格上、極限の状態まで糖質を落とすなど、過酷な食事制限をしてたことは想像できるでしょう。

(プロテインについては以下の記事も参考にしてみてください)

プロテインを『筋トレ前』に飲むメリット!効果〜タイミング・量など飲み方を解説!

過酷な筋トレ

マッスル北村は、ジムのトレーニングマシンの重量では物足りず、ロープで数十キロあるダンベルをくくりつけ、およそ100kg程の負荷をかけて行っていました。通常の人なら通常10セット行う種目を、マッスル北村は20~30セットと倍以上の量を行っていたとしています。

過酷な筋肉トレーニングをしていますが、トレーニング中は常に笑顔。どれだ筋肉を愛していたのか、その情熱が伝わるのではないでしょうか。

(ボディービルダーの筋トレについては以下の記事も参考にしてみてください)

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マッスル北村の死因は餓死?

マッスル北村は、2000年8月3日に39歳という若さで死去。当時マッスル北村は、2000年「NPCトーナメントオブチャンピオン」で優勝を目指し、オイルダイエットなど過酷な食事制限を行っていました。そのことにより、脂肪を極限まで落としたことによる低血糖で急性心不全を起こし、他界してしまいます。

この死因については、「事実上の餓死」と言われています。マッスル北村が計算していた食事量より、エネルギー代謝が大きくなって低血糖を引き起こしてしまったことが原因です。亡くなる数日前には、「今年は優勝できる」というほどの最高の筋肉の仕上がりだっただけに、無念が残る結果となってしまいました。

(マッスル北村の死因については以下の記事も参考にしてみてください)

マッスル北村の死因は餓死ではない?食事制限による低血糖?噂の真相を解明

マッスル北村はステロイドも使用していた?

マッスル北村は、1986年の「ジャパン チャンピオンシップス」において、当時の日本ボディビル連盟(JBBF)よるドーピング検査で、筋肉増強剤の使用ありという結果で失格にされてしまいます。このときの筋肉増強剤とは「ナンドロロン・デカノエイト」というステロイド剤です。

マッスル北村は、事件について4年もの間沈黙を貫いていましたが、交友関係が深い北九州のジムの会長が嫌がらせを受けたことにより、堪忍袋の緒が切れてしまいます。ドーピング事件の真相については、当時のJBBFのドーピングコントロール委員長・後藤紀久が不倫相手であった某女子ビルダーを失格させないために、尿サンプルをすり替えたとされています。

ドーピングについてボディービルダーの山本義徳は、たとえ薬物使用禁止(ステロイド剤)だろうと当日の検査でクリーンであればルール上、問題ないという独自の見解を語っています。山本義徳のように、ステロイド剤を使用しているボディビルダ―は多いのですが、マッスル北村は使用を否定しています。

(マッスル北村のステロイド疑惑については以下の記事も参考にしてみてください)

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マッスル北村は睡眠時間が短すぎる?

マッスル北村は、1日およそ2~5時間の睡眠時間という情報があります。毎日のトレーニングと、1日に大量のたんぱく質を摂らなければいけないため、睡眠時間を削っていました。日本人睡眠化学研究所によると、日本人の平均睡眠時間は7時間43分です。平均と比べるとマッスル北村さんは、かなり睡眠時間が短いことが分かります。

(マッスル北村の睡眠時間については以下の記事も参考にしてみてください)

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マッスル北村は結婚して子供がいた?

マッスル北村は、結婚した経験があり1人娘がいるという情報があります。しかし、結婚生活は長く続かず離婚し、娘は実家で育ててもらっていました。過酷な食事やトレーニングを行っていたマッスル北村には、家庭には向いていなかったのかもしれません。

(マッスル北村の結婚や娘については以下の記事も参考にしてみてください)

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マッスル北村は伝説を多数残している

マッスル北村の有名な伝説を2つ紹介します。1つ目の伝説は、鶏肉の生肉をミキサーにかけた生肉シェイクです。マッスル北村の独自のレシピで鶏肉の胸肉を解凍したもの、水、バニラエッセンスなどミキサーでかき混ぜたものを「最高」といって飲みほしていました。たんぱく質は豊富ですが、食中毒などを起こす可能性があるので、真似はしない方がよいでしょう。

2つ目の伝説は、マッスル北村の体があまりに大きかったため棺桶に入らなかったという伝説です。マッスル北村の体が収容できる棺桶がなく、特注サイズで棺桶を用意したといいます。これだけの巨体ながら、体脂肪率はわずか3%と驚異の数値は、今でも伝説として語り継がれています。

(マッスル北村の伝説については以下の記事も参考にしてみてください)

マッスル北村の『伝説』を網羅!過酷でストイックすぎるエピソードを紹介!

マッスル北村の名言から尋常ではないストイックさが伝わる

マッスル北村は、数々の名言を残しています。その言葉からは、マッスル北村の異常なストイックさが伺えます。ぜひチェックしてみてください。

(マッスル北村の名言については以下の記事も参考にしてみてください)

マッスル北村の『名言』30選!伝説のボディビルダーの格言でモチベUP!

1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった

1千回と1千1回とでは天と地の隔たりがあった。
まさに最後の1回は全身全霊の限界力を振り絞った一発。
その前の1千回はこの1回のためのお膳立てに過ぎない。
最後の一発はその前の1千回に勝るとも劣らない価値がある。

1,000回をこなしたときより、1,000回と1回のこの1回に意味があるという名言です。1,000回という回数も驚異的ですが、その目標よりもさらに上を行こうとするマッスル北村の根性が伝わります。ボディビル界でも、「筋トレの名言だ」「この人は人生における目標」などとマッスル北村を尊敬する声が集まっています。

優しさや思いやりを身にまとう瞬間

他人を納得させる記録や結果よりも
たとえ自己満足と笑われようが自分で自分に心から「よくやった」
と、ひとこと言える闘いこそ、まことの勝利であり
人間としての自信と誇りを得て
人生で最も大切な優しさや思いやりを身にまとう瞬間だと思う

周りの評価よりも、自分が成長し自分に心から自信をもち、自分を愛せるようになったとき、自然と人に優しくできたり思いやりを持てるようになるといった名言です。この名言は、ボディビルに対してだけでなくどの人にも響く言葉ではないでしょうか。マッスル北村は、このような名言を、数々残しています。

マッスル北村はすごい選手だが決して真似すべきではない…。

マッスル北村は、あまりのストイックさ故に、39歳という若さで帰らぬ人となりますが、最後までボディビルを愛した選手でした。マッスル北村のように、極限までストイックに食事やトレーニングを行ってしまうと、低血糖になり同じように心不全を起こす危険もあります。ここまでの食事制限や健康被害を及ぼすトレーニングは、決して真似しないようにしましょう。