スポーツ

サッカー

インザーギの歴代背番号!9以外は?後継者は呪われる?クラブ〜代表まで調査!

2021年09月12日

ACミランの背番号9といえばインザーギだという人も多いでしょう。その9番は現在「呪われた番号」としても知られています。しかし、意外なことにインザーギは、代表では9以外が多いのです。そこで今回は、インザーギのクラブと代表の歴代背番号を詳しく紹介していきます。

インザーギの背番号といえば9番!

出典:https://www.pinterest.co.kr/pin/628815166701971765/
生年月日(年齢)1973年8月9日(48歳)
出身イタリア・ピアチェンツァ
身長181cm
所属チーム歴・ピアチェンツァ
・レッフェ
・エラス・ヴェローナ
・パルマ
・アタランタ
・ユベントス
・ACミラン
SNSInstagramTwitterFacebookYouTube

デルピエロと2トップを組んでセリエAを席巻したユベントス時代や、10年以上所属したACミラン時代など、インザーギは常に背番号9とともにありました。そんなインザーギですが、9以外の背番号も付けていたとは意外に感じるでしょう。そんなインザーギの歴代背番号を、クラブと代表に分けて紹介していきます。

(サッカーが上手くなる筋トレメニューについては以下の記事も参考にしてみてください)

インザーギの歴代背番号【クラブ編】

出典:https://www.pinterest.jp/pin/588353138811251053/
所属年(年齢)所属チーム背番号
1991〜1995(18歳〜)ピアチェンツァ9
1992〜1993(19歳〜)レッフェ(ローン)9
1993〜1994(20歳〜)エラス・ヴェローナ(ローン)9
1995〜1996(22歳〜)パルマ16
1996〜1997(23歳〜)アタランタ9
1997〜2001(24歳〜)ユベントス9
2001〜2012(28歳〜)ACミラン9

まずはクラブ別のインザーギの背番号を見ていきましょう。

【1991-1995】ピアチェンツァ

出典:https://www.pinterest.co.kr/pin/415175659376123027/

インザーギは、地元クラブであるピアチェンツァでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、プロデビューも当時セリエBのピアチェンツァからでした。当時からすでに背番号9を付けてプレーしています。しかし、試合出場は数えるほどでした。

【1992-1993】レッフェ(ローン)

出典:https://ilnobilecalcio.it/2021/06/09/ma-cosa-ci-fa-a-leffe-un-campioncino-cosi/

出場機会を求めて、インザーギはプロ2年目を当時セリエC1のレッフェへレンタル移籍しました。9番を付けてプレーし、21試合で13ゴールを記録して、点取り屋の才能を徐々に開花させていくことになります。

【1993-1994】エラス・ヴェローナ(ローン)

出典:https://www.pianeta-calcio.it/campionati/stasera-lhellas-verona-di-mister-juric-ospita-il-benevento-dellex-pippo-inzaghi/

プロ3年目はまたもレンタルでエラス・ヴェローナに移籍したインザーギ。カテゴリーはセリエBに上がりましたが、そこでも9番を付けてシーズン13ゴールを奪いました。

【1995-1996】パルマ

出典:https://storiedicalcio.altervista.org/blog/inzaghi-filippo.html

レンタルバックでプロ4年目は地元のピアチェンツァでプレーしたインザーギ。15点取ってチームのセリエB優勝とセリエA昇格に貢献しました。そんなインザーギを当時セリエAの強豪パルマが引き抜き、インザーギに背番号16を与えます。しかし、各国代表が名を連ねるチームでなかなか出場機会を得られずに、失意のシーズンを過ごしました。

(同じくパルマに在籍していた中田英寿については以下の記事も参考にしてみてください)

【1996-1997】アタランタ

出典:https://www.pinterest.jp/pin/616078424015922040/

思ったような活躍ができずにパルマから放出されたインザーギですが、同じくセリエAのアタランタが彼を迎えます。9番を付けたインザーギは伸び伸びとプレーしてゴールを量産。33試合で24ゴールを奪い、見事セリエA得点王になりました。チームもセリエA残留を果たしています。

【1997-2001】ユベントス

出典:http://ilpalloneracconta.blogspot.com/2007/08/filippo-inzaghi.html

セリエA得点王となったインザーギは、破格の年俸と背番号9を与えられてユベントス入りしました。ジダンやデルピエロらと組んだ攻撃陣が機能して、インザーギは移籍1年目から18得点をマークしてセリエA優勝を経験。2年目以降もコンスタントにゴールを決め続けますが、ケガやチーム事情などで徐々に出場機会が減ります。結局4年でユベントスを後にしました。

(同じくユベントスに在籍していたC・ロナウドについては以下の記事も参考にしてみてください)

【2001-2012】ACミラン

出典:https://worldfootballindex.com/2020/05/italian-legends-filippo-inzaghi/

2001年に移籍金約27億円でACミランに移籍すると、1年目にスクデット獲得、2年目にはコッパ・イタリアとチャンピオンズリーグの2冠に輝きました。2006-2007シーズンのチャンピオンズリーグ決勝では、ミランの全2ゴールを記録する大活躍でした。結局インザーギは、引退までの11シーズンをミランで過ごしました。もちろん背番号はずっと9のままです。

(同じくACミランに在籍していた本田圭佑については以下の記事も参考にしてみてください)

インザーギの歴代背番号【イタリア代表編】

出典:https://www.pinterest.jp/pin/17732992271062565/
所属年(年齢)大会名背番号
1997年(23歳)親善試合(代表デビュー)21
1998年(24歳)フランスワールドカップ19
2000年(26歳)EURO20009
2002年(28歳)日韓ワールドカップ9
2004年(30歳)EURO2004不出場 ※予選で10番を着用
2006年(32歳)ドイツワールドカップ18

クラブではほとんど9番を付けていたインザーギ。アズーリでも9番かと思いきや、意外にもそれ以外の背番号を付けています。

【1997年】親善試合ブラジル戦

出典:https://www.pinterest.co.kr/pin/554435404112129636/

1997年6月のブラジルとの親善試合で、インザーギは21番を付けてプレーしました。インザーギにとって、その試合が代表デビューでした。

【1998年】フランスワールドカップ

出典:https://www.10footballentertainment.com/inzaghi-filippo/

1998年のフランスで行われたワールドカップで、インザーギは背番号19をもらってメンバー入り。インザーギは2試合出場しましたが、イタリアは準々決勝で優勝したフランスと対戦し、PK戦で惜しくも敗れました。

【2000年】欧州選手権

出典:https://www.pinterest.co.kr/pin/65724475801235889/

主要大会では、ユーロ2000からインザーギは代表でも9番を付けることが多くなりました。イタリア代表は、ユーロ2000こそインザーギの2ゴールなどもあり準優勝しましたが、日韓ワールドカップではまさかのグループリーグ敗退でした。

【2003年】欧州選手権予選

出典:https://www.guerinsportivo.it/news/il-cuoio/2021/06/20-4394853/italia-galles_la_tripletta_di_pippo_inzaghi_contro_i_dragoni/

ユーロ2004の予選では珍しいことが起こりました。9番が定位置だったはずのインザーギが、画像の通り10番でプレーしたのです。ちなみにその時の9番はヴィエリで、普段10番の多いトッティは欠場、代わりに10番を付けても良さそうなデルピエロがいつもの7番のままでした。

【2006年】ドイツワールドカップ

出典:https://www.pinterest.co.kr/pin/675610381606280126/

ユーロ2004本戦をケガで欠場したインザーギ。その後は復調し、2006年のドイツワールドカップではイタリア代表に返り咲きました。しかし、代表から離れていたため、与えられた背番号は18でした。それでも3度目のワールドカップで初めてのゴールを記録するなど活躍し、イタリア代表は24年ぶりにワールドカップで優勝しました。

インザーギが背番号9で残した数々の功績!

出典:https://www.pinterest.jp/pin/436075176396030244/

現役時代のほとんどを背番号9で過ごしたインザーギ。彼が残した輝かしい功績は、個人とチームに分けると以下の通りとなります。

インザーギのタイトル【個人】

まずはインザーギの個人タイトルですが、意外にも数えるほどしかありません。

最優秀若手選手

アタランタ時代の1995-96シーズンに、インザーギはセリエAの最優秀若手選手を受賞しました。それがきっかけで、翌シーズンにユベントスへ移籍できたのは言うまでもありません。

セリエA得点王

同じく1995-96シーズンに、インザーギはセリエAの得点王となりました。得点王はその1回だけですが、セリエAで10度もシーズンふた桁ゴールを記録するなど、コンスタントにゴールを量産。アズーリの一員としても、57試合出場で代表歴代6位タイの25得点を記録しました。

インザーギのタイトル【チーム】

個人タイトルは意外に少ないインザーギですが、チームとしてのタイトルには恵まれました。

セリエA優勝

ユベントス時代の1997-98シーズンと、ACミラン時代の2003-04並びに2010-11シーズンの計3回、インザーギはセリエA優勝を経験しました。

コッパ・イタリア優勝

コッパ・イタリアは、ミラン2年目の2002-03シーズンに優勝。次項のチャンピオンズリーグと合わせて、そのシーズンは2冠を獲得しました。

UEFAチャンピオンズリーグ優勝

ユベントスとACミランでUEFAチャンピオンズリーグに毎年出続けたインザーギ。通算46ゴールはドログバやデルピエロらを上回り、史上トップ15に入ります。そして、チャンピオンズリーグを制覇したのは、ミランでの2002-03と2006-07シーズンの2回です。

FIFAクラブワールドカップ優勝

2003年のトヨタカップ(当時)は、PK戦の末ボカ・ジュニアーズに敗れました。大会がFIFAクラブワールドカップに変わった後の2007年、ACミランは決勝に進出し、相手はまたもボカ・ジュニアーズでした。その試合でインザーギは先制点を含む2ゴールを決めて、ミランの世界一に貢献しました。

U-21欧州選手権優勝

1994年のU-21欧州選手権でインザーギはイタリア代表に選出され、優勝メンバーとなりました。ヴィエリやカンナヴァーロなどが当時のメンバーに名を連ねています。

ワールドカップ優勝

1998年と2002年のワールドカップに出場するも、ベスト8の壁を突破できなかったインザーギ。2006年のドイツワールドカップで3度目のチャンスを掴むと、1998年の準々決勝で当たったフランスと決勝で顔を合わせます。ジダンの退場などで試合はもつれましたが、PK戦でフランスを下したイタリアが優勝。インザーギは念願のトロフィーを手にしました。

インザーギがミランで背負った背番号9は呪われている?

出典:https://www.pinterest.jp/pin/820640363357265027/

ACミランのサポーターの間では、なぜか背番号9が「呪われた番号」と考えられています。インザーギの引退後にミランで9番を付けた選手は20-21シーズンまでに10人いますが、なぜか皆が期待されたほどの成績を残せていません。アレシャンドレ・パトやフェルナンド・トーレス、イグアインにマンジュキッチなど、そうそうたるメンバーがシーズン7ゴール未満です。

インザーギの背番号に関するエピソード!

出典:https://www.pinterest.jp/pin/686024955732977688/

特にクラブでは背番号9を大事に付けたインザーギ。彼の背番号にまつわる逸話がいくつも残されています。

インザーギは「呪われた番号」をどう考えているのか

インザーギが「呪われた番号」について、イタリアのテレビ局『スカイ』のインタビューに応じたことがありました。予想通り彼はそのことを否定し、「イブラヒモビッチがあの背番号を背負っていれば呪いはとっくに解けているはずだ」と答えています。その一方で、「ミランの9番を背負うのは誰にとっても大変」とも発言していました。

インザーギに与えられた背番号300

出典:https://www.pinterest.jp/pin/413627546999041188/

2009年3月、試合を終えたインザーギに背番号300のミランのユニフォームが渡されました。もちろん背番号300で公式戦には出場できません。その試合でインザーギはプロ通算公式戦300ゴールを達成して、記念に300番のユニフォームが贈られたのです。奇しくも初ゴールと300ゴール目の相手は同じシエナでした。

同時に出現した背番号21と9のインザーギ

出典:https://sportmob.com/en/news/924170-Giancarlo-Inzaghi-wants-his-sons-sides-to-draw

上の画像には、左に背番号21のインザーギが、右に背番号9のインザーギが同時に映っています。サッカーに詳しい人ならすぐにわかったはずですが、右がこの記事で紹介している兄のフィリッポ・インザーギ、左が弟のシモーネ・インザーギです。シモーネは代表で3キャップしかないので、2人が同じアズーリのユニフォーム姿なのは貴重といえます。

その他のサッカー選手の背番号に関する記事もチェック!

出典:https://www.pinterest.jp/pin/588353138808789477/

インザーギ以外にも、背番号にまつわるサッカー選手の記事が公開されています。いくつか紹介していきましょう。

カカの歴代背番号

ポジション的には10番が似合いそうなカカですが、彼はミランで22番を付けていました。果たしてその理由とは?

ロナウジーニョの歴代背番号

ロナウジーニョもミランではなぜか80番を付けていました。なぜそんな重たい背番号だったかは、この記事を読めばわかります。

フェルナンド・トーレスの歴代背番号

ミランの9番としては成功しなかったフェルナンド・トーレス。しかし、アトレティコやリバプール、そしてサガン鳥栖では9番で存在感を示しました。

イブラヒモビッチの歴代背番号

40歳を迎えるシーズンでもACミランで活躍するイブラヒモビッチ。彼も背番号にはかなりのこだわりがあります。

ベッカムの歴代背番号

マンチェスター・ユナイテッドやイングランド代表では不動の7番。しかし、ベッカムはミランで32番を付けていました。

グリーズマンの歴代背番号

ベッカムに憧れを持つグリーズマン。彼はクラブでも代表でも7番を好んで付けます。

ルカクの歴代背番号

ACミランのライバルであるインテルで、ルカクは9番を背負っていました。しかし、若手時代は今よりも大きな背番号でした。

ハーランドの歴代背番号

期待の新鋭ハーランドは、変わった経緯で背番号を9に変更されました。ドルトムントは彼に何をしたのでしょうか。

レヴァンドフスキの歴代背番号

今やバイエルン・ミュンヘン不動の9番であるレヴァンドフスキですが、ドルトムントなどでも活躍したことを忘れてはなりません。そのドルトムントでは、9番ではなかったシーズンもあります。

ムバッペの歴代背番号

10代でワールドカップ優勝メンバーになるなど、サッカー選手としては若くして多くを経験しているムバッペ。背番号もすでにいろいろなものを付けてきています。

インザーギは背番号9で数々の伝説を残した!

出典:https://bola.okezone.com/read/2020/03/30/47/2190958/filippo-inzaghi-menolak-keras-ada-kutukan-di-nomor-9-ac-milan

クラブではエースストライカーの証ともいえる9番を大切に付け、数々の伝説を残したインザーギ。しかし、イタリア代表では9以外の背番号が多かったのはなんとも興味深いことです。どんな背番号でもインザーギの魅力は変わりませんが、やはりインザーギには9番がよく似合います。